勇者のお供をするにあたって・46
数手の攻防を繰り広げた後、クゥが軽く後方へと下がり、アレスから一旦距離を取る。そうして小さく息を吐き、構え直す。
『いいぞ、クゥ・ド・エテ。久しく合間見える強者よ。自らの血を見るのは何十年ぶりであろうか』
そう言って、小さく笑みを浮かべたアレスの額からは僅かに血が流れていた。
先程のクゥの前宙かかと落しを完全には避け切れなかったのだろう。
クゥはアレスの言葉には返答せず、ただ静かにアレスを見ていた。
油断なくアレスを注視するクゥの視線の中、アレスの持つ剣が禍を纏い始める。
紅い刀身をしたそれはレイピアであろう。
レイピアは細く軽い剣である。そう云った特長から女性が扱う武器というイメージを私が持っている為か、軍神とも称されるアレスの武器にしては、少々不釣り合いに感じる。
漆黒の鎧にその身を包み、紅いレイピアを持つ、鋭い目つきの男。
それこそが皇帝アレスであった。
『切り裂け、紅蒼の命剣』
囁く様にそう口にしたアレスが、紅黒く輝く剣を軽く振る。
クゥとは距離が離れていた為か素振りの様にも見えたそれは、空気を切り裂くと共に紅黒い軌跡を生み出す。
そうして放たれた紅黒い刃の衝撃波がクゥへと目掛け、襲いかかる。
速い。
が、か細い衝撃波を、クゥが僅かに訝しげな表情を見せたまま横飛びで避ける。
それは、紅黒い軌跡を引き連れたまま玉座の間の壁へと接触し、
途端、音も無く壁に大きく一閃が走る。
『え?』
軌跡を目で追っていたクゥが呆けた様な声を漏らす。
私達の見守る中、壁一面が真っ二つに切り裂かれた。
『余所見か?』
壁の異常に気を取られていたクゥに、いつの間にか間合いを詰めていたアレスが真横から斬りつける。
クゥが咄嗟に上半身を逸らすが、避けきれず肩を僅かに負傷する。
尚もその隙を逃すまいとアレスが追撃。
連続して繰り出される剣撃をクゥが手甲で受け止め、その度に火花が両者の顔を照らし出す。
数度火花を散らせた後、大きく振りかぶったアレスの剣が紅黒く瞬く。
クゥがそれを視認し、距離を取ろうとした直後、アレスが剣を振り下ろした。
その切先から先程見たもの同じ紅黒い軌跡が生じ、至近距離からクゥに向けて衝撃波が放たれる。
気付くのが早かった為、クゥに当たる事は無かったが、クゥの真横を通り過ぎたそれは、壁へと飲み込まれ、直後、壁に縦一閃の筋を走らせた。
砂で作った城に糸を通すかの様に壁を切り裂く驚くべき切れ味の技である。
初撃を受け止めていたらクゥは真っ二つになり死んでいたかも知れない。
アレスの紅いレイピアから放たれるそれは、見た目こそ高威力がある様には見えない。
初撃はおそらくクゥも何となく避けただけだろう。
もしくは第六感の様なものが働いたのかも知れない。
『余の魔剣・紅蒼の命剣に切れぬ物は未だ存在せぬ』
アレスはそう言葉を発すると、連続して剣を振るう。
幾多の剣線が様々な角度からクゥへと襲いかかる。
受け止める事は叶わず、クゥがそれを回避し続ける。
クゥが回避に徹する中、私達の目の前の足元に横一閃、紅黒い軌跡が生じた。
驚き、アレスに視線を向けると、剣を振り続けるアレスがクゥを注視したまま言葉を吐き出す。
『余計な横槍は許さぬ』
おそらく私に向けて放った言葉であろう。
アレスの攻撃で徐々に壁へと追い込まれるクゥの援護の為、詠唱を開始した直後の牽制であった。
アレスの牽制に苦々しく顔をしかめる。
そうこうする内に、いよいよ壁際へと追い込まれたクゥの背中を壁が擦る。
