初仕事
精神病棟に入る扉は、防弾ガラスのように分厚かった。二か所に鍵がかけられてあり、管理は厳重だ。生保のワーカーをしていた時、市立病院の精神病棟は何度か来たことがあるので、特に驚きはしなかった。
中に入ると、談話室のように設けられたスペースで、下を向きながら、同じような表情をし、黙って座っている患者が何人も目につく。人は精神に異常をきたすと、同じような顔になるのだろうか。患者たちは兄弟か親類にしか見えない。
「今から行く病室の方は、鈴木数子さんという、五十代の女性です。自殺願望が強くて、先月入院されました。牧岡さんに担当していただく予定です」
マキちゃんが病室の内の一つに入ると、俺も従った。
「先生……」
俺たちの姿を見つけると、鈴木はそう声に出した。白衣を着ていればみんな「先生」に見えるのだろう。鈴木はベッドの端に足を揃えて座り、暗い病室に佇むようにじっとしている。年齢よりも上に見える。体型はやや小太りで、眼鏡をかけている。
「先生、屋上から飛び降りるのと、ロープで首をくくるのと、どっちが楽ですか?」
「鈴木さん。ちょっとお外にでも出ましょうか? 天気もいいし。まず窓を開けて空気の入れ替えをしましょう」
窓に向かって歩くマキちゃんに鈴木が声をかける。さっきよりも声がやや大きい。
「やだ。開けないで。やだ」
それから一時間ばかり鈴木と話したが、特に何の進展もなく、話はどうどう巡りだった。鈴木の病室を後にしてまた数人の患者と話したが、どいつもこいつも同じような奴らばかりだった。
「どうでした? MSWの仕事は」
定時が終わって事務所に戻ると、マキちゃんに聞かれた。
どうでしたって、酷な質問だね。うんざりだよ。正直に言うと。俺、やっぱ福祉はむかねーや。早速今年異動希望出そうっと。
「まあ、まださわっただけですし」
どうでもいいような回答をしてしまった自分が憎らしかった。
もう定時は終わっているのに、庶務担当に声をかけられ、各種届出を書かされた。市立病院は市の組織ではあるが、水道局、交通局と並んで企業会計という別のお財布で運営されている。それ以外の部署から企業会計の部署に移動した者は、一旦辞職し、また採用されるという手続きを踏む。そのため住居手当や通勤手当等の届出をもう一度しなければならないのだ。面倒くさいことこの上ない。
(やってらんねーよ)
誰にも聞こえないように独り言を言った。