『F・M・L』それは音と触れ合う新しい世界。
見た目より軽いゴーグル型の機械を頭に取り付け、クッション性の高い椅子に深く体を預ける。
右側のこめかみ部分にある丸いボタンを押す。これが主電源なのだと、明光は自身がセットしている機械を使い説明した。静かにモーターが回るような音と共に、カタカタと音を出し『フィール』は起動し始めた。この辺はパソコンと何ら変わりはないようだ。
「大地さんは初めてなので、初めに初期設定があります。といっても、勝手にスキャンするので特になにもしなくていいですよ。ただ、その時間の分スタートしてもフィールドに出れるまで少し時間がかかりますので、少々お待ちください。こちらの機体とは、リンクがされているので出てくる場所は一緒になります、ご安心ください」
先程まで暗闇であった目の前の視界が開けた。現在はまだ、機械を通して部屋の中が見えているだけだ。隣で明光がこちらに手を振っている。機械のセットが完了したかの確認だろう、こちらも手を振り返す。
「それでは行ってきますね、香佳さん。何かあったらよろしくお願いします」
「お任せ下さい、お嬢様! お嬢様のお体は私が全力でお守りしますので!!」
香佳の視線がこちらに向けられた。
「大地様のお体も……お任せ下さい」
香佳の口端が上がり、ニヤリと笑った。
「じゃあ、行きますよー。ミュージックスタート! ポチっとな」
「ちょっと待て! まだ心の、俺の身の安全の準備がーーー」
いってらっしゃいませ、お嬢様。深々と頭を下げる香佳。モーター音が激しくなり、視界が暗転した。暗闇に吸い込まれるような、睡魔に意識を持っていかれるような感覚。これが『P・Cリンク』システムなのか――。
指先から感覚が戻り、全身へ神経が通り意識が戻される。頭が現状を理解しようと回り始めた。しかし、ぼんやりと朝のまどろみにも似た感覚が押し寄せ大地は再びその欲求に身を任せようとした瞬間、大地は世界ごと揺らぶられた。
「大地さん、大地さん! もういいですよ起きてください!」
胸ぐらを掴まれ、遠慮なく揺さぶられた大地は無理やりヘッドバンキングさせられる。頭が、後ろから前へ返ってくる度何かが鼻をくすぐり甘いシャンプーの香りがした。
揺さぶりといい香りのダブルパンチで完全に目を覚ました大地は、胸元を掴む腕を強引に引き離し反動で後ろに倒れ込んだ。目を開けると、目の前には同じく倒れて尻餅をついている白い髪の少女いた。
「うわぁ、誰!?」
「ちょっと、それはないんじゃないんですか? 失礼ですよ、女の子の顔見て驚くなんて!」
『ぷんぷん!』とわざわざ口で言いながら怒っている目の前の少女。聞き覚えのあるその声、見覚えのある顔に頭が冷静さを取り戻す。
「明光……なのか? なんでそんな白いんだよ? ってか、なんだそのジャージは?」
彼女は、長い髪を揺らしながら立ち上がった。白く長い髪、緑色のジャージに黒いスカート。黒のハイソックスに黒の革靴という出で立ちの明光。やれやれ、と軽く頭を降ると明光は説明を始める。
「髪の色は、初期から変更可能な数少ない個性です! あと服の色も変えれますよ」
嬉しそうにその場でくるくる回り、ご自慢の衣装を披露する明光。誰がどう魅せようとも、それはジャージ以外の何者にも見えないのだが。
「男の人の初期設定は上下ジャージ。で、服と髪の色が変えれます。女の子はスカートとズボン、シューズと革靴との変更が可能なのです。女の子の方が初期でも変えれるものが多いのは、運営さん! わかってるね! ですね♪」
大地は、改めて自分のジャージ姿を複雑な面持ちで眺める。
もっと普通の服にできなかったのだろうか。そんな納得のいかない顔をしていたのであろう。明光は、大地を説得するように言葉を紡ぐ。
「ジャージの方が、駆け出しのバンドマン! って感じが出ていいでしょ?」
