痩せようとか思わねぇの?〜デリカシー0の君は、デブにゾッコン〜
デリカシーの無い陽キャ男×自己肯定感の無いデブ男のBLです。
あんなヤツ、誰が好きになるんだよ。それが、この間言われた言葉である。
それを言われた佐分末莉は、体重九〇キログラムの豊満ボディである。身長もそんなに無い。顔は、両親には可愛いと言われて育ってきたが、自分でもマイナス評価。痩せれば〜なんて言われたこともあるが、所詮タラレバである。
四月。クラス分けで、新しいメンバーと新しい教室に詰め込まれた日。佐分は、憂鬱な気分で席に座っていた。数ヶ月前、ゲラゲラと笑いながら自分を指さし、冒頭のセリフを言い放った男が同じクラスになったからである。
佐分は、彼が嫌いだった。当たり前に。声が大きい、態度も大きい。理不尽に人を馬鹿にしたり、その場のノリで生きているような言動が怖い。
そんな似鳥涼矢と同じクラスになったことが、嫌でたまらなかった。卒業まであと一年とはいえ、十代に取っての一年というのは長く重い。佐分の頭には、どうやって残り時間を凌ぐかしか無かった。
「佐分と一緒かよぉ」
似鳥が、そう言って佐分を見下ろしてきた。思わず睨み付けるように下からその顔を見る。ニヤニヤとしていて、何処か小馬鹿にしたような態度だった。
「同じクラスになれて嬉しいわ。二年ときは別だったからさ」
普通に友好的なことを言ってきているようだが、そのニヤけた態度からして嫌味か何かだと佐分には思えた。
彼は、暫く黙った後視線を逸らす。そして、「そうだな」とだけ呟いた。こちらも態度が悪いが、この間言われた発言を引き摺っているので無理もない。似鳥は、そのまま佐分の前の席に後ろ向きに座った。何故そこに座る。
「佐分はさ、痩せようとか思わねぇの」
そして、この話題。デリカシーがないにも程がある。佐分は、面倒に思いながらも「今のところは」と適当に返事を返した。痩せようと思ったことは何回かあったが、全てにおいて挫折を味わった。身体を動かしたあとは飯が美味くて食い過ぎる。次第に運動が面倒になる。劇的ビフォーアフターなんて簡単に出来るはずもなく、今に至る。
「ふーん」
似鳥が目を細める。佐分は「馬鹿にしやがって」と思いながら、鞄から本を取り出して読み始めた。もうお前とは話さないという意思表示だった。
それでも似鳥は怯まずに彼に話しかけてくる。佐分は生返事を返すことも無く、無視を決め込んだ。暫くして諦めたのか似鳥は仲間内へ戻って行った。
バシバシと背中を叩かれ「お前なにオタクくんに絡んでるんだよ」と言われている。誰がオタクくんだ。佐分は本から目を逸らさないまま、顔を顰めた。
それからチャイムが鳴り、みな散り散りに席へと着いていく。やっと静かになったことを感じ、佐分は漸く本を閉じた。
新しい担任の自己紹介は簡単に済まされ、各生徒の自己紹介に移された。佐分は七番目に発言する。趣味やらなんやらは特にない。簡単に名前だけ言って終わった。対して二十番目に発言した似鳥は、「好きなもんはゲームと、お菓子作りとぉ」と長々話している。お調子者らしい自己紹介だった。途中で「長ぇよ」と仲間からツッコミがはいり、強制終了になっていた。簡潔に話すことも出来ねぇとかよと佐分はイラついた。
やはり、彼のことは嫌いだった。
放課後、佐分は帰る準備を整えていると、また似鳥がこちらに近付いて来ている。
無視してリュックサックを背負い、教室から出ていった。似鳥に話しかけられる間もなく。残された似鳥は、何も言わずにその背中を見送って、仲間内へ戻って行った。何をしたかったのかなんて、佐分には知る由もなかった。
