聖剣のお供をするにあたって・15
黒い夜空に浮かんだ月を紅い大陽が呑み込む。
辺りを燦々と照らす大陽は大きく、遠く離れたこちらへもその熱を風と共に伝える。
燻る大地の焦げたニオイも混ぜて。
手を伸ばせば届くのではないかと折角するソレは、本物の大陽ではない。
視界が揺らぐ陽炎の中、目を細め、大陽を作り出した非常識な人物へとその目を向ける。
距離がある為、小さな影にしか見えないその人物。辛うじて確認出来る手足から、ようやく人だと認識出来る。
視力の良い自分でそうなのだから、普通の人々にはその姿を捉える事すら困難であろう。そんな距離。
衝撃ゆえか、後方へと流されるその影をただ眺める。
眺める。
眺める事しか出来ない。
そんな自分を歯痒く思う。
思った所で、何も状況は変わらない。
近付く事すらままならない。
壁を背に、遅れてやって来た突風に耐えながら、ただ眺め続けていた。
キリノと、死してその身を禍に染めた竜王ザ・ワンとのぶつかり合いが始まったのはつい先程の事。
キリノが飛び去った後、すぐにプチを使いへと出した。
キリノの元ではない。
彼女には必要ないとバッサリ断られてしまったし、実際問題、プチでは邪魔にしかならないだろう。
倒した魔獣から禍を取り込んでどんどん力を増していくプチとはいえ、アレに戦力として参加するにはまだ早い。まだ足りない。
プチが弱い訳じゃない。
血と魂の契約により繋がっているので、何となく分かるのだが、多分、今のプチは大魔獣に匹敵するほどの力を有している。
元々、速さだけならば元水神のオンフィスバエナとも渡りあっていたし、今ならオンフィスバエナともタイマンで勝てるかもしれない。
それでもなお、アレに遠く及ばない。
そう思う程、本気のキリノと竜王ザ・ワンの戦いは常軌を逸していた。
初撃。
キリノの姿をその眼に捉えたであろうザ・ワンが彼女に向けて炎を吐き出した。
迫る赤と黒、二色の混じる炎を前に、キリノは臆する事なく魔法で応戦。
それぞれは空でぶつかり、共にかき消えた。
そのワンアクションだけで、まず両者の真下に広がっていた小さな林は消失した。
衝撃は地を駆け、平原の草花を押し倒し、突風となってこちらへも届く。
僅かに熱気を帯びた風がアイゼン王国を包み込んだ。
俺と共に城壁の上にいたアンは、その様子を目にするなり、悔しい様な、悲しい様な、何とも形容しがたい表情を浮かべた。
しかし、それも一時の事。
アンは、何かを考え込む様に目を瞑ると、大きく息を吐き出し、決意した様に頷き城壁の下、兵やアキマサ達の元へと戻っていった。
俺もどうしようかと悩んだ末、結局、プチをフレア達の元へと向かわせた。
兵を動かし、国を守る事も重要だろう。
今日、命を落とすと予見されているフレアを守る事も重要だろう。
しかし、それもキリノがザ・ワンを食い止められなければ何の意味もない。俺もアンも、あの光景を目の当たりにしてそんな事を思った。
たとえ魔獣を追い返せても、フレアを守り抜けても、ザ・ワンはそれら根こそぎ消し去る。それだけの力を持っている。
結局のところ、ザ・ワンを倒せるか否かで勝ち負けが決まってしまうのだ。
かと言って、キリノの助太刀に行くなど邪魔でしかない。
弱い者などお呼びじゃないのだ。
ゆえに俺もアンも、邪魔になる位ならば自分の出来る事を成す為、動いたに過ぎない。
それで良いと思う。
それしか出来ないのだから。
城壁の下、アイゼン兵や傭兵達に指示を飛ばすアンを見て、そんな事を思ったのだが、それを良しとしない人物が一人。
城壁を飛び越え、大門に群がるベヒーモスを蹴散らしながら、されど心ここに在らずと云った様子で暴れ回っていた。
大門に群がる魔獣を屠るアキマサに上から声を掛け、呼び寄せる。
不服そうな表情のアキマサは、渋々と云った様子でこちらに足を運ぶ。
『なんですか?』
「キリノの助太刀には行くなよ?」
『何故です?』
不満を隠そうともせず、アキマサが問う。
「今のお前じゃ邪魔だからだ」
『やってみなければ分からないじゃないですか?』
「あのなぁ、やってみて駄目でしたでは話にならん」
『そうですかー? 全力さえ出せれば割りと何とかなりそうですけどね』
竜王ザ・ワンに顔を向けながらアキマサが飄飄と返してくる。
俺に相手の力量を見る術などは無いのだが、勇者本人がそう思うならそうなのかもしれない。
力を取り戻しつつあるアキマサに対し、今あそこにいる竜王ザ・ワンは言うなればゾンビ。
動く死体が、本来の、生前の竜王程の力があるとは俺は思っていなかった。禍の補正があるとはいえ、幾分か力は落ちているだろう。
そういった事を含めて、アキマサも何とかなる。と言っているのだろうが……。
