亜人のお供をするにあたって・17
アキマサを祝福する声が周囲に木霊する中、俺はソッとその場を後にする。
そうして向かった先は、宴のメインとなっている大広場からは少し離れた場所。
特に何がある訳でもない。別に何処でも良かったのだが、何となく気の赴くままに足を伸ばしたのがココだっただけの事。
木々の生い茂る中に大きな岩が二つと、その二つよりも小ぶりな岩が一つ、計三つの岩が地面から頭を半分程出す以外は特筆すべき点もない。
大岩のひとつに腰を据える。
南という地理に、森の蒸し暑さ、加えて宴による興奮の熱の中にあって、腰を据えた岩がひんやりと心地よかった。
岩の冷たさを更に感じ様と、うつ伏せ寝になりダラダラとしていると、此方に近付く気配があった。
何となく誰なのか予想は付いていたので、気にする事なくダラダラを維持する。
月明かりすらもろくに届かない森の夜は、近付く人影を闇に溶け込ませ、数メートルの距離に寄って尚、顔の判別はつかなかった。
『よいしょ』
人影は俺と同じ様にもうひとつの大岩へとよじ登り、腰を落とす。
大岩と言っても人の背丈程度で、然程大きくはない岩ではあるが、彼女にはよじ登るのも一苦労であったらしく、ふぅ、と一息つく。
しばらく間を空けてから影に向けて声を掛ける。
「宴は良かったのか?」
『そちらは後で参加させて頂きます。あの様子ならまだまだ終わらないでしょうから。それに、元々宴に参加しに来た訳ではありません』
「ご馳走無くなっても知らないぞ」
依然としてダラダラとしながらそう話す俺が可笑しかったのか、彼女はクスクスと笑って『まるで私が食いしん坊みたいな言い草ですね』と話す。
ここらで漸く少し目が慣れて来て彼女の顔がうっすらと暗闇の中で見え始める。
彼女もそれが分かったのか、此方に一度会釈してきた。
『何故、初対面のフリを?』
僅かに首を傾げたアクアが尋ねる。
「色々あるんだ、色々。勇者達に話すにはまだ時期尚早だ」
『時期尚早……ですか? 先代様の事ですから、てっきり後からネタばらしをしてドッキリ大成功、等を企んでいるのかと』
うぐっ、鋭いな。
見透かされて内心ドキリとした俺の様子すらも見透かしたのか、アクアがまたクスクスと笑った。
『変わりませんね先代様は』
「まぁね。アクアも元気そうで何よりだ」
『お陰様で』
「今は世の中物騒だからな。少し心配してたんだ」
『少し、ですか?』
「ああ、少しだ」
アクアが三度クスクスと笑う。
『確かに海中にある我が人魚の居住区は地上程には危険ではありませんが、魔王の復活で徐々に海は荒れつつあります。かの海神リヴァィアサンがかつての力を取り戻しつつあるのでしょう。この先、海神が完全に力を取り戻せば人魚も安全とは言えません』
「前に話して貰った守護獣ってのは今も健在なのか?」
『……いいえ』アクアが首を振って否定し、続ける。
『先の大戦の混乱で我が人魚族の守護獣様は魔に堕ちてしまいました。今や我ら人魚を守る物は、深い海と自らの力しかありません。海神が我らを本気で潰しに来たならば、人魚に未来は無いでしょう』
僅かに悲壮感をまとったアクアがそう口にする。
しかし、その説明で俺の推測がほぼ間違いないだろうと考える。
「その事についてなんだけど……あ、いや、その前に確認なんだけどその守護獣に名前とかあったりする?」
『はい、守護獣タラスク様です。名前がどうかしましたか?』
ああ、やっぱり。
七大魔獣に匹敵する程の力を持ちながら目立った話も聞いた事がなかったし、妙だとは思ってたんだよなぁ。
「プチ!」
俺は寝そべったままの岩から体を起こすと、相棒の名を呼ぶ。
エディンに到着してからはゴロゴロと退屈そうにしていたプチは、名前を呼ばれて嬉しかったのか直ぐに駆け寄ってきた。
そうして駆け寄ってきたプチの首に提げた小袋から、一匹の小亀を取り出す。
戦力減は痛いのだが、人魚を見殺しにする訳にもいかない。三つ目の聖霊力を得たアキマサもいるし何とかなるだろう。
ちょっぴり寂しいがお前とはお別れだ。
俺はタラちゃんを両手に抱えたままアクアに近付くと、「ほら」と言ってアクアにタラちゃんを引き渡した。
『これは……まさか』
タラスクを受け取ったアクアが驚きの声をあげる。
「そのまさかだ」
『……一体どこで?』
「ああ、旅の途中でな。東方三国って国があるんだけど、その島の近海で。ここから割りと近場だぞ?」
『そうですか……。我らはこの海域から外に出る事はありませんので、今まで気付きもしませんでした。……外海は人間が多過ぎますゆえ』
