第48話 暖かな会話
朝の静けさが、部屋をやさしく包んでいた。
カーテン越しの光は柔らかく、窓の外では小鳥の声が遠くで聞こえている。
私はソファに座り、湯気の立つマグカップを手にしていた。
キッチンからは、隼人さんが何かを片づける音。
食器が軽く触れ合う澄んだ響きは、なぜか心を落ち着かせる。
やがて音が止まり、背後から気配が近づいてきた。
隼人さんが私の隣に腰を下ろす。スーツではなく、今日は休日用のラフなシャツ姿だった。
その姿が少し新鮮で、思わず見とれてしまう。
「星羅さん」
私はカップを持ったまま顔を向けた。
「はい」
「……ひとつ、聞いてもいいですか」
彼の表情は穏やかで、それでいてどこか真剣だった。
少しだけ間を置いて、口が開く。
「いつ……俺のことを好きになったんですか?」
思わず瞬きをする。
意外な質問に、胸の鼓動が跳ね上がった。
「え、えっと……」
「それと、どこが好きなんですか?」
さらに畳みかけるように聞かれて、頬が熱くなる。
逃げ場を失ったみたいに、視線が泳いだ。
――これは、誘導するべき。
先に彼の言葉を引き出して、それから私も答えればいい。
「……隼人さんは?」
少し笑みを含ませながら問い返す。
「いつ、どんなときに……私のことを好きになったんですか?」
彼はほんのわずかに目を細め、すぐに視線を落とした。
けれど、それは迷いの沈黙ではなかった。
どこか懐かしさを噛みしめるような間。
「……あっちの世界にいたときからです」
落ち着いた声で告げられた言葉に、心臓がきゅっと締めつけられた。
「俺は従者として、あなたに仕えていました。でも……笑顔で俺のもとに駆け寄ってきてくれて。手を伸ばしてくれて。誰よりも毅然としていて、傷ついても背筋を伸ばしていたあなたを、ずっと見ていました」
彼の視線が、私をまっすぐに射抜く。
熱を帯びたその目に、息が詰まる。
「だから、仕える以上に……守りたいと思った。
あなたが笑うのを、もっと近くで見たいと思った。
そのときにはもう、俺は……惹かれていたんです。」
胸の奥がじんわりと熱くなる。
「じゃあ……」
少し躊躇いながらも、私は口を開いた。
「私も……あっちの世界のときから、好きでした」
彼の目が驚きにわずかに見開かれる。
その反応に、なんだか恥ずかしくなって、視線を落とした。
「だって……いつも私を支えてくれていたでしょう?
私が泣いていても、強がっても、最後には必ず傍にいてくれて。笑顔で一緒に歩いてくれて。
それが、とても心強かった……」
言葉を重ねながら、記憶がよみがえる。
夜会で孤立した私に、黙って差し出された手。
泣きたい気持ちを必死に隠した夜に、背中を支えてくれた温もり。
辛いときに作ってくれた、たくさんの料理。
「あの頃から貴方がいなかったら、私は立っていられなかったと思うんです。
だから……好きになったのは、あっちの世界からです」
最後は、少し照れてしまった。
すると彼もまた、静かに目を細めて笑った。
しばしの沈黙が、温かな空気に満ちる。
お互いの言葉が、ようやく本当に通じ合ったような感覚がした。
そして、不意に彼が小さく吹き出した。
「なんだか……似たようなことを考えていたんですね」
「ふふっ、そうですね」
私もつられて笑ってしまう。
あっちの世界では決して交わすことのなかった会話。
身分の違いが壁となり、心にしまい込んでいた想い。
それを今、こうして笑いながら口にできる。
「……でも、知れて良かった」
隼人がそう言って、そっと私の手を取った。
温かな掌が重なり、指先が絡まる。
「あなたが俺を好きになってくれたこと。
あの世界でも、この世界でも。
それを聞けただけで、もう十分です」
「……ずるいです。そんなこと言われたら」
目の奥がじんわり熱くなる。
彼の掌のぬくもりが、すべてを溶かしていくようで。
涙がこぼれそうになる代わりに、私は小さく笑った。
「私も……同じ気持ちです」
二人で見つめ合い、そして、またふっと笑い合った。
まるで長い夢の続きを、ようやく二人だけで見られるようになったみたいに。
――その笑い声は、窓の外の青空に吸い込まれていった。




