聖剣のお供をするにあたって・11
今、目の前に座っているアキマサは、次にどんな言葉が飛び出すのが戦々恐々といった様子でこちらを見つめていた。自分で発言しておいて何だが、そんな顔をされると困ってしまう。
「燃やしたんだ、昔」
先程と同じ様な内容の呟き。
それから一度窓の外へと顔を向ける。
「七夜のお伽噺は知ってるだろ? 空と海と大地の次に生まれたのが母なる樹。――――名をレイアと言う」
『レイア……』
アキマサが飲み込むかの様に名を呟く。
「彼女は偉大で、優しく、いつも俺達に温もりを与え続けてくれる人だった。お伽噺では樹と云う事になってるし、それも間違いじゃないんだが、彼女は七夜の樹に宿った精霊だったんだ」
一旦、言葉を止め、アキマサに向き直す。
「俺を含め、あの頃居た者達はみんな彼女が大好きだった。そうやって長く、俺達と母の平和な時間が流れていった。そこに何の問題も無かった。――――そう思ってた。……けど、そうだな、今にして思えば小さな予兆は幾つもあったのかも知れない。優しい彼女。優し過ぎた彼女。病的な程の彼女のそれは、他者にも同じモノを無意識下で要求する程に苛烈なものだった。彼女は強い者も弱い者も、優れている者も劣っている者も、全てにおいて平等であろうとした。平等こそが平和へとの道であると信じ、平等こそが安寧秩序の世をもたらすと俺達に教え込んだ。出来る者には祝福を、出来ぬ者には激励を。彼女は結果を求めつつも、それに至る過程、努力をないがしろにはしなかったし、認めていた。そして、だからこそあの頃の俺達はそれに疑問も、不満も、異論も持たず、彼女の思想こそが正しいと信じていた。――――でもな、それは彼女の目の届く範囲の話、手の届く所までの話だったんだよ。
彼女は力も有り、万能であったが、神様じゃない。どんどんと増えていく俺達子供の全てを抑えられる訳なんて無かった。生ある者の自由を、個性を、生き方全てを同じ物差しで測れはしなかったんだ。
それでも彼女は自分を信じ、俺達を信じ、平等を唱え続けた。だが、そんな彼女に、やがて反発する者達が現れ始めた。……多分、あそこで決定的に楽園の崩壊が始まったんだろうな」
そこまで言ってから一度唾を飲み込み、堅苦しく長々とした言葉で乾いた喉元を湿らせる。
「何度も決裂した話し合いの末、反発する者達に対して彼女の取った行動は、間引き。――――母レイアは、優劣を固定し、区別を定め、特化した個性を悪だと断じた。それは楽園を地獄に変える愚かな考えだと……。そうして、今まで一度も俺達に向けられる事のなかったその圧倒的な力を行使して、彼女は反発する者達の粛清を開始したんだ」
目を瞑る。
そうやって、少し思い出すだけで、今でもあの時の光景が瞼の裏に鮮明に甦る。
「蹂躙だった。虫でも殺す様に、何の表情も見せずにただただ繰り広げられる殺戮の絵画。何の抵抗も許さず殺されていく者達を前にして、ようやく母の考えを肯定し、支持に回っていた者達も、母の考え方に疑問を持つようになった。――――まぁ、遅過ぎる子離れってとこだな。
――――そこからは早かったよ。
まず、先の粛清に異を唱えた空の者達と母レイアの話し合いが決裂した。そして、空の者達の声を反乱と見なしたレイアによる二度目の粛清。と、同時に二度目の粛清を良しとせず、大地の者達と海の者達が空の者達と共闘を開始。実質、陸海空の全種族がレイアと戦う事になったんだ。
最初に反発した者達と違い、種族として初期から母レイアに寄り添っていた陸海空の長達は強かった。レイアが幾ら圧倒的な力を所持しているとは言え、たった一人。長達を中心とした幾万の反乱者をレイアとて簡単には倒せず、戦いは数ヶ月に及んだ。
だが、その数ヶ月の戦いで疲弊していく反乱者達と違い、レイアは衰える事を知らなかった。徐々に反乱者達は追い込まれ、母レイアの粛清が達成されるのも時間の問題となっていった」
俺の話を静かに聞き入るアキマサに向けて、自傷気味に小さく笑ってみせる。
「その時になってだ。――――のらりくらりと言い訳しては、中立を貫いていた樹の種族――――妖精達が母レイアを裏切ったんだ。数ヶ月の戦いの中、中立を貫き続ける妖精達は、母レイアにとって最後の心の拠り所でもあった。反乱者達に向けられる冷徹な目とは違い、妖精達に向けられ続ける眼差しは、以前と変わらない優しく慈愛に満ちた温かいものだった。
レイアは口癖になる程、毎日の様に言っていた。『これが終わったらまた楽しい楽園に戻るから』『私達で楽しく暮らしていこう』と。
母は、自分と妖精達の幸せな未来を信じて疑わなかった。必ずあの日常に戻れると……。
だからだろう。――――母は油断した。