不味い。
これは我が身の危険を鑑みている場合ではない。
そう思った私が詠唱を開始するより前、アレスの剣線を避けたクゥが、直後に大きく右足を踏み込んだ。
それは踏み込みと言うよりも、地面を叩きつける様な力強い震脚であった。
その衝撃は地面を伝わり、玉座の間を震わせる。否。城全体が震えている様にも感じた。
『貴様……』
アレスがそう呟いた直後、壁が音を立てて崩壊、天井は崩落――――そうして、トラキア城が瓦解したのである。
城が崩れ始めた直後、アレスに向けて放とうと詠唱し始めた魔法を、瓦礫から身を守る事に転用する。
行使された土属性魔法は、私とセレス、そしてクゥを守る様に岩を形作り、私達を降り注ぐ城の破片から守護した。
『いや~、天井を落とすだけのつもりだったのに、まさか全部壊れちゃうとは』
頭を掻きながらクゥがぼやく。
クゥの行った震脚はトラキア城を全壊させてしまった。
だが、クゥの震脚はあくまで切っ掛けに過ぎない。
城を崩壊されたのは殆ど城の主である皇帝アレス自身の、あの切れ味抜群の技であった。
幾多も放たれた剣線は城を切り刻み、壁を、柱を、天井を脆くしていった。
そんな状態で大きく揺れれば、崩れるのは道理であると思う。
「随分、無茶したわね」
呆れる様に私が言う。
下手をすればアレスと一緒に皆仲良くぺちゃんこである。
『全くだ』
声が聞こえた直後、瓦礫から飛び出したアレスがクゥの顔を蹴りつける。
その一撃でクゥが瓦礫の中へと吹き飛ぶ。
ガラガラと音を立ててクゥが突っ込んだ先の瓦礫の山が崩れていく。
『まぁ、城などさして興味も無いがな』
慌ててクゥの元へと駆け寄る私の背後で、幾つか傷を負ったアレスが崩れた城を一瞥し、吐き捨てる様に言う。
死んではいないだろうと思っていたが、アレスは私が思っていたより軽傷の様である。
足場の悪い中、私が駆け寄ると、瓦礫が弾け、クゥが飛び出てくる。
「クゥ!」
一度、クゥの名を呼ぶ。しかしクゥはそんな私の頭上を勢いそのままに飛び越え、アレスへと拳を突き立てた。
アレスが後方へ跳躍し、それを避けると、クゥの拳が地面へと突き刺さる。直後、その周囲に転がる瓦礫が爆散し、大きな土煙を上げた。
そうして、土煙を吹き飛ばす様にして疾走を開始したクゥがアレスとの距離を詰め、再び両者の戦いが始まった頃、私達の周囲にトラキア兵達が集まり始めた。
ここはトラキアのど真ん中である。当然と言えば当然の話であろう。
そんな中、一人のトラキア兵が私とセトスの前に躍り出た。
『フハハハ! 賊共が! 貴様らはこのトラキア正騎士団副団長ホースト―――まぶふぁ!』
憐れなトラキア正騎士団副団長ホーストなんたらは、名を言い終わる前にセトスに殴られ地面に倒れ伏した。
酷い。
『このまま囲まれては不味いです。私達は囲まれぬ様に彼らの相手をするとしましょう』
セトスの言葉に小さく頷き、砂漠の女神を構える。
クゥも心配ではあるのだが、そうこうする内にもトラキア兵はどんどんと数を増していく。
一体どこから湧いてくるのやら。
セトスの言う様に、いざ脱出、となった時に兵の壁は邪魔であるし、数を増し続ける兵からの集中放火など受けては堪らない。
今の内から対応していくのが良いだろう。
とは言え、私も勇者一行の端くれ。数の力は脅威であるが、トラキア兵一人一人の実力は高くはない一般兵程度に遅れなど取る事などあってはならない。
私は砂漠の女神を構えたまま、小さく息を吸うと魔法の詠唱を開始した。