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【Rhapsodie en rouge】 2

 もうどのくらい走り続けただろう。

 ほんの数分のような気もするし、もっともっと長い気もする。時間を示すようなものは何もなく、風景は延々と同じまま。

 不思議と体は辛くなく、それなのに急がなければという思いに胸が苦しくなる。


 早く、早く。

 手遅れになる前に。


 いったい何がと疑問に思う時間すら惜しく、ただひたすらに。

 前へ、前へ。

 彼女のところへ――――。


「ふぇっ!?」「っ!?」

ふいに右端から現れた人影を、とっさによける。

 大きく体をひねった勢いで、俺はそのまま思い切り地面に倒れこんだ。

「いてて……」

「ご、ごめんなさいっ! 大丈夫……?」

左腕を擦りむいたのか、ひりひりとした痛みを感じながら顔を上げる。心配そうに俺の顔を覗き込んでいたのは、松明の明かりに照らされた一人の少女だった。

「あ、あぁ……だいじょう、ぶ」

松明の明かりのせいか、ほんのりと赤く見える真っ白な肌とそれを彩る見事な金髪。こちらをのぞき込む宝石のような赤い瞳は、俺の返事にすっと細められた。

「嘘。今腕すりむいたでしょう?」

「えっ……」

一体どこで気づいたのか。それとも超能力じみたものでも持ち合わせているのか。

 俺の反応を肯定と受け取ったらしい少女は、あきれたように笑って俺の腕に手をかざした。その手元に光が集まり、腕の傷口へ入り込んで。

 一瞬にして、俺の腕にあった傷は消えていた。

「これで大丈夫」

「あ、ありがとう……」

まだかすかに残っているぬくもりに手を重ね、俺はとりあえず彼女に言う。

「でも、どうしてあんなに急いでいたの?」

不思議そうに首を傾げた彼女に、俺自身もさっきの焦りを思い出した。だが、今はひどく落ち着いていて先ほどの焦りはいったい何だったのだろうかとすら思う。

「……わから、ない」


「目が覚めたら、ここにいて。何も思い出せなくて……でも、」



『ごめんね、――』



「〝誰か〟に、会いに行かなきゃって」


 考えれば考えるほど、妙な話だ。

 会いに行かなきゃいけない〝誰か〟なんて。

 顔も名前も、思い出せないのに。

 そもそもそんな〝誰か〟が存在するのだろうか。

 自分のことすらあいまいでよくわからないのに、今出会ったばかりのこの少女が信じるわけがない。


 そう、思った。

 のに、


「……じゃあ、早く会いに行ってあげなくちゃね」 


 そういって、少女は笑った。

 まるで疑う様子もなく、無邪気な笑顔で、笑った。


「実は私も似たようなものなの。しばらく歩いていたんだけど、誰にも会わなくて……」



『君に会えて良かった』


「っ!?」

一瞬、何かが脳裏をひらめいた気がして。

「どうか、した?」

「いや……なんでも、ない」

しかし、それはさざ波のごとく遠ざかり再び白のはざまに消えてしまった。

 俺の返答に少女はまた首を傾げたが、深く追求することはなく。代わりに、座り込んでいた俺に手を差し出した。

 白くて細い、触れれば折れてしまいそうな手と彼女の顔を見比べる。

 すると、彼女は少しじれったそうに俺の手をつかんで立ち上がらせた。

「ほら、行こう。早くしないと、その誰かさんが待ちくたびれちゃうよ」

「……あぁ、そうだな」


 その手は思った通り、小さくて柔らかくて、温かくて。

 しかし思いのほか、強引に。

 俺を立ち上がらせた。


 その手にひかれるまま、俺は彼女の後を追おうとして。

 思わず出しかけた足を、止めた。

「……やっぱり、気になる?」


 それは、彼女の背中にある翼。

 左翼は白くて柔らかそうな、立派な翼だ。

 だが、右翼は。

 無残に焼け折れていた。

 むき出しの肩にも、やけどの痕が残っている。


「これは、私の罪なんだ」


 俺の手を放し、彼女は肩越しに自分の焼け折れた翼を見る。


「でもね」


 その目は、まるで。


「これは、私が〝あの人〟を想った証なんだよ」


 何かを、愛しむように。


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