仮面のお供をするにあたって・2
『いらっしゃいませ。ようこそマーティスの宿へ』
地図に従い、紹介された宿の中へと入ると、中年の男性がお決まりのフレーズであろう言葉を口にして俺達を出迎えた。
『一人ですが空いてますか?』
『ええ、もちろん御座いますよ』
『では、一人用の部屋を。それから外で待たせてある連れが休める寝床があればお借りしたいのですが……』
『と言うと、馬でしょうか?』
『いえ、馬、ではないんですが、大きさは馬くらいはあります』
『馬で無くともそれだけ大きいとなると、やはり馬小屋に、という事になってしまいますが……』
『はい、それで構いません』
『畏まりました。御名前をお伺いしても?』
『アキマサです』
『アキマサ様ですね、畏まりました。ではアキマサ様、お部屋へとご案内致します』
『あ、その前に、先に外のを馬小屋まで良いでしょうか?』
『それならば後で私がキチンと小屋までお連れしておきますよ』
『あ~、……いえ、僕が一緒の方が良いと思います』
『左様で御座いますか? では、申し訳ありませんが、アキマサ様もご一緒に』
そう言って宿から出てきた店主が、こちらを見るなり驚愕の表情で固まってしまった。
まぁそうだろう。魔獣が突然目の前に現れたらそんな顔にはなるよね普通。
と言うか、店主に限らず、遠巻きに住民達がこちらを見ているだろう視線を四方八方から感じる。
直接、俺の姿が見えている訳ではないのだが、まるで見世物小屋にでもいる気分。大騒ぎにならないのが不思議だ。
『店主さん』
固まったままの店主にアキマサが声を掛ける。
それで、ハッと我に返った店主が首がもげるんじゃないかと思う程の速度で背後のアキマサへと顔を向けた。
『あ、あ、あ、あの、連れという、のは』
可哀相そうになる程に狼狽える店主。
『ああ、ええまぁ、魔獣ですが、害は無いので』
『さ、左様で御座いますか……』
露骨に不信顔を披露しつつも、店主はなんとかそれだけ絞り出し、『こちらです』とヨロヨロと馬小屋への案内を始めた。
馬小屋は宿の裏手にある様で、距離、時間にしてそれは僅かな移動ではあるが、その間中、店主は瞬きも忘れてプチから一度も視線を外す事は無かった。
目を離せば喰われる。そんな意思が透けて見える様な必死の形相。気が気ではなかったであろう。
馬小屋に馬はおらず、プチの貸し切り状態となる。
仮にいてもあの店主の態度を見るに、全部移動させたと思う。ここにいれて置くと馬が喰われる、って。いや、逆に残すかな? 生贄的な……。
そんなこんなでプチが馬小屋へと入るのを確認すると、アキマサは店主に連れられ借りた部屋へと去っていった。
もしかしたら今頃アキマサは、あれは何だ、と店主に詰問されているかも知れないが、帰りたがる俺達を引き留め、連れて来たのは自分なので自分でどうにかして欲しい。
どうでも良いけど馬臭いなここ。馬小屋だから当たり前だけど。
馬臭い小屋の中ではあるが、ようやくひと息つけた事に安堵する。
正直、門で兵士に囲まれている間は不安でしょうがなかった。
プチがそこらの雑兵に負けるとは思っていないが、大きな騒ぎにだけはしたくなかった。
そうなればアキマサの入国は絶望的だろう。アキマサは頑なに俺達の同行を求めたが、不安に目が眩みその辺りまで気が回っていなかった様子だ。
まぁ、それは済んだ事なので頭の片隅に置いておくとして、問題はこれからだ。
どう森に帰るかだ。
単純な話、プチならば王国を囲む高い壁とて飛び越えるのは容易い。ゆえに夜の暗闇にでも紛れて出て行くのが騒ぎにもならず良いとは思うが、―――――果たしてそう上手くいくだろうか?
あの門兵の態度、住民達の冷静さ。
どう考えたって罠だろう。
魔獣に入国許可を出すだけでも異常なのに、宿まで紹介する不自然さ。監視しやすいし罠にも嵌めやすいからここに泊まってくれと言ってる様にしか見えない。
住民の冷静さにしたってそうだ。宿の前にしろ、門から宿までの道中にしろ、興味本位な視線こそたっぷりと味わったが、それだけ多くの視線にあって、誰一人として騒ぎ立てる真似はしなかった。既に魔獣の事を知らせていたのではないか? そうでなければ魔獣を前にあの冷静さはちょっと異常だ。
呑気なアキマサは大して気にした様子もないが、こっちは下手したら生き死に直結する事態になりかねん。
やはり出直す羽目になってでも一度森に帰るべきであった。
まぁそれも今更だな。
やはり終わった事を考えるよりもこれからの事を考えよう。その方が明るい明日に繋がる気がする。うんうん、より良い未来は、健全な行動指針を立て、実行する事でやってくる筈だ。
と思ったところで、罠だけど、という不安材料がピョコピョコと思考の穴から顔を出して嘲り笑ってくるのである。
大体だ、罠に嵌めるにしてももう少し上手く出来ないものかね? それはそれで勿論困るのだが、ああもあからさまだと逆に俺の考え過ぎではと思ってしまう。
兵士の大根演技もさることながら、住民に至っては野次馬根性丸出しであった。
一体どこまで、どういう風に伝えられているか知らないが、子供達などはこぞって俺達の後ろに付いて来て、時々何やらヒソヒソ話に花を咲かせていた。特にプチのすぐ後ろに居た少女など、今にもプチを撫でそうな程の距離であった。
って違う違う。
健全な明るい明日への行動指針を立てる筈が、どうもザルなトラップのせいで横道、曲がり道思考の起因となってしまう。
逃げるのはやはり暗闇に紛れて……。しかし、そこまでの猶予があるのだろうか?
まだ準備段階であるならば、夜の暗闇などと悠長な事を考えてないでさっさと――――
『クリさーん』
思考の腰を折る様な間延びした声が小屋の外から届き、声の主であるアキマサが隙間だらけの小屋を覗き込む様にピョコンと頭を出した。
意地が悪いのか、それとも間が悪いのか、はたまた運が悪いのか。大穴はアキマサも実は王国のグルで、俺の思考を妨げるという罠の構成に一役買っている可能性。こちらが魔獣でアキマサが勇者ならばその可能性もさもありなん。
「なんだよ?」
『あれ? なんでちょっと不機嫌なんですか?』
「馬小屋が臭いからだろ」
『あ~、確かにニオイますもんね』
そんな事を笑って言ってくる王国工作員(仮)。
「なんか用か?」
『用って言うか、部屋でボーっとしてるのも退屈なんで一緒に観光でもどうかと』
呑気である。こちらはどうやって逃げ出そうかと頭を悩ませているというのに……。やはりグルだろうか?
「観光か……行きたいけど俺達は……」
いや、待てよ?
下手に罠だと分かっているここでジッとしてるよりは王国を動き回っている方が良いのでは? 脱出の際の下見にもなる。
「そうだな、行こうか観光」
『おおー、良かった。文字も読めないし、お金の価値も分からないんで一人だとどうしようかと思ってました』
はいはい。多分そんな事であろうとは予想していたので、今更改めて言わずとも良い。その答え合わせで賞品が出るなら別にして。
こうして、興味無さげに大きな欠伸をする相棒の重い腰に活を入れ、バルド王国の観光へと出掛けたのである。