「今でも?」
『はい。数年に一度程ですが、この海域にやって来ては人魚を拐って行きます』
アクアは一度言葉を切ってから、何かを思い出すかの様に言葉を吐き出す。
『愚かな事です。人魚の肉に不老の力など在りはしないというのに』
刺のある冷たい口調でそう吐き捨てるアクアに、俺が言葉を返す事は無かった。
いつの頃か、人魚の肉を口にした者は不老不死の肉体を得る、というおぞましい噂が人間達の間に広がった。
勿論そんなものは噂に過ぎず、人魚の肉にそんな不老の力など無い。にも関わらず人間は人魚を求める。
亜人とて、言わば違う進化をした人間である。
彼らは、魔族を化け物と呼ぶ。
だが、俺からしてみれば姿形が少し違うだけの人である筈の人魚を喰らう人間こそ化け物である。
化け物だと思っているからこそ、食べる事も出来るのかも知れないが、仮にモグモグの肉に凄い効果があると言われても、モグモグを食べるなど俺はゴメンである。
しかし裏を返せば、化け物を口にしてでも、不老不死の肉体を得たい、と思っているという事。それほどの誘惑が不死不死にはあるのだと思う
不老を求める者は多い。特に権力者程そういう傾向が強い様に思う。金も、地位も、名誉も手に入れた権力者が次に求めるのが不老不死。
彼らは失いたくないのだろう。手に入れたそれらを。
恐れているのだろう。時と共に老い、衰退していく自分を。
「そんなに良いもんかな? 長生きって」
『……どうでしょう? 長きを生きる私には判断しかねます』
俺の問い掛けにアクアが僅かに苦笑して見せる。
『それよりも先代様、タラスク様なのですが』
「ん? 俺はいらないからな? 気にせず引き取ってくれ」
『……はい、ありがとうございます。――――いえ、それもあるのですが……』
「何か問題?」
『……何故、タラスク様はこんなにも小さいのでしょうか?』
「そこか~。いや、指示してやればデカくはなるんだぞ? ちょっとした島並に」
『左様……で御座いますか……。見たところ、未だ禍を取り込んだままなのですが大丈夫でしょうか?』
「あ~、どうだろうな? 俺とは血と魂の契約で主従関係にあるんだけど、それをアクアに移せば大丈夫なんじゃないか? キリノ―――うちの魔導士様に聞いてみなきゃハッキリとした事は言えないけど」
『その契約を移せば私の指示にも従うもので御座いますか? えと、キリノ様、で宜しかったですか?』
俺に顔を向けてアクアがそう尋ねてくる。
いや、俺じゃなくキリノに聞い
『可能』
「うわっ!」
突然背後から湧いた声に心臓が飛び出しそうな位驚く。
驚き、振り返った俺の背後、岩の下にはいつの間にかキリノが突っ立っていた。
「い、いつから居たんだ?」
『ずっと居られましたよ?』
俺の質問にキリノに代わってアクアが答えた。
え? ずっと? 最初からって事?
俺が硬直していると『気付いてらっしゃらなかったのですか?』とアクアが問い掛けてくる。
気付いてらっしゃらなかったですが?
『言っておくけど、私が先』とキリノが呟く。
つまり、ご馳走食って魔法陣展開した後、ずっとここに居た訳か。そこにたまたま俺が来たと……。
唯でさえ気配の薄いキリノだ、暗くて全く気付かなかった。
『それよりも、契約、を移す? 移さない? どうする先代様?』
僅かに勝ち誇る様な顔をしたキリノが先代様を強調して尋ねてきた。
くそ、バッチリ聞いてやがる。
小さく溜め息をついてから、
「あ~、もう、任せるよ、魔導士様」
シッシッと手を振り、やる気無さげに俺が了承するとキリノが小さく頷いた。
『ありがとうございます。皆も喜びます。守護獣様が戻られれば我ら人魚族も今しばらくはこの乱世を生き長らえる事が出来るでしょう』
小さなタラスクを大事そうに両手で持ち、祈る様に胸へと引き寄せたアクアが微笑み、礼を述べる。
アクアからしてみれば、人魚族を守護するタラスクがいるかいないかは死活問題だ。
かと言って外海に探索に行けば、人間と遭遇する危険も増す。
長たるアクアは、タラスクを優先させるべきか、人間との接触を控えるべきか、どちらを選んでも心苦しい選択であった事だろう。
嬉しそうなアクアの前でタラスク捕獲の立役者たるキリノに文句も言えず、盗み聞きについては唯々キリノに非難の目だけを向けるしかなかった。
気付かなかった俺が悪いんだけど……。
そうして俺がふて腐れる中、俺の非難の目など意にも介さないキリノの手により、タラスクはアクアの配下になったのであった。