聖剣のお供をするにあたって・14
大規模な魔獣襲撃に、万全な態勢で臨みながら、一度は陣形の乱れで破綻しかけた防衛戦。
それでも、勇者達の活躍で何とか持ち直し、万の数を誇る圧倒的戦力差を相手に均衡を保っていたアイゼン軍であったが、時間の経過と共に、緩やかに、しかし確実に目に見えて綻び始めてきた。
退く事の無い黒い波の流れに、流石の屈強な兵達も疲労の色を隠せない。
真綿で締める様に、ジリジリと困窮していく有り様は、戦う者達の心を折るには十分であった。
城壁の上に居ても感じる事の出来る周囲を充満する血と汗の臭い。
それは人間と火薬と魔獣のそれらが混ざり合う、息苦しいまでの臭いだった。
幾多も転がる魔獣の死体の中に、ちらほらと人間の物も見受けられる様になってくる。
一人と一匹。同じ1でも、損害の価値としては、数で圧倒している魔獣側の方が優位であった。
耳を塞いでも聞こえてくる喧騒と、それに掻き消されてしまいそうに小さく聞こえる動けなくなった者の呻き声。
そんな場を覆う不安と焦燥。
それを否定する様にアンが止める事なく声を張り上げ兵を鼓舞し続けている。
しかし、そんなアンですら疲労は顕著して顔に表れ、時折、声は掠れ、その姿が現状の劣勢さを物語っていた。
そんな様子を苦々しく眺める。
強そうになったプチは、現在も元気に戦場を駆け回り、魔獣達を蹴散らしおり、アキマサやキリノの召喚した骸骨馬車も、いまだ奮闘を続けている。
それでも、彼らだけで止められる程、魔獣の波は小さくはない。
そんな風に、戦場を冷静に観察する自分が情けなくなる。
俺は現在、ほぼ砲弾を使い切り、耳が痛くなる程に聞こえていた砲撃音のしなくなった城壁の上、キリノの隣でふわふわ漂いながら眼下に目を向けていた。
キリノは時々、囲まれ孤立した兵の救助の為に魔法を行使してはいたが、骸骨馬車の召喚以外、これといって目立った戦果をあげる事はしなかった。
それは、力を温存している。そんな風にも見えたので、その事について俺は何も言わなかった。
これまでなら、キリノが大規模な回復魔法で兵のケアなども行っていたのだが、今日はそれもない。
その為、劣勢となったアイゼン軍側には徐々に死者も出始めていた。
それでもキリノは大きな動きを見せなかったのである。
なんだ?
キリノは何を警戒しているんだ?
いつもの余裕綽々といった感じが見られないキリノの様子に、若干の不安を覚える。
キリノ大先生が、警戒する程の何かがこの戦場にあるのだろうか……。
それからしばらく。
動かないキリノの代わりに、気力を振り絞り戦う兵達の方に動きがあった。
順に、城壁の中へと後退を始めたのである。
おそらく、城壁の中での籠城戦に突入するのだろう。
アイゼン王国には、当然ながら多くの国民が暮らしている。規模が規模である為、城にそれら全ての国民を避難させるスペースなどなく、そうである以上、国民達にとって城壁は最終防衛線。もう後が無い事を意味する。
つまりは、それだけ追い込まれているという事。
高い壁を利用しての籠城は有効ではあるのだが、国民の守りを難しくする欠点もある。
籠城すれば、魔獣達は入口を求めて国の四方に散る事になるし、籠城している以上、それを止める事も難しい。
そうして、四方に散った魔獣の動き全てを把握する事は不可能であり、数は多くないだろうが、城壁を突破する魔獣が出れば、兵が駆け付けるより早く、国民に被害が出る事は想像に難くないのだ。
ゆえにアンも籠城は出来るならば避けておきたかった所であっただろうが、こちらへと歩みを進める他の魔獣と比べて一際大きな体を持つ数十体のベヒーモスを目にし、籠城を決めた様である。
今の疲弊しきった兵達で、アレの相手は余計な犠牲者を出すだけであろう。
兵や傭兵達が撤退する間、殿はアキマサやプチ、骸骨馬車がつとめた。
先攻してきたベヒーモスの一体をアキマサと骸骨馬車が同時攻撃で仕留め、そのまま城壁の中へと入っていった所で、アイゼンの大門は堅く閉ざされる。
プチは涼しい顔をして城壁をかけ登り、俺の元へと戻ってきた。
閉ざされた鉄の扉にベヒーモス達が集まり、破壊しようとその体を激しくぶつけ始める。
体を数度ぶつけたベヒーモスの様子と扉の状態を見て、いくら鉄の塊とはいえ、そう長く持つモノでもなさそうだと悟った。
そうやって、魔獣達の様子を上から見ていると、疲れた顔をしたアンがやって来た。
アンは眼下の魔獣を一瞥した後、重苦しそうに口を開く。
『城に侵入者があった様です』
僅かに顔を曇らせたアンがそう告げる。
「……どうするんだ?」
『こちらも戦力を削る余裕はありません。扉とていつまでもつか……』感情を抑えて言ったアンが、続けて『――――キリノは?』と、少し躊躇いがちにキリノに尋ねる。
キリノが小さく数度頭を振る。
『籠城に合わせて、本命が動き出した。アレは私じゃないと止められない。私も勝つのは難しい』
「……冗談だろ? ここにお前が勝つのが難しい奴が来るのか?」
『時間は稼ぐ。でも余力は無い。そっちも、城も、手伝えない』
無表情だが、今までのキリノらしからぬ弱気とも取れる言葉を口にする。
「プチも付けるか?」
『いい。アンが許すなら、クリはフレアの所に行ってあげて。魔力量から察するに、向こうは大悪魔の可能性が高い』
「大悪魔か……厄介極まりないな。――――だが、」
『平気』
俺の言葉を遮って、キリノがそう言い、同時にふわりと城壁から飛び上がった。
『被害甚大。少し離れる』
それだけ言い残して、キリノは夜の空に向かって音もなく飛んで行ってしまう。
被害甚大か……。
つまりはそれだけ大きな力のぶつかり合いが予想されるという事だろう。
何が来るんだ?
あのキリノが迎え撃って出る程の敵って、どんな奴だよ。
その姿を拝んでやろうかと、夜空に向けて目を細める。
そうして、キリノの向かった先、遠くにソレが姿を現した。
夜空に浮かぶその姿を目にした俺は驚愕し、細めていた目を見開いた。
キリノは平気だと言ったが、――――本当か? 信じて良いのか?
お前、本当にソレと戦うつもりか!?
『ドラゴン?』
隣で、俺同様にキリノの先に浮かぶソレを目にしたアンがポツリと呟く。
「……少し色が違うが、まさかここにあんなもんが来るとは予想外だ」
『……クリさんはアレを知ってるんですか?』
眉をひそめたアンが、俺に顔を向けて問うてくる。
「知ってる。……見た事はなくてもお前らも知ってる筈だぞ。勇者の御伽噺に出てくるからな、アレは」
『御伽噺に? ―――――ッ!? まさか!?』
アレの名が俺達の会話の中に出てきたのは、極最近の話。すぐに思い当たった様で、アンが驚いた顔をして、アレに顔を向ける。
「そのまさかだ。―――――間違いなく、アレは最古にして最初の竜。竜王ザ・ワンだ」
白と黒の混じる一体のドラゴンに目を向けながら、アンにそう言った。
死んだと言われていた竜王ザ・ワンが、俺達の敵として参戦して来たのである。