次の日も、似鳥は相変わらず佐分に絡んでこようとした。繰り返し「痩せる気はないのか?」と尋ねてくる。イラついた佐分が無視を決め込んでいると、諦めたように似鳥は戻っていく。そんな日が続いていた。
昼飯時もずっと見られている気がして、気が休まらず、新学期が始まって一週間で教室で昼飯を食べるのをやめた。
あからさまに避けている状態でも、似鳥は佐分に付き纏った。
視点は変わって、似鳥。
似鳥には、誰にも言っていない性癖があった。彼が無駄に佐分に構うのも、「痩せないの?」とデリカシー無く聞くのもその性癖によるものだった。
似鳥の好きなタイプは、『性別問わず、ふくよかでご飯をよく食べる人』つまり佐分のような人間だった。似鳥には、佐分が可愛くて可愛くて仕方ない。柔らかそうにふくらんだ頬、曲線を描き続ける身体、そして良く食べ物を食べる健康的な歯列。
どれをとっても佐分は似鳥の好みど真ん中で、一目見た時から気になっていた。一年生の頃は勇気が出なくてあまり話しかけられなかったが、二年でクラスが別れたときにそれを後悔し、最後の一年である今年には距離を縮めたいと奮起し始めた。
佐分の好むタイプが金髪だと知って、先輩や先生に目を付けられることを恐れず髪を染めるぐらいには、似鳥は佐分が好きだった。(ただし、これは二次元の推しに関しての好みなので、いくら似鳥が真似ようと意味は無い)
夜、目を瞑れば思い出す、佐分の柔らかな肉体を想い何度溜息を吐いたことか分からない。あの豊満な肉に手を這わせ、あの大きな口に舌を捩じ込んでしまいたいと思ったことも何度もある。
年頃の男子の脳内は、肉欲に支配されつつあった。だが、それが友人にバレるのが怖かった。友人達との会話で、自分の好みが少し人とはズレていることを自覚していたからである。
であるから、「あんなヤツ誰が好きになるだよ」と逆張り的に言ってしまった。
今でも後悔している。
寄りにもよって、それが佐分に聞かれてしまったことが、怖くて堪らなかった。
「痩せないの?」と聞くのは、元々デリカシーが無いからだが、痩せられたら困るという意思表示のつもりで言っている。似鳥は普通にろくでもない人間なので、言葉を選ぶ脳が無かった。
放課後の帰り道、今日はあまり佐分と話せなかったとションボリしながら友人達と歩いていると、ラーメン屋に入っていく佐分を見つけた。
そこで堪らず、似鳥は「腹減ったわ!」と叫ぶように言う。友人達は笑いながら同意して、少し早めの夕飯を取るべくラーメン屋に入っていった。
店の中に佐分の姿を探すが、客席には見当たらない。だが、確かにこの店に入る姿を見た。見間違いだったのだろうか。
周りの迷惑に配慮なんてせず、ワイワイ騒ぎながら頼んだラーメンを待っていると、嫌そうな顔をした佐分がソレを運んできた。
え、と思っていると佐分は舌打ちをしながら戻っていく。服装を見るにここでバイトをしているらしい。
友人達も気が付いたようで「佐分じゃあん」と声を上げた。佐分は煩わしげに顔を歪めたまま、無視して厨房へ入っていった。皿洗いの音が聞こえる。
似鳥は、自分の友人達が佐分によく思われていないことを悟っているため、「悪い事をした」と思いながらも、佐分のラーメン屋ルックに胸をときめかせていた。Tシャツのサイズがあっていないのか、若干ピチピチとした服装だったのが、中々にクる。顔が熱いのは、ラーメンのせいだけじゃなかった。
「そんなにそれ辛い?」
友人がそう聞いても、黙って頷くしか出来ない。
会計の時に佐分がまた出てきて嫌そうな顔をしながらレジを操作していた。その姿さえ可愛く見えるのだから、似鳥は彼にゾッコンだった。
次の日、今度は一人でラーメン屋に訪れた。
佐分は、訝しげな顔をしていたが、何も言わずに頼んだラーメンを運んでくる。
「佐分、いつからここでバイトしてんの?」
「…………」
