輝く海に月がのぼる。
CDのように、同じ音を繰り返す音源にこちらが合わせる。この作業は、考えていた以上に難儀であった。個人活動を中心に行ってきた3人が寄り集まっているのだから仕方がない。そこに、一切ペースを乱すことのない音を足すのだ。慣れるまで時間がかかるのが普通である。と、時間がかかったことに言い訳を付けてみた。しかし、ステージの上では言い訳など言ってはいられない。ミスは、そのままライブに影響する。自分の苦悩を他所に、この兄妹はとても楽しそうにしている。
――下を見ていれば落し物は見つかるかも知れません、でも前を向かないと希望はありませんよ。
言いたいことはわかるが、そこはストレートに言ってもらっても構わない。実際、不安で気持ちが下がっているのは自分だけだ。だが、自分が頭を抱えているのは初ライブへの不安だけではない。もう一つ、考えていることがあるからだ。遠慮して言わない、その選択は間違っている。自分の考えはしっかりと伝えておかないと、スタートダッシュでつまづくわけにはいかない。このまま、自由人2人をのさばらしておくは非情によろしくない。
ここでの、明確な立場を受け入れたダイチは役目を果たすため動き出す。
「提案なんだけど……、初ライブはサポートなしでやらないか?」
素早く反応するのはアカリだ。こういう時アキラは何も言わず見守っている。最年長の貫禄だろうか? そういうのはもっと違う場面で見せて欲しいところだ。
「本番まで日がないというのに、何を言ってるんですか? それじゃあ、これまでの私の苦労はなんだったんですか! アカリちゃん、練習いっぱい頑張ったのに全部無駄になるのですか!?」
主に頑張ったのは、俺とアキラだけどな! アカリの功績が何もないとは言わないが、楽器を演奏してアカリに合わして曲の調整したのは俺らで、それに合わせて演奏するのも俺らだからな!
「練習は無駄にはならないし、3人でやったほうがむしろ問題はなくなる。それと、ギターもベースもいずれは必要になるんだから曲を作った今、完成させおくのは当然だろ。だから、これも無駄にはならない」
「だとしても、なんでこのタイミングで言い出すんですか?」
「……スタートくらいは、3人のほうがいいと思ってさ」
いいんじゃない? 意見は出さないが、軽口でうまくまとめようとするのはアキラ。ここで、アカリがゴネなければすんなり意見が通る、これが3人の間で自然とできたチームワーク。と、いう名の暗黙の了解。提言する自分、反論するアカリ、まるく治めるアキラ。三位一体、3つは上手く回り、綺麗な三角形と成る。
少しの間、考えたアカリは素直に納得してくれた。もっともな意見で拒否されることはない、と思ってはいた。だが、この意見には少しの思惑があった。アカリの性格を理解した上での提案である。手持ちの武器が少ない自分達が出来るとても小さな抵抗。アカリに対しての隠し玉、とも言う。
曲作りや練習で、しばらく息を潜めてきた“ルナ・ディスタンス”が遂に日の目を見る。デビューステージは来週に決まった。
今までとは異質の緊張感に襲われ悩むダイチに対して、デビューステージに喜びを抑えきれない能天気兄妹。それぞれの想いは、同じ場所に向かって進んでいく。先頭に立って障害物を受け止めるダイチの役目も、これから始まるのであった。
