第46話 植物
朝、やわらかな陽光がカーテン越しに差し込んでいた。
目を覚ました私は、ぼんやりと天井を見つめる。部屋の中は涼やかな空気に満たされ、窓の外では小鳥の鳴き声が遠く響いていた。
「おはようございます、星羅さん」
振り向くと、キッチンから隼人さんが顔を出していた。
シャツの袖を軽くまくり、手には木製のスプーン。漂ってくる香りは、焼きたてのパンとスープの匂いだ。
「……おはようございます」
まだ寝ぼけているせいか、声が少し掠れた。
食卓には、彩りのきれいなサラダ、ふわふわのスクランブルエッグ、そして自家製らしいトマトスープが並んでいた。
「今日は出かける予定もありませんし、ゆっくりしてください」
そう言って隼人さんは、私の席にサラダボウルを置くと、自分は向かいに腰を下ろした。
「……あの、隼人さんって、毎朝こんなふうにちゃんと作ってるんですか?」
「はい。でも……今はもっと楽しいです」
視線が絡む。深い色の瞳は、まるで私の奥まで覗き込むようだった。
慌ててフォークを動かした。トマトの酸味と甘みが口の中でほどけるのに、妙に落ち着かない。
朝食を終え、しばらくリビングで本を読んだ。
隼人さんはソファに腰掛け、私の隣で新聞を広げている。
ページをめくる音と、時折入るカップの中の紅茶の香りだけが、穏やかな時間を埋めていた。
「午後は、植物の手入れをしましょうか」
「……?」
窓の外には、陽をたっぷり浴びた小さな花壇と、緑が生い茂る芝生が広がっている。
隼人さんの家に来てから何度か目にしていたけれど、手入れをするのは初めてだ。
ガーデングローブを渡され、二人で外に出る。
日差しは強いけれど、風が心地よく頬を撫でる。
隼人さんは慣れた手つきで剪定バサミを動かし、私は咲き終わった花を摘んだ。
「こうしていると、時間を忘れますね」
「……隼人さん、意外とこういうの好きなんですね」
「意外ですか?」
少しだけ唇が笑みに緩む。
近づいた拍子に、肩がかすかに触れた。何でもないはずのその瞬間、胸がまたざわつく。
昼食は、庭で採れたハーブを使ったパスタ。
バジルの香りが食欲をそそる。
午後はのんびりと映画鑑賞。
ソファに座ると、自然に肩が近づき、いつの間にか頭を預けていた。
スクリーンの光が隼人さんの横顔を照らし、その影が私の胸の奥に落ちる。
ふと手が触れ合い、彼の指が私の指をそっと絡めた。
何も言わず、ただそのまま映画が終わるまで離さなかった。
夕方、再び庭に出ると、空は淡いオレンジ色に染まっていた。
隼人さんは私の横で立ち止まり、しばらくその景色を見つめていたが、ふと小さく呟く。
「こうして暮らしていると、星羅さんがずっとここにいるのが当たり前に思えてしまいます」
「……」
「だから、もしも離れる日が来たら……俺、きっと許しません」
柔らかな声色なのに、そこに潜む独占の色は隠しきれない。
私は言葉を返せず、ただ視線を夕焼けに逃がした。




