勇者のお供をするにあたって・49
先ずは落ち着こう。
二度深呼吸する。
それから状況の把握に努める。
クゥ―――は、無事。良かった。
いや、良かったのだが何故無事なのだろう?
頼みの結界を破られ、死を覚悟し、内に残った魔力と聖霊力をかき集めクゥの生存に賭けて、その全てを彼女に注いだ。
そこで私は気を失った、―――のだと思う。
次に気が付いた時、私は大勢の前でポーズを取っていた。
右手でピースサインを作り、隙間から見る様にそれを目元に当ており、やや斜めに傾けた身体と曲げた膝が、まるで媚びを売る様で痛々しい。
そして、何故か胸がある。
今まで自分の谷間など見た事がないのだが、今は確かに谷間がある。いや、もしかしたら谷間ではなく小物入れかも知れない。
更に、谷間はあるが、代わりに砂漠の女神が無い。
何処かに落としてしまったのだろうか。小物入れにはない様だ。
更に更に、珍妙なポーズを取る私に歓声を送る人々がいる。
トラキア兵では無い様だ。その中に騎馬隊やオトロが居る事から、おそらくバルド兵であろう。
バルド兵達の先頭、クゥを抱えたロゼが見える。顔が引き攣っている。
その隣にセトスの姿も見える。顔が引き攣っている。
ロゼを挟んだセトスの反対側、何故かフェレスがいる。ヘラヘラと嗤って。
周囲を観察しても全く状況が分からない。
そう言えばアレスはどうしたのだろう。
逃げた? ロゼが倒した?
ピースサインのまま後ろを振り向く。
目の前に純白の翼があった。
邪魔です。
後方を見ようと翼を避ける様に上半身を動かすと翼もついてきた。
邪魔です。
三度動いた所でようやく、翼が自分の物だと気付く。
天使だもんね。翼くらいあるよね。
分からない事だらけで泣きそうになる。
涙で滲む視界の中、翼の隙間から遠くの地面に転がる砂漠の女神が見えた。
『マーちゃん?』
大混乱する私の背後からロゼが声を掛けてきた。
「……ロゼ、一体何があったの?」
泣きの入った声でそれだけ絞り出し、ロゼに顛末を問うた。
『覚えてないのか?』
ロゼに逆に問い返され、首を何度も小さく縦に振る。
『俺も見てたのはマーちゃんがアレスにトドメを刺す直前からだから詳しくは分からないんだけど』
「アレスを? 私が?」
『ああ、マーちゃんがって言うか―――マジカル天 使マロンが』
「マジカ、え、何?」
彼は何を言っているのか? 理解不能である。
『いや~、覚えてないなら知らない方が良いんじゃないかな?』
「そう言う訳には」
歯切れの悪いロゼとそんな事を言い合っているとロゼの背後からフェレスが顔を出した。
『説明必要ですか?』
笑顔を貼り付けたフェレスが口を挟む。
「フェレス導士、何故あなたがここに居るのです?」
『そりゃあ勿論、皆様をお助けに。ねぇ、オトロさん?』
フェレスが斜め後方に顔を向け、オトロに尋ねる。
『え? ああ、そうだが、―――フェレス導士は彼女と知り合いなのですか? いや、それより導士は今回の戦には不参加だったのでは?』
『その予定でしたが、――――友人に頼まれましたもので』
言ってフェレスが私に向き直る。
「それは……」
『ええ、クリさんですよ。と言っても私が頼まれたのはあくまで先導役。あなたの窮地を救ったのはクリさんです』
「先代がここに居たのですか!?」
『居た、と言うか今も居ますよ?』
フェレスの言葉に驚き、何処に、と私が口を開くより早くフェレスが言葉を紡ぐ。
『そこに居ますよ』
フェレスが私を指差しながら言った。
フェレスのその言葉に反射的に胸元を見る。この小物入れの中に先代が!?
