第35話 甘い檻
目が覚めると、やわらかな光が差し込んでいた。
(……ここ、どこ?)
ゆっくりと体を動かすと、天井には知らない照明。白くて整った部屋。あたたかな日差しがカーテン越しに差し込んでいて、心地が良くて、まるで夢の中にいるようだった。
でも――
手足は自由。けれど、ドアの位置と窓の構造を見て、はっきりと分かった。
(逃げられない……)
鍵のかかった窓。ドアは重そうな電子ロック。そして部屋の一角に置かれた監視用のカメラらしきもの。
(……これ、監禁じゃ……)
その瞬間、昨夜の記憶が一気に蘇った。
あの暗い倉庫。男たち。恐怖。
――隼人さん。
――銃声。
――告白。
「あ、起きましたか?おはようございます。」
不意に、ドアが開いた。
静かな足音とともに現れたのは、ゆったりとした格好の隼人さんだった。
「……!」
白いシャツの袖を少し捲り、髪は軽く濡れて後ろに流している。朝から整いすぎていて、まるで夢の続きのように見える。でも、彼の瞳は、やっぱり深い底なしの黒だった。
「朝食、できてますが、食べられますか?」
返事をしようとして喉が詰まった。
隼人さんは私の様子に気づくと、ふっと微笑んだ。
「大丈夫。《《まだ》》、何もしません。怖がらせたくて連れてきたわけじゃありませんから」
「……どうして……私、帰らなきゃ……」
かすれた声で言うと、隼人さんの笑みがゆっくりと消えていった。
「そうですね。でも、これからは俺とずっと一緒です。」
そのまま、彼は私の手を優しく引いた。
逃げる気力もなく、導かれるままにダイニングへ行くと、テーブルには本格的すぎる朝食が並んでいた。
ふわふわのパンケーキ、焼きたてのクロワッサン、具沢山のオムレツ、彩り鮮やかなサラダ、そして香り高いハーブティー。
(えっ、ホテル……?)
呆然と見ていると、隼人さんが椅子を引いて、私を座らせてくれた。
「星羅さんに作りました。俺が作った料理を食べると、笑顔になってくれますから。」
「……すごい……おいしそう」
「星羅さんが、俺に“おいしい”って言ってくれたら、俺は世界中を敵に回しても幸せだから」
ささやくような声音で、真っ直ぐに見つめられて、胸がざわつく。
フォークを持つ手が震えるほど、その視線は深くて、優しくて、でも――どこか狂気めいていた。
「……いただきます」
なんとか声を出して、口に運ぶ。
「…おいしい…」
(……ずるい、こんなの)
涙が出そうになった。怖いのに。混乱してるのに。隼人さんの料理も、言葉も、優しさも、全部が沁みてくる。
(……あ……)
言い忘れていたことがあった。
「……助けてくれて、ありがとう。…嬉しかった。」
ぽつりと呟くと、隼人さんは穏やかな笑みを浮かべた。
「星羅さんのためなら、どんな手段でも使います。倫理も常識も、全部、意味がない。だって……俺は、貴方を手に入れるために生きてるんだから」
ぞくりと、背筋に冷たいものが走った。
朝の陽射しの中でそんなことを言うなんて、反則だ。
食事を終えると、私はそっと椅子を引いた。
「……あの、そろそろ、帰りたいな。今日、バイトもあるし」
それはごく自然に言ったつもりだった。
だけど。
「……星羅」
声が低く、静かに落ちてくる。
見上げると、隼人さんの目から表情が消えていた。
「……どこに行くのですか?」
「え……バイト……」
「誰が、外に出ていいって言った?」
低い声、でも甘い言い方だった。怒鳴っているわけじゃない。ただ、淡々と。
「星羅さんはここにいるべきです。安全な場所で、俺のそばに。外は危険がいっぱいだから、また誰かが星羅さんを狙うかもしれない。そうなったら……俺は、次は理性を保てない」
ゆっくりと彼が近づいてくる。
「言いましたよね。逃がさないって」
背筋が凍る。
でも、暴力も、怒鳴り声もない。ただ優しく、でも狂気に満ちた“拘束”の言葉。
少しだけ微笑んだ。
「……教えてあげる。もう二度とそんなこと言わないように」
少しだけ微笑んだ。そう言って、彼はそっと私の手を取り、指先に唇を近づけた。
「ねえ、星羅さん。俺だけを見てて。星羅さんがいれば、それでいい。だから、他の誰かの方を見ないでください。」
――その時、彼の声がひどく甘く、でも低く沈んだ。
「じゃないと、俺しか映らなくしてあげたくなるから。」
隼人さんはにっこりと笑った。
「星羅さんには、まだこの世界を楽しんでほしいんです。その瞳を、俺だけに染めるには…まだ早いから」
私は何も言えなかった。
でも、心のどこかで、彼の“本気”を知っていた。
優しさの仮面の裏にある、絶対に逃げられない檻。
でも、彼のその異常なまでの執着が――
少しだけ、怖い以上に、嬉しかったことも否定できなかった。
(どうして……私、こんな……)
けれど、まだ完全には気づいていなかった。
この部屋の鍵を握っているのは、隼人さんだけではない。
私自身の中にも――すでに、彼に囚われ始めている“気持ち”があるのだと。




