妄想という名のイメージを想像する。
善は急げ、とばかりに追い立てられ家に帰される。
「とりあえず、来週末までで。駄目な時はいつでも連絡ください!」
追い撃ちの言葉と、来た早々追い返されるのが楽しいのか薄ら笑いを浮かべるメイドに見送られる。
(曲ったって、何から始めればいいんだ?)
アパートの離れの防音室。5畳ほど空間に、ピアノが1台と楽譜やらCDやらが乱雑に収められたカラーボックスが1つ。整理整頓の行き届かない所が、ここの管理者の性格を表しているようだ。
ピアノ奏者以外に数人は入れるであろう残りスペースに、想定収容人数分の数脚のパイプ椅子が壁にもたれ掛かっている。
決して広くはないその部屋は、1人でこもるには悪くない密室間であった。
ピアノの前に座ってはいるが、部屋に入ってから1度も鍵盤には触れていない。1枚の紙とにらめっこに忙しいのである。
アカリが記した詞は、少女の片思いを描いたものであった。歌詞を読めばそれくらいは理解できる。問題はそれに合うメロディを生み出す作業である。今まで出来上がったものを正確に演奏することにのみ力を注いできた大地には未知の領域であった。
そんな、気持ちばかりが下がる室内の空気を吹き飛ばすように勢いよく扉が開かれる。ここの扉は、防音の為二重の造りにはなっているが、アカリの家のような重厚なものではく誰でも簡単に開くことができるとても軽い扉である。
「だーいちくん! 遊びましょ!」
「亜沙子さん、忙しいのでまた今度でお願いします」
小学生のような呼びかけて現れた亜沙子。扉へ目を向けなくともわかる。それは声で判断したわけではない、防音室の管理は亜沙子であり、使用の際は必ず連絡することになっている。他の使用者がいないか確認の為である。住人は誰でも使用可能ということのなので、ブッキングが無いよう確認は必須事項である。が、毎日練習が必要な音大生は自分以外はいない。あとは、ここの管理人亜沙子が気まぐれに使用するだである。
気まぐれな亜沙子は、気が向くと練習を見てくれるがその気まぐれで練習がはかどった日はない。
「えー、だって大地くんさっきから何もしてなかったでしょう~、お姉さんと遊びたくて待っててくれたんじゃないの?」
それはないです。きっぱりと否定したが、亜沙子には届かない。
この手の人には、どう言えば引き下がってくれるのか自分には一生理解できないと思う。
「何もしてなかったのではなく、考えていたんです。あと、亜沙子さんを待ってたことは1度もありません」
2度目の否定も、何事ももなかったように亜沙子を通り過ぎていく。暇を持て余してやって来た亜沙子には、恰好のおもちゃを見つけた喜びで横から吹くそよ風なんぞ目もくれない。
「なになに!! 曲作ってるの? 課題なの?!」
「課題とかではないですけど、その、なんというか……」
仮にも、ピアノや防音室を貸してくれている恩人に隠すことではない。ただ、どこまで説明すればいいか悩んだだけである。しかし、勘のいい亜沙子には1からすべてを話すことになるのにそう時間はかからなかった。
「へぇー、大地くんは課題の練習もしないで曲作りに精を出してるなんて、余裕だね!」
そんなつもりはないのだが、胸に刺さるものは少なからずある。亜沙子自身に悪意がないことを理解しているのでさらに重いものが自分の上にのしかかる。
(ふーん、いいとこ突いてるね大地くんを誘った子は。……だとしたら、私が口出しするのはダメだよねー気をつけないと!)
亜沙子は、よく滑る自分の口にチャックをするように固く結んだ。
「どうかしました?」
急に黙り込んだ亜沙子を不審に思い呼びかけると、亜沙子の顔がみるみる楽しいこと(主に意地悪)を思いついた時のニヤニヤとした笑顔になる。
「大地くん誘った子って女の子でしょう?」
相手についての詳細は話さなかったのに、見事に見抜いてくる亜沙子に驚いてしまい自ら墓穴を掘る。
「ヒドイわ! 大地くん! 私という『カワイイ彼女』がいるのに、他の女に手を出すなんて!! きっと、その子は年下なのね!」
だから、なんでわかるんだ!! 自分の話の、どこを聞いたらここまでわかってしまうのか、理解の許容範囲を軽く飛び越える亜沙子。自分はまだまだ子供なのか、と落胆する。
「というか、亜沙子さんいつ彼女になったんですか?!」
「初めて会った時、『これはイイおもちゃを見つけた!』って思った時から私は大地くんの彼女になったのよ!」
またも飛び出した、理解不能の回答に驚いている間に亜沙子はするりと移動して、お互いの息づかいが聞こえるまでの距離に近寄り、耳元でささやいた。
「『彼女』ってことにしておくとね、いいことあるのよ~、お互いの合意のもと体に触れ合ったり、一緒に……とか、ね♪」
亜沙子の誘惑にクラクラしながらも理性を保つ。これは、罠だ。甘い匂いに誘われて手を出すとえらい目に合うに違いない。しかし、この近距離だ少し動けば体がぶつかることは自然な流れ、距離が近すぎて椅子から転げ落ちることも致し方ない。ちょっとした事故だ、人は落ちそうになると何かを掴んで助かろうとするものだ。
そう、これは事故なのだ。距離を取ろうとして椅子が倒れてしまい、とっさに近くにあるものを掴んでそのまま倒れてしまう。
――よし! これだ!!
