勇者のお供をするにあたって・45
『小娘が、ふざけおって』
そう怒りの声を上げたのは、クゥの不意打ちにより壁まで吹き飛ばされたビブロスであった。
『およ? 結構強く殴ったのに。牛さん頑丈だね』
ビブロスの怒気もどこ吹く風と云った様子で、クゥが飄飄と応える。
『舐めるなぁ! このビブロス様があの程度で倒れるものか!』
『うん、牛さんが頑丈なのは分かった! 次は本気で行くよ?』
『クハハ! 小娘が粋がりおるわ! ならばこちらも本気で叩き潰してくれるわ!』
ビブロスがそう叫び、戦斧へと禍を込め始める。
忽ち、戦斧はドス黒い魔力に包まれた。
『ゆくぞ! 暴殺岩砕魔戦斧!』
禍を纏った戦斧を頭上に掲げたビブロスが巨体に似つかわしくない大きな跳躍を見せ、そのままクゥへと戦斧を叩き突ける様に振り下ろした。
『ぼうさ、え? なに? 長いよ!?』
暢気にそんな事を言いながら、クゥが右足を踏み込み、戦斧に向け真正面から拳を繰り出した。
『馬鹿が!』
勝利を確信したビブロスが不敵に笑った直後、ビブロスの戦斧と手甲に包まれたクゥの拳が激突する。
甲高い金属音を響かせながら砕けたのはビブロスの戦斧であった。
『バ、バ、ババ馬鹿な! ありえん! あり得んだろ!』
驚愕の表情のビブロスが両者の間に生まれた衝撃波を受け、一瞬、宙に浮いた様に落下を止める。
おそらく、ビブロスは一度クゥを誘拐したという経験から、クゥの実力を自分よりも下だと判断していたのだろう。
それはあながち間違いでは無いが、正解でもない。
天性の勘の良さと、苛酷な状況下を乗り越えて鍛え抜かれた素質を有しているとはいえ、生身のクゥはあくまで一魔族に過ぎない。魔法への耐性は殆ど無いに等しい。
が、それは生身であればの話であり、彼女が普通の魔族であればの話である。
残念ながら彼女は、最古にして最強の竜を祖父に持つ、ある種の異端児である。養子だけど。
『じゃあね、牛さん。 ―――竜王大咆哮!』
戦斧を破壊したのち、直ぐ様、手甲を竜の翼へと変化させたクゥが、空中で無防備を晒すビブロスに向けて必殺の一撃を放った。
放たれたブレスは巨大な一本の光となり、玉座の間の天井を突き破り、その先の城の壁すらも越え、音速で夜空へと昇っていく。
『ま、魔お―――!―――!』
大破壊をもたらす光の直撃を受けたビブロスの悲痛な叫び声は、大咆哮に飲まれ、最後まで私達の耳に届く事は無かった。
『わーい!』
無邪気な笑顔を貼り付けたクゥが、片手を上げて勝利を喜ぶ。
その少し後方で、クゥの助っ人に入ろうと隙を伺っていたセトスが、剣を構えたまま口を開けて硬直していた。
顎、外れますよ?
