春、舞い散る桜と天使の羽根。
思いついたらとりあえず書きたくなります。後が突っかえていることは見なかった方向で。
桜舞い散る並木道、足取りは重い。
地元のコンクールで、上位入賞の常連だった自分はプロのピアニストを夢見て有名な音楽大学を受験した。全国でも1,2を争う人気の大学で、この音大出身のプロが多く活躍している。それだけ、敷居も学費も高い大学。自分のような一般市民は、記念受験くらいにしかならないと思っていた。思っていたハズが……。
チラチラと舞い降る桜を眺めながら意気揚々と大学の門をくぐった。構内へと入り深呼吸、体内に満たされた空気までもがとても新鮮な気持ちにさせてくれる。偶然か? 奇跡か? どちらにせよ、自分は今上り調子このままプロまで一直線だったり? などど、甘い事を考えていた。淡い期待は、初日の授業から打ち砕かれるこことなる。自分以外のクラスメイト達のレベルの高さと志。それだけでも心が折れかけているというのに、極めつけに先生の言葉が突き刺さる。
「うーん、なんだろうね~何か物足りないんだよね、君の演奏は。上手いんだよ! 演奏はうまいんだけど、ね? 何が足りないんだろうね?」
ピアノの端に手をつき、笑顔で疑問を投げかけてくる先生。それを聞きたいのはこっちだ! 心の中で叫んだ。
童顔で背が低く、可愛らしい外見だがちょっと口が悪い先生。この人に言われると余計に腹が立つ。
「君はまず、それを見つけるのが課題だね♪ それじゃあ、次ー水川さん、はっ!! ちょ、あなた! なんていいモノ持ってるの!! 先生に少し分けてよ~! 5センチ、いや3センチ! いやいや、2センチでいい!! 2センチでいいから分けて分けて~♪」
机の上に腰掛けいた先生は、駄々っ子のようにパタパタと足を動かしおねだりする様にみんな呆れている。そして、この人はそうゆう人なのだと薄々気づき初めてもいる。
「あの、先生、始めていいですか?」
「ああー! そうだったね! ごめんごめん。それじゃあ気を取り直して、自己紹介がてらの好きな曲演奏! 続き、いってみよう!」
課題だと言う以上答えは教えてはくれないのだろう。
「まだ始まったばかりなんだし、気にしすぎないほうがいいよ」
席に戻った自分は、隣からの励ましの言葉も届かないほどのショックを受けていた。
正確に楽譜従い、間違えることなく演奏する。演奏とはそれに尽きるのではないか? 他に何が足りないんだよ! 今までの自分が全て否定されたような気さえしてきて、さらに落ち込んだ。
桜の花びらがチラチラと、暖かい風に乗って舞踊る並木道。
花びらを追って、キャッキャッとはしゃいでいる子ども達が横をすり抜けていく。何を、描いているか理解し難い地図を片手に細い路地へと入った。あの、チビっ子先生にお使いを頼まれ、封筒を一つ手渡された。初日の授業の1件以来、この先生のことを少し苦手としていた。だが、ピアノ科の先生であるので卒業するまでどうしたって付き合いは続いていくワケである。
大学から歩いて五分ほどだと言っていたが、何故か細い道ばかりを通っている。この道はあの人専用の道ではないのか? その疑惑は拭いきれない。
路地を抜けると自分の身長より少し高い塀が立ち並ぶ道に出た。ここの桜も満開だ。
歩きながらも考えていることは先生に言われた言葉だ。それが回り続けて未だ頭を離れずにいる。自然と頭は下がり、自分の足ばかり見て歩いていた。
そんな自分の元に天使が舞い降りた。いや、桜の木の上から落ちてきた。
「エイッ! あっ!!」
頭上からの声と共に、何かにが落ちてきた。ソレの衝撃を、体で受け止め地面に背中をぶつける。倒れた衝撃で、手に持っていた譜面のコピーが空へと投げ出された。
イタタタ、起き上がろうとした自分の上に重みを感じ、乗っている何かに目をやると視線が合う。彼女は、少し驚きの表情でこちらを見ていた。
透き通るような白い肌に端正な顔立ち、誰もが認める美少女がいた。彼女と自分との顔の距離はさほど近くないが、彼女の長い黒髪は自分の頬に届いておりほんのりシャンプーの香りがした。
先ほど放り出した楽譜がひらひらと彼女を上に降りそそぐ。それは、まるで天使の羽が舞い落ちてくるように、見えた。
「あ……え~っと、うぉほん! やぁやぁ、そこの道行くお兄さん! そんな暗い顔をしてどうしたんだい? 悩み事ならこの物知りお姉さんが聞いてさしあげますよ?」
用意されていたような言葉を並べる少女。よくもまぁ、馬乗りした状態でそんなセリフが吐けるものだ。
「とりあえず、どいてくれないか?」
これは、失礼。少女は、すぐさま立ち上がるとパタパタとスカートをはたきこちらに向き直した。白いワンピースの下から伸びる細く白い足の先は、裸足であった。
「では、改めまして。あなたのお悩み解決しちゃうぞ! ……って、ちょっと!!」
これは、あまり関わり合わない方がいい。という、常識的真っ当な判断を即座に下し、さっさと散らばった譜面を集め退散しようとした。しかし、相手は最終手段とばかりに小芝居を打ってくる。
「イタイ! さっきので足を捻挫したみたい! そこの道行く人、よろしければ家まで送ってはくれませんか?」
ため息をつきながらも振り返り、仕方なく彼女の前まで戻った。
「この家を探してるんだ、ここへ行ったら家まで送ってやる」
この微妙な地図を見せ諦めさせようと思ったのだが、裸足少女からは意外にも好感触が返ってきた。
「ふんふん、わかりました。では案内してあげます、ささっ、行きましょう!」
少女は両手を前に突き出したポーズをとり、準備態勢を整る。
足を痛めてるんですよ! おんぶしろってことらしい。多分、足など痛めていないだろう。彼女が受けるべき反動はすべて自分が請け負ったのだから。この場合、正しい理由は裸足なので道路は歩けませんであろう。だが、諦めを知らない彼女の瞳はまっすぐこちらに視線を注ぎ続けている。見ず知らずの少女との上下関係がこの瞬間決まってしまったのかもしれない。譜面を回収し終えた自分は、少女を背負い歩き出した。
「まずはこの塀沿いを行きます、あの角を曲がり少し行けば門が見えてきます。ハイ! 到着です!」
距離にして100メートルといったところか。人生で一番無意味な100メートルを歩いた気がした。
「ご苦労様です! それでは中にどうぞ、玄関まではまだ少し歩きますので」
はい?