彼女は、自身のジャージ姿に満足の様子である。
「そういえば、顔や体型も特に変わらないんだな」
「ええ、変更できないのはリアルを追求したシステムということも一つの要因ですが、顔も体格も変えてしまうと、業界のスカウト側が困りますからね。性別も変えれませんよ。女装、男装みたいなのは衣装変更でできますけど」
この世界のコンセプトは、利用者には『みんなに自由な音楽を』、業界側には『新たな才能の発掘を』という目的があるので後々のことを考慮して容姿の変更はなし、となっている。
「そもそも、容姿だけで人気バンドになんてなれませんよ、私達の武器は歌なんですよ! 歌!!」
声高らかに宣言した明光は、続けてあーだこーだと講釈を述べ始め、壊れた蛇口のように止まらなく。
分かったから、興奮するな。大地は、明光をなだめながらそろそろ移動したいと思うのであった。
大地たちが出現した場所は、草原のような所で近くに大きな門が見える。ここは『ビギニング・ゲート』だと、明光は言った。ゲートを通り広場に出ると、色んな人たちが往来して混雑している。広場に立ち入ると、目の前に丸いウィンドウが現れた。ウィンドウの中にスーツを着た女性が映し出される。
「VRMMO『F・M・L』の世界へようこそ! 初めまして、私はこの世界の案内人『アンナ』です。これから、操作方法や機能などをご説明させていただきます。それでは、まず――」
「案内は結構よアンナ」
明光の冷たい物言いに、悲痛な表情になるアンナ。
「そんな、私にできることはこれだけなのに……どうか! 今月のノルマの為にナビゲーションをさせてください!」
ノルマがあるのか? ナビゲーションに? なんてプログラムをされているんだこの案内システム。大地の驚きを他所に、明光は淡々と話を進めていく。
「案内は私がするから別にいらないわ。大体ね、アンナは説明が長いのよ」
明光は、アンナのウィンドウを消そうとバツボタンに指を近づける。
「いや! やめて! 私は案内なしでは生きていけないの~~」
情け容赦なくウィンドウを閉じる明光もどうかと思うが、それ以上にこのナビの言葉の設定のほうが正直どうかと思う大地であった。
さて、邪魔者は去りました。行きましょうか、大地さん。ニコリと笑顔を向ける明光。先程のナビへの酷い仕打ちなぞなんのその。
歩きながら説明していきますね。よほど嬉しいのか、明光の声は跳ねている。
「まず、このVRMMOは誰でも自由に音楽を楽しめることがコンセプトです。これはさっきも言いましたよね。じゃあ何が自由なのか!? 聞くこと、見ること、そして、演奏をすること。これらを好きな時に好きなだけ楽しめる! そんな自由をこの世界は実現したのです!!」
急に立ち止まり、こちらに輝く瞳と細い人差し指を向ける明光。もちろん、輝いて見えたのはシステムの範囲内とかではなく大地の勝手なイメージである。
「現実世界では、音楽活動をするにはどうしてもネックになってしまうことが沢山有ります。かく言う私も、体が弱く普通にバンド活動なんて出来ません」
脳波だけを、この世界でリンクさせ読み取ることで体を動かす仕組みとなっている、これなら足が不自由な人もこの世界では自由に歩ける。腕を怪我した演奏者もまたこの世界で演奏が楽しめる、ということか。素直にこの姿勢に感動した大地であったが、明光は1撃で大地の思いを破壊する。
「一般人には、お金が掛かるのが一番のネックですけどね」
返せ! 今の俺の感動を返せよ!
「そして、運営並びに各音楽業界への最大のメリット。それはなんといっても宣伝効果の高さですね! ここの利用者は皆、音楽好きが集まっているわけですから当然ですけど!」
人垣をかき分けながら進む明光の背を追う大地。この人混みで声が普通に通るのも、この世界のシステムの一つか?