ライブ開始時間より早く集まり、最後の練習を行うため3人はログインをする。早速、トレーニングエリアに向かおうとしたダイチはとてつもない違和感に囚われる。
「ちょっと待て、2人共。なんだ、それは?」
いたずらを誤魔化す子供のように、あさっての方向を向いて口笛を吹く。などという典型的な行動をとっている兄妹にダイチはため息をつく。
「あのさ、俺たちはメンバーだろ? チームなんだろ? もっとチームワーク大切にしてこうぜ」
前回のログイン時は皆、ジャージ姿であったはずが。現在ジャージはダイチのみ。
「心配しなくても、ダイチの分のポイントは残してありますよ」
アカリは、さらりとメニューを操作してダイチの服を変更する。瞬時に、ダイチの服装が切り替わり衣装チェンジが完了する。スッキリとしたシルエットに高級感あふれる生地の質感、黒と白のコントラストが映える。上着の裾が長く、まるでツバメの尾のように二つに分かれている。
「って、燕尾服じゃねーか!」
「ああっ、ごめん! 大切なものを忘れてたね」
すかさず追加された蝶ネクタイで正式礼服が完成する。
「問題はワンポイントの話じゃない! 全部だよ! 全部! こんな服、発表会でも着たことねーよ!」
一杯まで空気を入れた風船が破裂するかのように、せきを切って笑い出す2人に釣られて自分も笑いだしていた。
ひとしきり、3人で笑って緊張感が取れたようだ。アカリが狙って起こした行動か、ただただ、天然だったかは不明だが気分は軽くなった気がした。
アカリは、白く長い髪に合わせて涼やかな白のワンピース。アキラは、炎のように立ち上がる髪の赤色に赤いタンクトップ、濃いデニムを起用。パンツをハーフパンツにしなかっただけ良しとしとこう。自分は、白のワイシャツに黒のスラックスと地味にまとめた。それに、アカリ達ての願いで黒い細身のネクタイを着けた。イマイチまとまりのない3人、悪目立ちするのは1人だけなのだが。後々、改善するとしよう。
最終チェック、といってもピアノとドラムしか使わない自分たちに楽器の調整はほぼ不要。そもそも、故障も起きない、摩耗も劣化もしないのだから当たり前だが。問題があるとすれば、たまに起きる読み込み不調で少々音が飛ぶことがあるくらいだ。これも、ほぼないと言って過言ではない。初心者などの為に、チューニングもメニューでできてしまう。
「あっ、そういえば宣伝とか何もしてなかった。人、集まるだろうか……?」
自分のことに手一杯で、外側に目をやるのを忘れていた事を今更後悔する。
「安心してください、ちゃ~んと香佳さんにやってもらいましたので!」
上機嫌でアカリが取り出したのは、A4サイズのポスター。普通のポスターではない、背景が動画として再生される優れものだ。動画は、前のライブ映像でポスターに触れると再生されるようだ。ここまできて、そんなことには驚かないのだが、それより気になったのはポスター書かれた文章、謳い文句だ。
“ 天使、再臨! 天使が使い魔を従え再び地上に舞い降りた――。
彗星のごとく地上に降臨した天使が遂に本格始動!!
全世界メイドが泣いた! 天使の歌声に恍惚せよ!! ”
「二度と、香佳さんに告知は頼まないでくれ」
「えー、私はいいと思うけどなー、ほら!“恍惚せよ!!”ってすっごくカッコイイし!」
その言葉、そんな使い方してるヤツ初めて見たわ! それ以前に、なんで天使なのに『使い魔』連れてくるんだよ? って、誰が使い魔だ!!