かく言う私も、詠唱の言葉を形作ったまま呆気に取られていた。
別格過ぎる。
大悪魔が全く相手になっていない。
クゥは、竜王ザ・ワンの加護を受けてからというもの、戦闘力が以前の比では無い位に上昇している。
オンフィスバエナ戦では初めての変化に戸惑い、何処かぎこちなかった動きも、天性の勘の良さをもって徐々に掌握しつつある様だ。
もはやクゥは魔族というより、小さな最強竜である。
「ねえ、クゥ。あなた、今のロゼより強いんじゃないかしら?」
『えー? ロゼの方が強いよー?。ロゼは、凄く強くてーキラキラかっこよくてーめちゃくちゃ優しくてーとっても頼りになってー』
「そ、そう」
くねくねと身をよじりながらロゼを誉めちぎるクゥの言葉を遮る様にしてそれだけ返す。
別に間違っているとは思わないが、クゥの中のロゼはだいぶ補正が入ってやしませんか? 王子様補正が。
別に良いけど。
『流石はカーランの女神様です! 素晴らしい! 感動しました!』
そんなやり取りをしていると、驚きから立ち直ったセトスがクゥを誉めてきた。クゥ教に入信しそうな勢いで。
『クックックッ、勇者を誘き寄せる餌とばかり思っていたが、これは中々の掘り出し物の様だ』
愉快そうに口を開いたのは、玉座の横で成り行きを静観していたもう一人の大悪魔であった。
『―――マーちゃん。離れてて』
大悪魔が言葉を発すると同時、先程までの緩い空気など露程にも感じさせず、クゥがその大悪魔に目を向けたまま告げてくる。
でも、と口を開きかけて止める。
今の私では足手纏いになりかねない。
「無茶をしては駄目よ?」
それだけ返し、広い玉座の間、セトスと共に壁際ギリギリまで下がる。
私とセトスが下がった事を確認すると、クゥが手甲を顕著させ構える。
『闘いの前に自己紹介をしておこう。私は……いや、余がトラキア帝国皇帝アレスである』
大悪魔がそう名乗る。
おそらくそうだろうとは思っていた。トラキアの君主にして、軍神とも称される皇帝アレス。
まさか本当に大悪魔が支配する国であったとは。
この国だけではない。カーランも一歩間違えば魔王の手に落ちていただろう。
魔王が、着実にその領域を拡げつつある事を実感する。
「エテ族のクゥ・ド・エテ。ただの魔族だよ」
アレスに向けて、クゥがそう自己紹介した。
初めて聞くフルネームとエテ族という単語を口にしたクゥに僅かながら知らない人でも見る様な感覚に陥る。
『エテ族か。戦士の一族だな。戦士という立場が災いして全て滅びたと思っていたが、まだ生き残りがいたか』
アレスがクゥの言葉を吟味する様に口を開く。
『親も兄弟も死んだ。私達家族以外のエテ族は私も見た事がない』
『そうか。だが、それが世界のあるべき姿。世界が求めているのは強者だ。弱者は滅びるのは真理。―――ああ、そうとも、クゥ・ド・エテ。
余とそなた、世界が求める者はどちらなのか、ここでハッキリとさせようではないか』
僅かに笑みを浮かべたアレスがそう語り、剣を抜く。
クゥは何も答えず、構えを崩す事なく、ただアレスを真っ直ぐ見つめていた。
『クックックッ、興味が無い、と云った様子だな。ならばこういう動機はどうだ? 余を倒せば我がトラキア帝国にて奴隷となっている魔族共を解放する事が出来るぞ? まぁ尤も、勇者が先走って奴隷解放に動いている様だがな』
『魔族が? この国に魔族がいるの? それにロゼが』
僅かに動揺した様子のクゥが、真意を確める様に私に少し目を向けてくる。
その視線に、私が大きく頷き返す。
『少しはやる気が出たかね?』
アレスがクゥに問う。
『俄然やる気が出てきたよ』
『それは結構』
アレスが笑みを浮かべながら、緩やかな足取りでクゥへと近付く。
だがそんな足取りとは裏腹に、アレスはその巨大な禍を放出させる。まるで見せつけ、威嚇するかの様に。
しかし、そんなアレスに一切怯む事なく、クゥはアレスと対峙する。
徐々に距離を詰めたクゥとアレスは、今や一歩踏み出せば手が届く程の至近距離で向き合っていた。
玉座の間に僅かな静寂が拡がる。
その静寂を吹き飛ばしたのはクゥであった。
クゥは、消えたと錯覚する程の速さで懐に潜り込み、アレスの鳩尾を狙って拳を突き出す。
そのクゥの拳が当たる寸前、アレスが手に持った剣の柄で拳を横から殴りつける様にして逸らす。
拳を逸れされ、勢いのままに体勢を前へと崩したクゥだが、拳の勢いのまま前宙、アレスの顔面目掛けてかかとを振りおろした。
アレスはそれを紙一重で避けると、剣を横凪ぎに繰り出してクゥへと斬りかかるが、その刃をクゥが片腕で滑らせる様に受け流す。
カリカリと甲高い音と火花が両者の間から瞬いた。