すでに、理性の欠片もない大地の脳が足へと信号を送り動き出そうとした刹那、亜沙子の体が離れ椅子だけを倒し立ち上がるだけなった大地。その反応は、亜沙子が求めたものだったようで彼女はいたずらっ子のような目つきで笑った。
「あぁ、もう! 大地くんはイジりがいあるな~♪」
亜沙子の満足そうな笑顔を見ながら、何も起きなくて本当によかったと大地は心の中でそっと胸をなでおろした。
「さてさて、私はたっぷり楽しませてもらったので今度は大地くんのターンだね。先輩の私に、なにか聞きたいことは?」
先ほどの余韻のせいで、一瞬中学生で思春期真っ盛りな質問が浮かんだが、現在大学生で大人な自分は普通に疑問を口にした。大人、ですから。
「作曲って、どうやればいいかわかりますか? 先輩」
今、一番聞きたかったことを質問したはずなのに、なぜだか心の中で消えかけていた中学生が怒っている気がした。
「そうだね、大地くん小説は読む?」
「いえ、特に読まないです」
あれが、一番『イメージ』するのにいいんだけど。と、つぶやきながら亜沙子は頭をひねった。
「じゃあ、さ、歌詞はあるわけだし音は一旦置いといて、どんな場面か見てみよう。文章で理解するんじゃなくて、映像で思い浮かべるの」
歌詞からどんな画になるか思い浮かべる。大地は頭の中でキーワードを並べ思い浮かべる。
……夕方、帰り道、二人、あとは月? かな。
「それができたら、その映像のイメージに合う音をのっけましょう! ハイ、完成」
簡素すぎる説明に、また、遊ばれたのか? と、大地は亜沙子を訝しげな目で見つめる。その熱い視線を、期待されていると都合よく解釈して亜沙子は期待にそうよう、務めを果たす。
「その妄想に、私を登場させて1枚、1枚服を脱がしていくともっと楽しいわよ♪」
もう、いい加減にしてください。怒りを通り越して呆れてくる大地。
「ゴメン、ゴメン。お詫びにイイもの貸してあげるから、今日はもうやめなさい。このまま煮詰まっていてもなにも出てこないでしょ?」
亜沙子は「ちょっと待ってて」と言い残し、母屋に戻った。
確かに、このまま悩んでもどうにもならないかもしれない。なにも出来ない、無力な自分に焦りを感じながらも鍵盤に触れることが出来ないでいる。
パタパタと戻ってきた亜沙子。手には、透明なケースに入ったディスクが2枚。
「こっちの、青いほうがインストールディスク。で、オレンジの方がゲームディスクね」
そう、言いながらケースについた埃を払い出す亜沙子。この、狭い空間においてとても迷惑な行動を平気でとることがとても亜沙子らしいと、埃にむせながら思う。
「ノベルゲームだから、文章を読み進めてたまに出てくる選択肢を好きなの選んでいってね」
だけど、目的は息抜きじゃあないからね。と、念を押す亜沙子。優しくも厳しい、その表情は普段の亜沙子らしさは消え『先輩』としての威厳に満ちていた。
「重要なことは、場面ごとに流れているBGM。よく聞いてよく読みなさい」
大地くんが求めているものがみつかるかもね。そう、言い残し亜沙子さんは扉へと向かっていく。
自分が求めるもの。自分に、足りないもの。すべてを見透かしたような亜沙子の言葉に心を掴まれた。この人は、やはりすごい人なのではないか? 改めて、亜沙子を先輩として認識した大地。
「ちなみに、ストーリーを進めれば……ムフフフ♪ 徹夜しちゃだめよ♪」
大地の信頼を最後まで保てない亜沙子。
幕が下りきるまで、我慢が出来ない。これもまた亜沙子である。