マキちゃん
四月一日の辞令交付で「市立病院総務部総務課付」という辞令を渡され、「総務課付」の「付」が気になったが、てっきり病院経営部門か経理でもやるのかと思っていた。
それがMSWだと? 何で事務職の俺が、福祉の専門職をやらされるんだ。民間企業を辞め、二十六で入庁した市役所で、生活福祉課に配属され生活保護のケースワーカーを六年やった。異動希望は税務課、広報課、都市整備課と書いたはずなのにまた福祉かよ。しかも精神病棟に配属? こっちの頭がどうかしそうだよ。
MSWと聞かされた衝撃から、二年前まで生活福祉課長だった黒島課長の席の前に呆然と立ち尽くしていると、後ろから声をかけられた。
「牧岡さん。職場にご案内します」
振り返ると、白衣に大きな瞳が生える女性職員が立っていた。口元が少し緩められ、薄い唇がてらてらと部屋の照明を反射して輝いて見える。生活福祉課の頃は若い女性職員は皆無だったから、彼女がまぶし過ぎてやや目を細めてしまった。
「精神病棟でMSWをしている入江と申します。二年目です。それまでは地区センターで事務をしていました。よろしくお願いします」
「あ……よろしくお願いします」
急いで頭を下げた。俺を見る黒島課長の目元がにやにやしている気がして、課長が視界の端に入らないように気をつけた。
精神病棟に向かう途中、廊下を歩きながら、俺は入江さんを「マキちゃん」と心の中で呼ぶことに決めた。彼女のネームプレートに「入江真紀」と書かれていたからだ。彼女の真横ではなく斜め後ろを歩きながら、一つに髪をまとめているため露わになっているうなじを、何度も盗み見た。左手の薬指には指輪をしていない。仕事中だから外しているという可能性もあるが。
「牧岡さん、前職は生活福祉課ですよね?」
「ええ。ワーカーをやっていました」
「それなら、仕事に慣れるのも早そうですね」
早くないよ、マキちゃん。精神病棟って、頭のネジが何本もぶっ飛んだ人達が閉じ込められているんでしょう? 僕、君だけを心の支えにしよう。うん。決めた。
廊下ですれ違うナースは何故だかみんな可愛い。俺は、男だけでむさ苦しかった生活福祉課を思い浮かべ、ある意味ここは天国かもしれないと妄想した。
「牧岡さん。スーツじゃなくて私服で通勤して平気ですよ。仕事中は白衣に着替えるので」
「あ、はい」
初めて着る白衣に戸惑いながら何とか袖を通すと、いきなりMSWとして働き始めると言う。研修は? そう聞く俺に、マキちゃんは「後日です」とだけ答えた。習うよりも慣れろ、か。身体で覚えろってことかよ畜生。
「あの、マニュアルとかは?」
「患者さんは一人一人違うんです。だからマニュアルなんてありません」
マキちゃん……。生活福祉課にだってマニュアルはあったぜ。