「良かったですね、目的地が私の家で」
人の背中で、嬉々としている顔がありありと浮かび上がる。
今、この両手を外せば彼女は本当に足を痛めてくれるかも知れない。一瞬、そんな考えが頭をかすめていった。
金持ちらしい大きな玄関の扉を開くと、これまた大きく広い空間が現れる。
それで、ご要件は? 笑顔で出迎えている感じを醸し出す少女は、今さっき自分の背中から降りたばかりだ。
「その前に、さっき明らかに俺を狙って落ちてきたよな? あれはなんだ?」
「ちっ、違いますよ! ほんとはもっとこうー、華麗にあなたの前に登場する予定だったんですよ! ただ、ちょっとスカートが枝に引っ掛かって……」
言葉じりを濁し、もじもじしている少女に自分が向ける視線はとても冷たいものであったろう。
結局何がしたかったのか? なにひとつ、納得のいく説明はなかったが自分の目的は先生のお使いだ。無事に少女は送り届けた、あとは先生より託された封筒を渡せばもう用はない。彼女が、封筒の中の手紙を読み始めたところで自分は退散することにした。
しかし、まだ帰ることは許されないようだ。
「ちょっと待ってください! 折角来てくれたんですから、1曲弾いていきません?」
お茶でもどうですか? という、常套句なら聞いたことはあるが1曲演奏していかないか? なんて、耳を疑った。
「あなた、そこの音大生さんですよね? 私、ちょうーど1曲聴きたいなぁと思っていたところなんですのよ」
芝居じみたセリフに気品漂う笑顔で、今更何を取り繕うつもりなのだろうか? 既に素を見てしまっている自分にはどう見ても道化でしかなかった。
お嬢様の遊びにはつきあいきれない。踵を返し立ち去ろうとしたが、自分の背中に投げかけられた言葉が突き刺さり足を止めた。
「待って! 知りたいんでしょう? あなたに足りないもの」
こんなところで疑問の答えが見つかるはずはない。わかっていながらも、その言葉に引きずられるように広すぎる屋敷に足を踏み入れた。
少女には大きすぎる階段は、人が4人は並び上がれる大きさ。両手を伸ばしても両の手すりには手が届かない。
防音設備が施してある扉には小窓が付いており中が覗ける。重厚な扉を開いた先は、開放感がある室内で窓を背にするようにグランドピアノが置いてある。反対の壁にはデスクトップのパソコンが設置してあり、その横にはレコードを再生できる機材などがあった。
「何がいいですか? 大体の楽譜は揃えてあるんですよ、ショパン、モーツァルトにシューベルト……」
「ベートーヴェン。ピアノソナタ、8番第2楽章。譜面はいい、覚えてるから」
なぜその曲を選んだのかはわからない。ただ、自分が好きな曲を弾きたかっただけなのか? 何かを感じ取って選んだのか? 自分にもわからない、彼女だって知る由もない。
「いいですね、私も大好きです。切なくも優しい、あの叙情的なメロディー」
窓から差し込む光が、ピアノ全体を包み輝かせている。
そっと、触れた鍵盤から無機質な温度が伝わってくる。感触を確かめながら指先の熱を鍵盤へと伝えていく。防音加工がなされた室内を、ゆっくりとピアノの音で満していく。
――音が響く。この空間は、この瞬間は、永遠の時間のようだ。
静かに演奏が終わる。少女は、余韻を噛み締めるように閉じていた瞼を開き言葉を紡いだ。
「そう、ですね……良い曲に、良い演奏。あなたは、あと何が必要だと思いますか?」
「それを教えてくれるんじゃなかったのか?」
少女は首を横に振り、あなたが自分自身で見つけなければ意味がないと思いますよ。と付け加えた。
「好きな曲は、聴くのも奏でるものいいですね」
ピアノを慈しむように撫でる少女。
結局、時間の無駄だったな。お嬢様のお遊びに付き合わされただけ、か……。
「もういいいだろ、帰る」
鞄を手に扉へ向かう自分に、語りかけるようにささやく少女。
「いいんですか? このまま帰って」
1人で悩んでも何も変わりませんよ。
「どうです? 私とバンドをしませんか? あなたに足りないものが見つかりますよ」
――多分。少女にのみ聞こえる心の声は、彼には届かない。
真剣な眼差しで微笑みを浮かべた少女が手を差し出した。
この手に応えた先、果たして自分に必要なものは見つかるのだろうか?
素直に信頼していいものか? 一抹の不安はある、だけど……。
繋がれた手と手。白いその手から伝わる温度は春の暖かさにも似ていた。
短く書き貯めしようと試みました。区切るのが意外と難しいと分かりました(泣)