「せめて、バラまく前に、手遅れになる前にチェックさせてくれ」
おフザケが過ぎる宣伝で、果たして人は集まるのだろうか? 少なくとも、知人たちには呼びかけておいたのでお客ゼロはないだろうが……。また一つ、自分の気苦労が増えた気がした。
「よし、行くぞ」
2人に伝えた言葉だが、自分を鼓舞する意味もある。自分は2人ほど図太くない、良い意味で。ステージに楽器を設置して、時計に目をやると開場する時間のカウンドダウンが始まっている。舞台袖のスペースがないため、ステージの周りにだけ外が見えない壁のようなものができ、視界を遮った状態でステージの準備をする。外から中は見えないが、中からは設定で外が見えるようにできる。だが、今の心境だと客入りが分からないほうが幾分マシだと思った為、こちらも見えなくした。
サプライズ的なヤツだね! 前のめり思考のお嬢様は、何事も楽しむことを主義としてるようだ。
「開場のスイッチは私が押すよ! いいよね!?」
ダイチとアキラが、一度目線を合わし2人はアカリへ静かに頷いて見せる。
さぁ、あとは当たって砕けろ、だ。自分の中から出てきた言葉に少し驚いた。今までの自分では、まず思うことがない考えであったからだ。アカリたちに関わることで自分も少しづつ変わってきているのか? ダイチの小さな疑問に答えが出る前に幕は開いていく。
拍手と歓声とともに迎えられる、ルナ・ディスタンス。今このエリアは、間違いなく赤く表示がされているだろう。
飛び上がりそうな気持ちを抑えて、アカリは集まってくれた人達に対して深くお辞儀をする。目線が戻り、静かに一度、深呼吸してから話し始める。
「こんな、無名な私たちの為にお集まりいただき本当にありがとうございます」
溢れだしそうな感情に、少し言葉が詰まるアカリ。
「私たちの名前が決まり、曲ができ、やっとこの場所にこの舞台に戻ることができました。まだまだ、未熟な所だらけですが、ここがスタートライン。走り出したら止まりません、駆け抜けていきます!」
「聞いてください、ルナ・ディスタンスで『夕暮れ to step』」
アカリのコールに、心の中で3拍の間を置き、ピアノの旋律を奏で始める。流れる水と水とが交わるように、合流したドラムがヴォーカルへとバトンを繋ぐ。
息継ぎが曲の一部として織り込まれ、アカリの声が空気を震わせる。
“「 夕日が照らす帰り道 自然と歩くあなたの隣
くだらない話を二人で笑い合う
このあたりまえがいつも嬉しくて 楽しくて
このままがいい 今の関係が大切だから
「なんて、言い訳だよね。」
「君が好き」ただそれだけなのに
言葉が出ない 1秒の勇気 あと少しが足りないの
あふれる想いが溶けていく 」”
アカリの歌声が響き、会場は海の底へと辿り着く。そこは、地上の光も音も届かない静かなる世界。目も耳も、感じ取れる感覚はすべてアカリへと向けられている。この世界は今、アカリを中心に回っているのではないか? そんな錯覚さえしてくる。
“「 見えてるのに手が届かない アナタとワタシ 月と私の距離みたい
Luna,distance 」”
ロックは、初めて触れる曲であってもリズムやテンポの良さで観客をのせることが出来れば上出来。ならば、バラードなど静かな曲での上出来は?
今の会場にその答えはある。客の全ての視線はアカリに集中している、目が離せないのだ。目も耳も心も、すべてを魅了すること、惹きつけること。それが、答えだ。
“「 あなたを置いて 坂を上る
黄昏が私の背中を押した
伝えるんだ 私の心 全部
「あなたが好き」って「大好き」だって 」”
歌いきったアカリは、静かに息を整えながらフィナーレ待つ。その背中に最後の音を届け、ルナ・ディスタンスの初ライブは幕を閉じる。
大歓声を全身で受け止め、歌手モードから素のアカリちゃんへと戻ってしまった彼女は観客のアンコールが掛かるより早く、ダイチへアンコールを求める視線を向けた。らんらんと輝く瞳が、アンコールを訴えていることが手に取るようにわかる。
まぁ、こうなるよな。予想通り、予定通りの隠し玉を使うことにする。勿体ぶる、そんな大層なものではないが。
歓声がアンコールへと変わると、アカリまでもがこちらを向いたままアンコールを求めだす始末。
「言っとくが、同じヤツはしないし人の曲もやらない」
だから、できるのは――
ひときわ目を輝かせ、観客の前へと戻り腕を振り上げた。アンコールの声が、再び歓声へと変わる。使う予定ではなかった曲の再生メニューを呼び出し、アカリからの合図を確認して曲をスタートさせた。
翌日のウィークリーピックアップにより、ルナ・ディスタンスの名前が『F・M・L』が繋がる全世界へと知れ渡った。
時を同じくして、ダイチの元に2通のメールが届いた。1つは、エクレアのリーダーエリカから。
そして、もう1通は……。