老兵死す
MSWになって三週間が過ぎた。どれもこれも同じ顔に見えていた患者一人一人の、見分けがつくようになっていた。
「中尉殿」
「何だ」
「中尉殿は、いつまで戦闘を継続なさるのですか?」
「命令が続く限りずっとだ」
「今、何年だかご存知ですか?」
「何年だ? 昭和二十一年か?」
「昭和八十六年です」
「もうそんなに経ったのか。大元帥閣下は?」
「大元帥閣下?」
「天皇陛下だ。貴様本当に日本人か?」
「天皇陛下ならお元気ですよ」
「今年でおいくつだ」
昭和天皇は、確か二十二年前に八十七歳で亡くなったはずだ。
「一一〇歳くらいにはなられています」
「さすが現人神だな。ご長寿だ」
「ええ」
「わしは、わしは何歳になった?」
「今年で九十二歳です」
田中は答えなかった。ただじっと病室の隅の暗がりを、見つめているように視線を固定していた。入れ歯が入っていない口元はしぼんだように見え、くぼんだ瞳は皺に埋もれて小さな点のように思えた。
「のう、貴様」
「はい」
「わしは、何のために戦っているんだ?」
「……」
「わしのやっていることは、間違っているか?」
「いえ……間違っては、いないと思います。中尉殿は、間違ったことをしているとは、お思いではないでしょう?」
「それは、そうだ」
田中は窓の外を見ていた。つい最近まで花を咲かせていた桜は、枝に葉をたくさん茂らせていた。
「貴様、若い割にわしの話をしっかり聞くとは珍しいやつだな」
「いえ。自分は聞くことしかできませんから」
「今までの職員は、頭ごなしに決めつけて話を打ち切るやつばかりだった。貴様は違う。わしの話をちゃんと聞いている」
「中尉殿」
「わしも、いつも頭がおかしいわけではない。たまに正常に戻ることもあるんだ」
田中が笑った。皺だらけの顔が余計に皺くちゃになった。
翌朝、バイタルチェックに訪れた看護師が、死んでいる田中を見つけた。彼はベッドに横たわりながら、静かに息を引き取っていた。枕の下には、達筆な縦書きで田中の遺言が残されていた。「俺の中に違う自分がいる」「頭では分かっているつもりなのに、どうしようもない」「どうすればいいんだ。分からない。頭がこんがらがっているようだ」
彼が言った、「頭が正常に戻る時」に書いたのだろう。認知症に苦悩し、必死に出口を探しているような書きぶりを読むと、心臓を鷲掴みにされたように感じた。