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妄想部的「梅雨」

梅雨 小野模様

作者: 小野チカ


「だから、入れる前に確認してって言ってるだけじゃん!」


「さやかがやりゃいいじゃん、お前が洗ってんだしさ」


「何その言い方! じゃあテッちゃん自分で洗ってよ」


「洗うもなにもボタン押すだけじゃねぇか、いちいちうっせぇな」


うるさいってなによ、テッちゃんなんか大嫌い。だいたい作業着のポケットにティッシュ入れっぱなしだったテッちゃんはだらしなくないの、ボタン押すだけとかいうなら明日からテッちゃんやってよ私だって働いてるんだよ!


という言葉を一気にまくしたてて寝室から飛び出したのは、お昼も間近の午前中だったことは覚えている。左官のテッちゃんは雨の日に家に居ることが多い。


—— どうしてこうなっちゃったのかな。


同棲し始めた頃、雨の季節は大好きだった。

私は大学生で暇を持て余していたし、雨が降ればテッちゃんは家に居た。


少しでもくっついていたくて、二人きりで居れることが楽しくて。


でもそんな期間なんてあっという間に過ぎた。

私が社会人になって働き始めると、家にいるのに家事をしてくれないことに苛立って、それから口論が増えた気がする。ほんの些細なことから始まって、お互い深く傷つくまで終えられない。


そんな生活も、もうずるずると六年目になる。


観葉植物に水をやりながら、折角の休日だったのになんでこんな風になっちゃったんだろう、今日は昔みたいに二人で仲良くビデオとか借りて他愛もない話をして、ただ一緒にご飯とか作っても楽しいだろうな、なんて思っていただけなのに。


涙が溢れそうになってぐっと堪える。

きつく目を閉じて開けた瞬間、私の視界は何故だかとても低くなった。


「あー、ねむっ」


あれ、なんで、どうして、と思っていると寝室の扉が開いて灰色のスウェットを着たテッちゃんがお腹をかきながら出て来た。


「さやかー」


はい、と返事をしたはずなのにテッちゃんは舌打ちして玄関の方へと向かう。

あれ? 聞こえてない? 私、ここにいるのに。


「なんだアイツまたどっかいきやがって、生理前か」


ってええー!?

私そんな理由で怒ってると思われてたの。違うよ、単純にテッちゃんがだらしないからじゃん。ほんとわかってない。目の前に洗濯機が口を開けてまっているのに入れずに籠の中に放り投げるくせに。洗わなくていいなんて怒るから素直に放置したら、それはそれで怒るくせに。


「あー、もうだりぃ」


と言いながら足下の雑誌を拾ってテッちゃんがラグソファに腰掛ける。そこで、私と目があった。


「……きっも」


え? と首をかしげたのも束の間、テッちゃんが塩、塩、と言いながら台所へ向かう。

塩!? 私おばけじゃないんだから、塩とかやめてよ。

そう思ってふと隣の植木鉢を見る。プラスチック製のそれに映っていたのは……





なめくじだった。






なんで!? え、なんで!? 私、なめくじになってる!?

艶やかな軟体。私が驚く度に動く触覚。そして、手なのか足なのか判断つきにくいこの歩いた感じ。


いくら梅雨だからって、そりゃないよ!!


なんて思っている間にもテッちゃんは塩ー塩どこだー出てこーい、なんて流しの下を開けて叫んでいる。……そんなもので塩が出てくるものか。


「塩ってどっちだ? うえっ、甘。じゃあこっちか。なんか口の中の水分取られる……」


ってばかテツ!

それは小麦粉。蓋閉める時そっと閉めてよ。じゃないと、


ぽふっ、


と言う音とともにテッちゃんの周りが白くなる。それと共にテッちゃんが咳き込み、台所の前の窓を開けた。あーあ、言わんこっちゃない。


「あーもうなんでさやかいないかな。あいついねぇえとどこに何あんのかわかんねーんだけど」


と、ぶつぶつ言いながら塩ー、塩さーん、と何故かさん付けに塩が格上げされていた。どうしても出て来て欲しいらしい。そうだった、テッちゃんはがさつで口が悪い癖に妙な所で気弱な人だ。


しばらく塩を探し続けたテッちゃんは目の前にある食卓塩に気付かずにため息をついた。男の人って探し物が下手だと思うんだけど、これはさすがに酷い。なめくじ目線の私が見つけられるのだから、相当ひどい。


「さやかー、おい、さやかちゃーん」


瞬時に格上げされたことを喜んだらいいのかよくわからないまま、おろおろと私を探すテッちゃんの姿はささくれた私の心に少なからず潤いを与えた。可愛いなぁ。そして私は誠に残念ながらなめくじだけど。


さやかさん、さやか様、と順に格上げした後は、私の捜索すらも諦めたようだった。携帯を鳴らしたけれど、寝室のベッド脇でテッちゃんの持っている携帯の色違いが悲しく着信があったことを知らせるだけだ。


「塩以外だったら熱湯か。っていうかそこまでしなくてもいいや、めんどくせ」


なめくじ退治を諦めたテッちゃんはそのまま雑誌を拾ってソファに座り直す。しばらく記事を読んでいたかと思うと、ふと寝室のほうを見た。


ぴかぴかと、着信があったことを知らせる青色の光。

また雑誌に視線を戻したテッちゃんだったけど、あぁもう、と苛々した様子で雑誌を放り投げた。


「あいつどこいったんだよ、全く。雨だってのに本当めんどくせーやつ」


あいつって私かな。私だよね。めんどくせーとか言っちゃうテッちゃんの方がめんどくさいよ! ほんとティッシュくらいさー、ちゃんといらなくなった時にゴミ箱に捨てたらいいだけじゃん。なんでそんな幼稚園児でもできることがテッちゃんにはできないの。


