第41話 番外編 手料理
翌朝、私はキッチンに立っていた。
エプロンをつけて、冷蔵庫を開ける。
「……うわ、すごい」
そこには整然と並べられた新鮮な食材たち。高級スーパーの匂いがする。
やっぱり、隼人さんの家はすごい。なんでもある。
でも、ちょっと緊張する。
「……さて、何を作ろう」
彼に言われた「条件」は、私の手料理だった。
久しぶりにキッチンに立つ手が、少し震える。
(でも、作りたい。ちゃんと、心を込めて)
包丁を取り、玉ねぎを刻む。慣れた手つき……と言いたいところだけど、案の定、涙が出る。
涙をぬぐいながら、次はにんじん。
せっかくなら、彼が普段食べていないような、やさしい味にしたい。
だから私は、家庭的な「クリームシチュー」を選んだ。
レシピを思い出しながら、ゆっくりと煮込む。
部屋に、やさしい匂いが広がっていく。
それだけで、少しだけ安心した。
□
「……ただいま」
隼人さんの声が、玄関から聞こえた。
私はエプロン姿のまま、キッチンから顔を出す。
「おかえりなさい、隼人さん」
彼が驚いたように目を見開いた。
「……星羅さん?」
私がコトン、とお玉を置いて、にこっと笑うと、彼は少しだけ照れくさそうに視線を逸らした。
「……その格好、似合ってます」
「え、あ……ありがとうございます」
なんだか、お互い照れた空気になってしまって、笑ってしまう。
「夕飯、作ってみたんです。……あまり上手じゃないかもしれませんけど」
私は、テーブルに並べた皿を示す。
白いシチュー、焼きたてのパン、サラダに、ほんの少しだけレモンの効いたドレッシング。
家庭の味を、丁寧に揃えた。
「……すごい。これ、全部?」
「はい。手作りです。手、切りそうになりましたけど……なんとか」
彼は驚いたように笑い、椅子を引いた。
「では、ありがたくいただきます」
「どうぞ」
手を合わせて、ふたりで「いただきます」を言う。
その瞬間が、なぜかとても愛おしく思えた。
隼人さんは、スプーンを手にとり、シチューをひと口。
その瞬間、ふわっと表情がほどけた。
「……やさしい味だ」
「本当ですか?」
「はい。こんな味、久しぶりです」
彼はふっと笑う。
私のつたない手料理が、彼の心を少しだけほぐしたのだとしたら、それだけで、作った意味がある。
「……良かった。隼人さんが食べてくれて」
「これからも食べたいです」
「え?」
「たまにでいいので。帰ってきたら、星羅さんの作った料理がある……そんな生活、想像したら、悪くないなって思いました」
「……じゃあ、また作ります。もっと上手くなります」
「楽しみにしてます」
その声に、自然と笑みがこぼれた。
シチューは、ゆっくりと空になっていった。
□
食後、キッチンを片付けていると、背後から隼人さんが近づいてきた。
「今日はありがとうございました。……本当に、美味しかった」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございました」
ふと、彼の手が私の髪に触れた。
やさしく、そっと撫でるように。
「あなたが誰かに狙われていることも、俺が守りたいと思う気持ちも、何も終わっていない。でも、少しだけ、前に進めた気がするんです」
私は、静かに彼の手を見つめる。
「私も、そう思います。何もかも一気には変えられないけど……でも、私も変わりたいって、ちゃんと願えるようになった」
外は、夏の夜。
星が、静かに灯っている。
「……次は、何がいいですか?」
「そうですね。……カレーとか、どうです?」
「……シンプルですね」
「でも、きっと特別になりますよ」
その言葉に、胸がきゅっとなる。
想いが、今日、またひとつ深くなった。