「さてさて~、大地さん! 私達がこれから向かうのは勿論! バンドマンたちがしのぎを削る激戦区! なのですが、その他には何があると思いますか?」
「ナビの仕事はどうした、それを説明してくれるのではなかったのか?」
「一つも分かりませんか? もう、困ったちゃんですね! またまた、説明大好き明光ちゃんの出番ですね♪」
ふむ、どうやらこのナビはこちらの意見は聞いてくれないようだ。
「この世界の自由は伊達じゃない! バンド、オーケストラ、ダンスに演劇、そして、お笑いにも対応!」
「お笑いって?」
「芸人さんが新ネタのウケ具合を試しに来たり、素人さんが芸人目指してストリートで漫才をする。なんて使い方もしています」
「主に舞台を使うことなら何でもできるということか」
「そうです、使い方も自由です。最近は『F・M・L』専門のお店も出来ていますし、カラオケボックスやネットカフェにも置いてあるのでより多くの人達に利用されています」
自分は、どちらも利用しないから知らないわけだな。
広場から北へ進み、数分歩くと分岐点が見えてきた。
「この分かれ道で、それぞれ目的の場所へ向かいます。私達はまっすぐ行きます」
分かれ道の先は、絵でかかれた壁みたいになっている。それぞれを示すマークが浮かび上がっており、それで行き先の判断をする、ということであろう。大地たちが向かうメインストリートには、ギターを型どったマークになっている。とても分かりやすく好感触である。明光の指示で、大地が浮かんでいるマークに触れると中へと移動した。
足を踏み入れたメインストリートには、丸い形のウィンドウが無規則に浮かび上がっている。まばらに見える人々はそのウィンドウを覗きこんでいる。
「忘れてました! 大地さん、先にメンバー登録をしましょう。何処でもいいので指でダブルクリックです」
明光は、自身の顔の前で人差し指を二回タップする。マウスの左ボタンを二度クリックするのと同じ要領だ。
大地は、明光の真似をして空中をダブルクリックする。すると、半透明のメニューウィンドウが展開した。
「左上の名前のところをタッチしてください、それで大地さんのプロフィールが開きます」
メニュー左上の『ダイチ』と表示しているところに触れると、プロフィール画面に切り替わる。
「そしたら、こちらの方でメンバー申請をしてプロフィールをスライド」
明光のプロフィール画面が、指で弾かれ大地のプロフィールに重なると、登録するかの選択肢が現れる。
メンバー登録しますか? ○/×
マルを選択するとプロフィール欄のメンバーに『アカリ』という表示が追加された。
「この横のフレンドっていうのと違いはあるのか?」
「その名の通り『お友達』です! フレンドとメンバーは、顔見知りと親友ぐらいの格差がでます!」
本気とも冗談とも取れる明光の言葉ではあるが、大地にその確認をとる勇気はない。
「フフン、私は『お友達』いますけど大地さんはまだぼっちですから私が親しい友達になってあげますよ!」
明光の鼻が伸びているようにも感じるが、とても嬉しそうにしている顔を見せられたら大地は腹も立たなかった。段々麻痺してきているのだろうか?
「それでは、晴れてメンバーとなったのでこれからは敬語は無しですからね、ダイチ」
名前が呼び捨てに変わったくらいで、今まで、ほとんど敬った言動はしてなかった気がするが……。
「分かった、分かった。次の説明にいってくれ、アカリ」
「ではでは、今度はストリートの楽しみをレクチャーしちゃうぞ♪」
一般的に可愛く見えるのであろうポーズを決めるアカリ。ウインクしたら目から星が出てくる。という機能はないみたいだ。
そんな彼女のことを素直に可愛いと思ってしまう。ポーズがではない。
楽しそうにしているその笑顔に、だ。
相変わらずのにわか知識にボロが出てきそうな感じです。さらっと流してくれればダイジョブであります。