だが、それもアキマサが現状もて余している聖霊力を全力で発揮出来ればの話だ。
エディンで欠片を得てから一週間と経っちゃいない。
馴染む時間を考えれば、全力とは程遠いだろう。
無理矢理引き出した所で、タラスク戦同様、アキマサの体が壊れるだけである。
「駄目だ。そんな出たとこ勝負の様な戦いさせられる訳ないだろ」
『何故、クリさんが決めるんですか?』
いつにも増して強気なアキマサがそう問い質す。
「お前は切り札だからだ」
アキマサの横顔を真っ直ぐ見て、言い切る。
ザ・ワンに顔を向けたまま眉根を細めるアキマサに続ける。
「良いか? お前は対魔王においての切り札だ。お前じゃなきゃ魔王には勝てない。いや、勝つだけなら誰でも出来るだろう。力さえあれば。――――だが、アイツを完全に滅ぼすにはお前の力が絶対不可欠なんだ。今まではキリノが居たし、多少の無理も、無茶も問題視しなかったが、キリノの余裕が無い以上、今回は駄目だ」
アキマサは、変わらずキリノとザ・ワンに顔を向け、何かを考えているのか押し黙ったままである。
そうして、少し間を空けてアキマサが口を開く。
『キリノに丸投げしろと? ――――見捨てるんですか、キリノを?』
「人聞きの悪い。別にそうは言ってない。第一、キリノが負けるとも思ってない。だからこそ邪魔をするなと言ってるだけだ」
言って、俺の話を聞いているのからいないのか、ずっと遠くを、キリノとザ・ワンへと注視し続けるアキマサに、釣られる様に俺もそちらを向く。
わかってる。
わかってはいるんだ。
遠く、時折、大爆発を起し、焦げたニオイをはらませた熱風をこちらに届けるザ・ワンとの攻防を繰り広げるキリノを見る。
相変わらずの小さな影。
ここから彼女の細かな様子を伺う事は出来ない。
しかし、分かる。
徐々にキリノが押され始めている事が。
ザ・ワンの攻撃力の高さも然ることながら、その実力を支えているのはあの堅牢さであると俺は考える。
タラスク程とは思わないが、
戦闘時、魔力を用いて硬質化し普段の数倍にも硬くなるとザ・ワン本人が昔語っていた。
一度暴れ出せば、生半可な衝撃や熱などものともせず、ただただ猛威を振るう暴力の化身。
それが竜王ザ・ワンである。
キリノは、対峙した最初の頃こそ攻撃に転じていたのだが、今はそれも止め、ひたすら守りに徹していた。
時には同じだけの魔力を以て打ち消し、時には結界で耐え凌ぐ。
広範囲にもたらすザ・ワンの一挙一動から、背後の国を、こちらを守る事に終始している印象だ。
当然といえば当然といえる。
意思無きゾンビと化した、竜王。その竜王から縦横無尽に放たれるクゥちゃんの倍はあるだろう大きさの竜王大咆哮。あんなモノが国に直撃したら一発でアイゼン王国はぶっ飛ぶだろう。
そうならないのはひとえにキリノがその全てを打ち消し、守っているからに他ならない。
そうして、暴力の化身から国を守る払ったキリノの代償は、膨大な魔力であった。
いくらキリノといえど、魔力には限りがある。ある以上、いずれは枯渇する。
そうなれば、キリノの敗北。
押され始めているというのはその兆候であろう。
キリノも守りながらでは厳しいと感じている様で、時折、竜王を誘導する様な動きを見せていたが、竜王は竜王で、意思こそ無いが明確に、国の破壊するという目的を持っているらしく、キリノの誘いには一切乗ろうとしなかった。
あの、いつも余裕綽々で、絶対無敵だとばかり思っていたキリノが負けるなどとは思っていなかった。
イメージが沸かなかったと言うべきか……。
しかし、このままではいずれ負ける。
キリノを見て、そんな事を思った。
だからこそ、歯痒いのだ。
『このままでは負けます』
アキマサもそれに気付いている様で、ハッキリとそう口にした。
「だからって、お前が行っても邪魔になるだけだ」
俺が何度目か分からない、邪魔になるという言葉を吐き出した所で、アキマサがようやくこちらに顔を向けた。
いつものマヌケ顔ではない。真剣な、怒っている様な表情。
その見慣れないアキマサの表情に少し怯む。
『負けると分かっている仲間を見捨てる程、僕は役立たずではありません』
「――――は~」
アキマサの言葉に俯き、溜め息をつく。
勇者ゆえか、性格ゆえ、はたまた両方か。
他の方法もあるだろう。
愚直で、不格好、それでいて一生懸命。
その手は何を求めてるんだ?
あれも、これも。意外と欲張りな奴め。
――――けどまぁ、お前はそれで良い。
それが良い。
「後先考えないなら――――」
名を呼び顔をあげる。
バチリと目があう。
いつにも増して凛凛しい表情。
美少女ならば恋に落ちてる所だが………残念、お前に興味はない。
容姿にはな。
「アキマサ、体よこせ」