ある朝、レイアは精霊たる自分を顕著させている依代である巨木に妖精達を避難させた。巻き込まれぬ様に、と。レイアはその日で全てを終わらせるつもりだったんだろう。ゆえの避難。
レイアによって、頑強かつ絶対の結界で守られていた巨木。その結界の中へと妖精を招き入れた事が、母レイアの最大にして最後の失敗。
結果として、妖精は巨木に火を放ち、七日七晩をかけて巨木を灰にし、そうして依代を失った母は世界から姿を消した」
話し終えてから、小さく溜め息をつく。
アキマサは何かを考え込む様に俺を見つめるだけで、特に口を開く事はなかった。
「お伽噺とは随分違うだろ? でもこれが真相だ。樹の守護者なんて言ってるが、実際は母に最も酷い裏切りを行ったのが妖精だ。――――母と過ごしたの長い時間の中で、母が涙を流すのを見たのは、あの一度きりだけだった……。
妖精、元は樹の種族と呼称されていて、陸海空のどの種族にも属さない、云わば母の眷族。……それもあって、レイアは妖精にそれだけ信頼を寄せていたんだと思う。そんな母レイアを眷族である筈の妖精達は裏切ったんだ。今の七夜の樹だって、ただ自分達の罪滅ぼしの為に植えただけの自己満足に過ぎない。それに……」
『それに、魔王を誕生させたのは妖精だ、ですか?』
静かに話を聞いていたアキマサが、不意にそう口を開いた。
妖精が魔王を誕生させてしまったのは事実だ。
母を殺さずとも、他に方法はあったかも知れない。母を失って以来、ずっとそう考え続けて来た。もっと深く話し合っていれば戦いは避けられたんじゃないか、と。
答えが出る筈もないそれが、いつだって俺の中で燻り続けてきた。
今まで一体、何人死んだ?
今まで一体、どれだけの血と涙が流れた?
魔王さえ生み出さなければ無縁であった筈の数千年と続く不幸の系譜。
あの頃を知る者は居ない。真実を知っているのは俺と魔王のみ。自らに罪は無いかの様に、妖精が世界を騙し続けていたから。
樹の守護者? 違うだろ、世界一の裏切り者で、世界一の不幸を作った張本人、それが妖精だろ。どんなに上辺を彩り取り繕ってもそれが真実だろ。
あの時も、母レイアとの戦いを終わらせた時も、誰も妖精を責めたりはしなかった。どころか、あまつさえ裏切り者の妖精を賛辞する有り様。良くやった、と。知恵で母を凌駕した、と。
ち が う だ ろ。
母を殺し、お前らも殺した妖精を許すなよ。
揃いも揃って、運命だの何だので片付けるなよ。
アキマサに話したのは、いっそ罵倒されてしまいたいと思ったからだ。だから俺は肯定する。母殺しを、魔王を作った罪を。
「……ああ、そうだ。妖精が……俺が魔王を誕生させたんだ」
なるべく淡々とした口調を意識してそうアキマサに返す。
『ん~、それってどうなんでしょう? 確かに、魔王が灰から生まれたのは七夜の樹が燃えたからではあるんですが、でもそれって、不可抗力ですよね? そうしなければ他の種族は死んでいた訳ですし』
俺との温度差など気にも留めず、アキマサがあっけらかんと言ってのける。
「そりゃあ、まぁ……そうだけどさ」
『……ハハッ』
「何だよ?」
『いえ、フレアさんが言った通りだなぁと。クリさんって、どうでも良い事は人に擦り付けるし、誤魔化すし、丸投げするのに、いざ自分の非に関しては必要以上に背負いたがるんですね』
「いや、だってそれは」
反論しようとした俺の言葉を遮ってアキマサが続ける。
『良いじゃないですか、丸投げしちゃえば。難しい事考えないでいつもみたいに俺に丸投げしてくださいよ。アキマサ、何とかしろ。アキマサ、お前が決めろ、って。――――相手が魔王で、俺は勇者。だったら俺に丸投げしてくださいよ』
いつもと変わらない、勇者の雰囲気など欠片も感じさせない頼りない顔。のほほんとした態度。しかし、その目は真っ直ぐに、優しげに俺を捉えて、捕らえて。
そうして、少しの間を空けて、やっぱり間抜けな顔のアキマサが続ける。
『俺はその為に今、ここに居ます』
「……聖剣も持たずにか?」
『うっ、それ言われるとツラいですね』
ばつが悪そうにアキマサが頭をかいて、小さく笑う。
勇者、か。
――――あぁ、なるほど。マロンがロゼフリートの中に感じたのはこれか。
いつの時代も人々に希望を与える存在。
気持ちを吐露しただけにも関わらず、押し寄せるのは妙な形を作ってざわつく、高揚感と達成感。
何ひとつ事態は変わっちゃいないのに、心が軽くなる。
只でさえ小さい妖精なのに、これ以上更に軽くなってどうすんだと思わなくもないが……。
聖剣が折れて様が、歴代最弱だろうが、
確かにお前は勇者だよアキマサ。
ククッと小さく笑ってから、アキマサに言う。
「じゃあさ、――――いつもみたいに頼むよ、勇者様」
『やれやれ、しょうがないですねクリさんは』
夕焼けの赤が差し込む部屋の中、勇者と妖精が笑いあった。