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始まりの青年(ジェネシス)

咆哮。そう、それは始まりの鐘としてイギリスの真夜中を走った。恐ろしいと形容する他にない形相のこの犬は知ってか知らずか、戦いの始まりに喉が裂けんばかりに轟いた。経験か、それとも本能か。いずれにせよ、この咆哮の後にある者は勝利し、またある者は命を落とした。


戦争。


これはれっきとした戦争だ。ただの喧嘩でもゲームと称した快楽殺人でもない。そこに倫理はなく、あるのは小汚い若しくは崇高な野望。誰も賞賛することはなく、しかし誰も咎めることはできない。

目を合わせてはならない。

何故なら、もう後には引けなくなるから。

目を逸らしてはならない。

何故なら、そこにあるのは変えがたい真実だから。



漆黒の中に輝く月光のせいか、それとも心拍を失ったせいか、叢のベッドに横たわる敗者は青白い肌をしていた。その表情に恐怖はなく、ただ無念さだけが伺えた。





翌朝

青春を謳歌する若者達によって埋め尽くされたここはイギリス・ロンドンの大学。世界的にも名門とされているこのロンドンの大学はいくつかのキャンパスに分かれており、ローマ建築風のアーチを着こなした図書館が有名なここもまたその内の一つである。

名は、クイーンズ・カレッジ・オブ・ロンドン。由緒正しき男子禁制の学び舎である。


昼下がり。午前の授業を終えた生徒達はキャンパス備え付けのレストランやカフェで食事と談話を愉しむ。

多くの者がグループやカップルで食事をしている中、窓際の席で新聞と睨めっこをしている者が一人。その新聞の表題にはこう書かれていた。


『3つ目の男性刺殺体』と。


一人新聞を嗜む彼女はクシャクシャに握った新聞紙に穴が開くかの如き視線を注ぎながらブツブツと独り言を漏らしている。幸い、カフェは最も混雑する時間帯。彼女の声や態度は誰の知るところにもならなかった。


「心臓を一突きでかなり大型の槍のようなもので刺したかのような跡。死因は失血死っと…」


暫く彼女は黙り込み、更に記事の下へ下へと視線をスクロールさせる。今、彼女の肉体で積極的に活動しているのは活字を追い続ける双眸とそこからインストールされる情報を処理するための脳だけ。周りの学生の次から次へと迫る雑音など入る由もなかった。


「心臓をデカブツで貫かれて、失血死。普通の人間なら三分の一の血が抜ける前にショックで死ぬ筈。司法解剖されて失血って結果が出てるんだから、間違ってるとは考えにくいし。こりゃ…」


彼女は答えを見出したのか、姿勢を伸ばして背中の疲労を逃がし、カフェの装飾の凝った天井を仰ぎ見ながら呟いた。


「魔術師、だね」


嫌悪感を表すでもなく、彼女のその表情には寧ろ「待ちわびた」という飢えた笑みが薄らと浮かんでいた。



魔術師。世界各地の伝記などに名を変えて存在する異能の者達。聞いたことはあっても、その実在を確信したものはいない。いや、いなかった。


2年前、ヴァチカン市国王立図書館より持ち出された一冊の本。それはこの世界の「何か」を変えた。


神話が人間の世界に介入し、歴史が変わったのだ。神話はただの物語ではなく、過去に実際に起きた出来事としてこの世に存在するようになったのだ。


しかし、数々の神話や伝説の存在は世界が開闢する時点から「矛盾」を孕んだ。ある神話では無より世界が生まれ、ある神話ではもとより神々の世界があってそこに神々が住んでおり、またある神話では予めあった世界に神が生まれたとされている。

そこでこれらの矛盾を解消するために神話はある一つの解決策を出した。



戦争によって正史を決めよう、と。



しかし、神話が直接手を出すような力はない。

そこで人間に「神話自ら」の物語に基づいた力を授け、それを使役させることで間接的に戦争に参加することに決めた。その力を授けられる者は己が宗派の信仰に厚い者や神話について生涯を賭けて研究しようとする者というように「神話に近い者達」であるということを基準に選ばれた。これに選ばれたものの一人が、彼女、マリー・エヴァンズである。


「絶対に獲ってやる、世界変革の羽ペンを」



世界変革の羽ペン。

これこそが、彼女ら魔術師達を戦わせる動機づけになっている。魔術師達は世界の裏で殺し合い、そして、最後には一人が残る。その残った一人が勝者となり、世界はその者の信じる神話や信仰に基づいてリセットされる。


しかし、それでは魔術師側にとってリターンが少ない、というよりもほとんどゼロだ。だから神話は「世界をその者一人の手によって書き換える権限」を与えることにした。その権限の通称が「世界変革の羽ペン」である。


これはありとあらゆる無秩序を秩序に、不条理を合理に、闇を光に変えることができる。死んだ人間を生き返らせることも、永遠に世界の支配者として君臨することもできる。


神話自身が忘れられ、捨てられてしまう可能性は確かに否めなかった。だからこそ神話は信仰に厚い者を戦争の駒に選んだのだ。彼らなら裏切らない、いや、裏切れない。彼らの世界を構築するものが信仰であり、それを書き換えるということはその世界を否定し殺すこと。そこに君臨することには何の意味も成さず、そこに死人を生き返らせることはただ虚しいだけである。


神話は人間(魔術師)との絶対的な信頼関係の下、この契約を結んだのである。



彼女ことマリーは席から立つとまだ、昼食時でごった返しているカフェから隙間を見つけ、器用にすり抜けていく。握りしめた新聞紙はゴミ箱へ。彼女の視線は新聞紙の上にも今歩いている方向にもなく、ただ、最後に勝利し羽ペンを握っている未来の自分に向けられていた。


「かかってこい、魔術師!」


大きめのジェラルミンケースを片手にマリーはカレッジを出る。カレッジの外は遠くまで続く並木通りとなっており、学内では決して見かけることのない男性の姿も確認できた。ジェラルミンの重い感触を右手に確かめながら、マリーは歩を進める。そこに目的や意味はなく、ただ純粋に魔術師が迫ってくるのを我慢出来なかった。


何人もの人々とすれ違った。誰が魔術師かも分からない。しかし、マリーは恐れることはなく、むしろまだかまだかと心が躍っていた。その時だった。


一人の青年とすれ違う。


高背。茶髪。中性的な顔立ちの彼はマリーの隣で立ち止まり、囁いた。その言葉の意味を理解するのにマリーの脳はどれ程の時間を費やしたのだろうか。怒りも悔しさも笑いも何も起こらず、青年の灰色の双眸に身動きを封じられ、マリーの頭の中に青年の言葉が再び走り抜ける。



「この戦いに、意味はないよ」

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