第51話 外出
週末の午後。街は夏の熱気を含んだ風がビルの合間をすり抜け、行き交う人の手には色とりどりのカップ。
私はその光景に足を止めて、ちょっとだけ不思議そうに瞬きをした。
「……隼人さん、やっぱり人、多いですね」
人波に飲まれながら、私の隣で歩く私服姿の彼は、変わらない落ち着きで頷いた。
「ええ。今日から“期間限定の新作”が出ましたから。……皆、並ぶんです」
「新作……」
口の中でその言葉を転がす。
少し前まで、私はこうした現代的な流行とは無縁だった。元は異世界の公爵令嬢。飲み物といえば紅茶。冷たい甘い飲み物を“追いかける”なんて、想像すらしたことがなかった。
でも隼人さんは、わざわざこの日に合わせて私を誘ってくれた。
――恋人、になったから。
胸の奥がくすぐったい。あの夜以来、彼の隣を歩くときの空気が、少し違って感じられる。
「……でも、そんなに急いで飲まなくても……いつか無くなるんですか?」
「なくなりますよ」
隼人さんは淡々と言った。
「一ヶ月もしないうちに、次の新作に変わる。味は二度と同じものが出ないこともある。だから……逃せば、二度と飲めない」
「……二度と……?」
その言葉は、少しだけ胸に刺さる。
彼は横目で私を見て、柔らかく笑った。
「体験って、そういうものですよ。星羅さんと一緒にいる時間も……同じです」
「っ……」
耳まで赤くなるのを自覚する。どうして彼は、いつもさらっと恥ずかしいことを言えるのだろう。
それでも手は自然に触れて、そっと彼の袖口を掴んでいた。
きっと私も、“逃したくない”と思っている。
□
店の前には長い列ができていた。
冷房の涼しさが外に漏れ出しているようで、ガラス越しに見えるメニューには色鮮やかな写真が並ぶ。新作と書かれた文字がひときわ輝いて見えた。
「……あれが、今日の……?」
“トロピカル・サンライズ・フラペチーノ”
「はい。」
隼人さんが穏やかな声で教えてくれる。
「パイナップルとマンゴーに、ココナッツホイップ。夏限定です」
「すごく甘そう……でも、綺麗ですね。朝日の色みたい」
順番を待つ間、周囲の人たちの会話が耳に入る。
「インスタ映えするよね」「前の新作より甘さ控えめだって」――まるで宝物を語るように楽しそう。
私は少しだけ羨ましく思った。こういう“同じものを追いかけて語れる”関係って、きっと友情や恋人同士の醍醐味なのだろう。
「……隼人さんは、どうして新作を追いかけるんですか?」
ふと聞くと、彼はわずかに首を傾げて笑った。
「星羅さんがいるから、ですね」
「え?」
「一人で飲むなら、ただの飲み物です。でも……星羅さんと一緒に体験するなら、それは記憶になります」
彼の瞳が真っ直ぐに私を見ていた。
「次の新作も、その次も。全部“星羅さんと飲んだ夏”として、僕の中に残るんですよ」
胸の奥が熱くなる。
「……じゃあ、私は、逃しちゃいけないですね」
「逃げませんよ。僕が必ず隣に連れていきますから」
その言葉に、ほっと息をつきながらも、心臓がまた速くなる。
ようやく順番が来て、カップを受け取った。
透き通るオレンジと黄色のグラデーション。上には真っ白なホイップ、トロピカルな果肉が輝いている。
「……綺麗……!」
思わず声が漏れた。
私はストローを口に運んだ。冷たくて、甘酸っぱくて、夏の光そのものを飲み込んだみたい。思わず目を細めてしまう。
「……美味しい……!」
すると彼が小さく微笑んだ。
「良かった。」
隼人さんもストローに口を付けた。
□
席に腰を下ろし、二人でカップを傾け合う。
彼は相変わらず落ち着いた表情で、でも時折こちらを見る視線は柔らかすぎて、心臓が耐えきれない。
「……隼人さん」
「はい」
「私……分かった気がします。新作を追いかける気持ち」
ストローを回しながら、ぽつりと呟く。
「二度とない時間だから、逃したくないって思うんですね。だから皆、並んででも手に入れるんだ……」
彼は少し目を細めた。
――この人と一緒なら、どんな新しい時間も怖くない。
「……じゃあ、これからも一緒に、追いかけましょうか」
「ええ。一生、隣で」
フラペチーノの甘さよりも、彼の声が甘くて。
私はただ、照れ隠しのようにカップを口に運んだ。