と思ったところで思い出した。

去年の丁度今頃に、ゴミをそこかしこに散らかさないで、というそれこそ幼稚園児でもしないような理由で喧嘩をした。いい大人の二人が深夜近所迷惑を顧みずに喧嘩した内容は、結局テッちゃんが折れてくれた。私だってよく、ゴミ箱へゴミをぽいってして外れてもまた後でいれればいいや、なんて雑把な性格のくせに。


—— わかったよ、ちゃんと捨てりゃぁいいんだろ。


テッちゃんがそう言ってから洗濯機でゴミを回しちゃう回数が増えた気がする。

アメ袋のカスとか、誰かの名刺とか、元は何だったのかわかないアルミ箔の欠片とか。


テッちゃん、捨てようとしてポケットに入れて、それを忘れてる?


そう想像して、テッちゃんならあり得ると深く頷いた。こいつならあり得る。っていうかそれしか理由があり得ない。


二人とも面倒くさがりで、大概のことはどうでもよくて。

だからテッちゃんといると楽しかった。気をつかわなくていいし、足で物を拾っても咎めない。むしろ俺の方が上手いとか言っちゃう奴だから、六年ももったんだ。


忙しいから、っていうのを理由に会社勤めしだしてから家事をおろそかにしたのは私だ。

そのことに、テッちゃんは何も言わないでいるのに。


私だけ、テッちゃんに八つ当たりばっかりしてた。


「あ、もしもし? そー久しぶりー。元気? うん、あんさーさやか行ってない? あ、そう。いんや、起きたらいねーからミキチャンちかなって思っただけ。そうそう初心いから俺。おい笑うとか失礼。そーそーさやかチャンに一途だから。あー今なんか忙しいから疲れてんだよあいつ。うん、そうそう俺よくわかんねーけど。そかーあいつそんなこと言ってたか。うん、うん、ありがと。また遊んでやって。ほら、さやかミキちゃんのこと愛してるから俺の次に。っておい笑うとか本当失礼。はいはいじゃーねー」


と切った後テッちゃんはズボンのポケットにケータイを入れて出て行った。


私だけだと思ってた。

今でも好きなのは私だけで、テッちゃんは私といるのが楽だから、

家があってご飯があって風呂さえわかしてあればいいと思ってるんだと思ってたから、

ほんとはそんな風に思ってたなんて。


冗談でも嬉しかった。


涙がぽろぽろとこぼれて落ちる。

どこが眼で、どこが涙腺かよくわからないけど確実に頬を伝って涙が落ちた。


しゅわしゅわ

しゅわしゅわ


と、涙の塩で体が溶ける。


テッちゃんの馬鹿。

そういうのは、ちゃんと本人に言え、ばか!


そんなことにも気付けない私も大バカ者だと思って目を瞑る。

開けた瞬間、私は水差しを持ってラグソファの横に居た。


「あれ?」


手、ある。足、ある。顔、ある。

戻った。

塩で溶けて人間に戻った!! 


それともあれは、夢だったの?


何故だかどっぷりと日は沈んでいて、テッちゃんが投げた雑誌はテレビの前でくしゃくしゃになっていた。


「うんそう。来てないかー。ううんいい。ありがと。多分帰ってくるし。来たら電話ちょーだい。うん、電話かけなかったら帰ってきたと思って。はいごめん、よろしくー」


ガチャリと重たい扉の音を立ててテッちゃんが帰ってきた。

その瞬間、どうしようもなくテッちゃんが愛しくなる。


ティッシュなんか小さいことで小姑みたいなこと言ってごめん!


「テッちゃんごめん大好き! ティッシュとかどうでもいい!!」


子どもみたいに泣きながらテッちゃんにしがみつくと、テッちゃんははぁ!? とひときわ大きな声をあげて私を抱きとめた。

今まで探してくれてたんだよね。テッちゃん。


「さやかお前さー、出かける時は声かけて。後味悪い。死んでたらどうしようかと思った」


その言葉に私はテッちゃんを見上げる。

そういえば、最近こんなにも至近距離でまじまじとテッちゃんの顔を見た事あったかな。


「……ティッシュ洗濯したくらいで私死ぬの?」


「さやか最近仕事うまく行ってねーんだろ、ちいせぇことでイチイチつっかかってくるし。喧嘩した後いないとか、俺心臓小さいから止まる。だからやめて」


まぁ、無事ならいいわ、と言ってテッちゃんが私の頭を撫でた。


「ごめんね。今度からちゃんと確認してから洗う」


「俺もきぃつけるわ」


ごめん、と小さく呟いたテッちゃんにうんうんと頷きながら顔をこすりつける。テッちゃんの匂いが好きだ。付き合い始めた時からずっと好き。


めんどくせぇっていいながら、私のことを探してくれたことも、

私がいないと塩ひとつ見つけられないことも、

最後の最後に、私に甘いところも、


大好きだよテッちゃん。



「あ、そういや塩どこだ。塩」


「塩?」


「そーそー、なめくじ。梅雨だな」



……多分、もういないと思うなテッちゃん。


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