第5話 おいしいものを食べます!①
普通の人間であれば、未知の環境に戸惑うだろう。
だが、元の世界においては“適合”こそが生き残る術だった。
私はそれに長けていたし、何より——この世界を、私は心から楽しんでいた。
ベッドから起き上がり、身だしなみを整える。
制服ではない、私服という自由な装い。
テーブルの上に置いていた残りのおにぎりを一つ食べ、鞄を肩にかける。
「さて、今日は……」
出かける。目的はひとつ。
□
「……ふふっ」
思わず笑みがこぼれる。
楽しみで仕方がない。
今日、私が向かうのは——パンケーキの名店。
ふわふわで分厚く、果物とクリームがたっぷり乗っている。
スマートフォンで情報収集していたとき、あまりの数のパンケーキ専門店に驚いた。
けれど、私はそれが嬉しかった。
かつては糖分を控え、優雅に紅茶を嗜むのが常だった。
けれど今は違う。この世界では、甘いものを——好きなだけ楽しめる。
それがどれほど幸せなことか、私はよく知っている。
小さな駅の前にたどり着くと、パンケーキ店の看板が見えた。
「“予約優先”? ふふ……でも、私はちゃんと予約してあるわ」
スマホの画面を確認し、開店時間にぴったり合わせて店へと足を踏み入れる。
甘い香り。にぎやかな店内。おしゃれな照明と、柔らかな音楽。
セレスティア・ルーデンベルクは今——この世界で、“小さな幸せ”を一口味わおうとしていた。
□
案内された席は、窓際の陽射しがやわらかく差し込む二人掛けのテーブル。
小さな花瓶に、季節の花がひと枝だけ飾られている。
「……落ち着くわね」
私はメニューを広げた。
ページをめくるたび、ふわふわ、もちもち、しっとり、ザクザクと、甘美な言葉たちが目に飛び込んでくる。
「どれも美味しそうで……困ってしまうわ」
記憶にある“パンケーキ”より遥かに豪奢で、芸術的で、罪深い。
迷った末に、店員の笑顔に後押しされて「季節果実と生クリームのパンケーキ」を注文する。
「お待たせいたしました」
運ばれてきたその瞬間、私は思わず言葉を失った。
目の前に置かれた白いプレート。
そこには、まるで絵画のように美しい一皿が存在していた。
ふわふわに焼かれた三段のパンケーキ。
その上に、たっぷりと絞られた純白の生クリーム。
色とりどりのベリー、スライスされたキウイ、艶やかなオレンジ。
その上に、空気のように軽やかな生クリームがたっぷりと乗っている。
そして、そのすべてを柔らかく包み込むように、蜂蜜が金色の光を帯びて流れていた。
「……これが……“パンケーキ”……?」
記憶にあるものとは、あまりにも違う。
パンでもケーキでもなく、これは——芸術だ。
フォークを手に取り、そっと一片を切り取る。
ふわりと抵抗なく沈むナイフの感触。中は驚くほどきめ細やかで、しっとりしている。
口に運ぶ。
……その瞬間、世界が変わった。
「…………っ!」
軽やかな生地が舌の上でとけてゆく。
空気を含んだようにふわっとしていながら、卵とバターの香りが濃厚に広がる。
生クリームは驚くほど軽く、なのに深い甘さがあって、
フルーツの酸味と出会ったとき、味が弾けた。
食べ進めるたび、胸の奥がじんわりと温かくなる。
(これが……甘味……? 本当の“自由な贅沢”……?)
王宮では、菓子は「品格」の象徴だった。
高価な砂糖菓子、宝石を模したスイーツ、食べ方や順番まで決められた儀式。
でも、これは違う。
この一皿には、誰の顔色も伺わず、ただ“好き”のために作られた愛が詰まっている。
誰も見ていない、誰も咎めない。
ただ、あたたかくて、甘くて、美しい。
とても幸せなひとときだった。




