迷宮
葵の担当になって、毎日彼女の病室を訪れていると、気になることがあった。西島慶太という葵と同い年の患者が、葵の病室をちらちらと気にするようにしているのだ。彼が葵に気があることは明らかだった。ちなみに、慶太はうつ病で入院してはいたが軽症で、退院が近付いていた。
談話スペースで二人がたまたま一緒になったことがあった。慶太が話しかけたのだが、葵は彼を無視して立ち去った。葵にとって、慶太は男ではない。加齢臭もしないし、身体も発展途上で細すぎる。手足にもあまり毛がなく、髭もほとんど生えていない。父親くらいの大人の男でないと、葵は心が満たされないのだ。男臭いむさくるしさに包まれないと、葵は満足できないのだ。
どうすればいい? どうすれば葵の目を覚ますことができるのだろう? 彼女の脳みその皺一本一本にまで染み込んだ、大人の男への性的な欲求を、俺はどうすれば取り除けるのか、あれやこれや考えた。休日でも葵のことが頭から離れなかった。
「牧岡さん、バイクに乗られるんですか?」
「……え? ああ、乗りますよ、一応」
事務所の机で葵への対応策を練っていると、突然マキちゃんに声をかけられたので、慌てて返事をした。声が少し上ずった。彼女は俺の机の上にある、バイク屋にもらった卓上カレンダーを指さしていた。
「なんてバイクなんですか?」
「DUCATIのS4Rっていうバイクです。イタリアのメーカー」
「へー、イタリアって格好いいですね! 何CCなんですか?」
「一〇〇〇CC」
「すごーい。今度、後ろに乗せてくださいね」
そう言ってマキちゃんは、喉飴を一つ俺の机に置いて、目配せをしながら自分の席に戻っていった。俺はもらった喉飴を口に放り込みながら、社交辞令じゃなかったらいいのにな……と思いつつマキちゃんの背中を見つめていた。「今度、後ろに乗せてください」今まで何度も言われてきた台詞だが、実際に後ろに乗ってくれたのは、大学時代の同級生、北村ブタ美だけだった。本名は忘れた。相撲部屋から来たような女で、後ろに乗せると簡単にウィリーしてしまい本気でこけそうになったっけ。