『……あなた意外と天然ですね』
谷間にもぞもぞと腕を突っ込む私に、少し呆れた様なフェレスがそんな言葉を投げ掛けてくる。
違います。天然じゃありません。貴方がそこだと指差したんです。私のせいじゃありません。
私にジト目を向けられたフェレスが、小さく嗤う。
『そこ、とは貴女の身体の中、内側という意味です。彼は今、魂だけの存在として貴女の奥深くに居ます』
「ど、どういう事です?」
『話せば長くなりますし、それに――――ね?』
フェレスがそう言って目だけで動かし、私を諭す。
確かに今は人の目が多過ぎる。
「分かりました。ですが、キチンと説明して貰いますよ?」
『勿論です。あ、私こう見えてもバルドの専属魔導士なんですよ』
言ってフェレスが頬笑む。オトロと知り合いなのはそう言う事か。
『さっ、オトロさん、お仕事ですよ』
『……ああ』
フェレスに言われ、少し不服そうなオトロが返事をする。
そうしてオトロは踵を返すと戦の後処理へと向け、部下に指示を飛ばし始めた。
『私は先にバルド王国に戻ります。落ち着いたら何時でもお訪ねください。しばらくは国に居ますから』
それだけ言い残すと、フェレスの身体は空中に霧散してしまった。どうやら本体ではなく、何らかの魔法でここに来ていた様だ。
フェレスが消えた後、ロゼへと顔を向ける。
「クゥはどう?」
『大丈夫だ。傷も見当たらない。疲れて眠ってるだけだよ』
そう言ったロゼの肩から、背中におぶわれたクゥの小さな寝息が聞こえてきた。
途端、私の身体中から力が抜け、ヘナヘナとその場に座り込んでしまった。
『マーちゃん、大丈夫か?』
「良かった。……クゥ、本当に無事で。――――もうダメかと」
安堵から涙が溢れる。
本当に死んでしまうのかと、ここで終わってしまうのかと、あの時本気でそう感じた。
『すまなかった。俺が』
「ええ、ええ! 全くその通り! ロゼが勝手するせいで本当に死んでしまうかと思ったわ!」
謝るロゼの言葉を遮って捲し立てる。
『わ、悪かったって!』
「悪いで済むもんですか! 本当に死んだと思ったのよ!」
弱腰のロゼの更に畳み掛ける。
ロゼが勝手したのは事実だし、その事に多少腹を立てているのも事実だが、死にそうになったのは別にロゼのせいでは無い。
全てはクゥを拐ったビブロスのせいであり、それを打診したアレスのせいであり、もっと言えば根本的に魔王が悪いのだ。
ええ、そうですとも。
ロゼに文句を言いながら、改めて打倒魔王を強く決意していると、横から私達に向けて声を掛けてくる人々がいた。
『勇者様』
ロゼに向けてそう言葉を発したのは獅子の様な顔を持った魔族であった。
トラキア帝国で奴隷として捕らえられていた魔族であろう。
彼だけではない。彼の背後にも多くの魔族達がこちらに真剣な眼差しを向けていた。
『何とお礼を申し上げれば良いのか』
言い、涙を流す魔族。
『良いですよ、礼なんて。俺はやりたい様にやっただけです』
ロゼが何でもない事の様に言葉を返す。
『それに俺だけじゃありません。バルド王国の手助けが無ければ俺一人で皆さんを助ける事は出来ませんでした』
『例えどうであろうと、勇者様が私共を救ったくださった事に変わりはありません。勇者様が動いてくれたからこそ、全ての奇跡に繋がったのです。勇者様には、皆、心より感謝しております』
涙を隠す事もせず、獅子の魔族がそう言い頭を深く下げる。
それに続く様に、彼の背後にいた全ての魔族、――――男も女も老人も子供も怪我人も病人も、――――その全てがロゼに、深く深く頭を下げた。
その光景を眺めていたセトスが拍手を送る。
ややあってから私がセトスに続く。
拍手はいつしか後処理に奔走していたバルド兵達にも伝播し、大きな波となって一人の青年へと届けられる。
青年は嬉しい様な、困った様な複雑な表情を浮かべて『まいったな』と頭を掻くのだった。