無駄口は叩きたくないらしい。佐分は似鳥の問い掛けを無視して働き続けた。
次の日も次の日も、バイトに佐分が居なくても似鳥はラーメン屋に通い続けた。流石に異常だと思ったらしく、佐分は似鳥に「なんでお前毎日ラーメン食いに来てんの? 太るぞ」と怖い顔で尋ねてきた。
佐分から話し掛けられたことなんて無いので、似鳥は内心有頂天になりつつ、笑いながら「ハマった!」と答えるしか無かった。お前に逢いに来てるなんて、恥ずかしくて言えなかった。
「ハマったって、お前なぁ。限度あんだろ。ここ毎日だぞ? 身体に悪すぎる」
「佐分も身体に悪いとか思う時あるんだ」
「あるわ。馬鹿にすんな」
「してねぇよ。てか、俺体質的にそんなに太れないからお前が羨ましいわ」
「嫌味かよ」
店の大将も毎日来る少年を不思議に思っていたのか、会話に聞き耳を立てている。
そして二人が友達だと早合点すると、「末莉くん、賄い食べな」と頼んでもないのに賄い料理を似鳥と同じテーブルに置いてきた。
「えっ、大将」
「今はお客さん少ないし、食べれる時に食べちゃって。お友達と食べればいいじゃない」
「いや、別に友達じゃ、」
「食べな。冷めるよ」
「はい……」
弁解が面倒くさくなったのか、佐分は黙って賄いを食べ始めた。チャーシューの切れ端が沢山乗った大盛りご飯だった。それをガツガツとグルメ漫画みたいな勢いで食べる。
美味かったのか、元々細い目が更に細くなった。本当に美味しそうに食べる。似鳥は、煮卵をつゆの中に滑り落として、ぼうっと佐分の食いっぷりを眺めていた。
「……何でそんなに見んの」
「いや、めっちゃ美味そうに食うなって」
「美味いからな、ここのチャーシュー」
「それは、わかる。すげー美味い」
「だろ。黙って食え。見んな」
毎日通った回あって、少し話せるようになった気がすると似鳥は喜んだ。幾分か気安い話し方をするようになった佐分に、これは幸いと更に絡むようになった。
佐分は、自分が好きなラーメンを気が狂ったかのように毎日食うガッツのある似鳥に引いてるのだが、それは知る由もない。
「俺もここでバイトすることになった」
ある日、そう言って同じTシャツを着た似鳥が佐分の前に現れた。そんなにここのラーメンが好きなのかと、佐分は更に引いた。普通に大好きな佐分と働きたかったのだが、それも佐分は知らない。
佐分と違って愛嬌があり、声も大きい似鳥は、あっという間に店に馴染んだ。オーダー間違いをしても、何故か「仕方ないな〜」で許される似鳥に、佐分はイラつきながらも共に働いた。
一緒に賄いを食べる機会が増えたせいか、二人の会話も増え(佐分の機嫌によっては似鳥が一方的に話しているだけだが)、二人の距離は少しづつ縮まっているように思えた。
「佐分の家って、案外俺の家と近かったんだな」
バイト終わりの帰り道、似鳥はそんなことを言った。通学路が同じなので、方面も同じなんだろうなとは思っていたが、思ったより近かったのである。
これは嬉しい。似鳥は、ニヤけた面を隠そうともせずに話を続ける。それに鬱陶しげな顔をした佐分は、何も言わずに喋り続ける彼を見つめていた。
「佐分ってさ、甘いもの好きだよな」
「なんで断定なんだよ。好きだけど」
「俺、お菓子作りが趣味なんだけど、俺ん家でケーキとか食わない?」
「は?」
そういえば、自己紹介の時にもそんなことを言っていた。それを佐分は特に思い出さなかったが、甘いものは大好物なので、ごくりと喉がなった。だが、似鳥の家に行くのは嫌すぎる。
似鳥は、スマホの画面を何度かスライドして何枚か画像を見せてきた。今まで作った作品とも呼べるスイーツの数々は、どれも美味しそうだった。
「作っても俺しか食わないから、あんまり大きいのは作れないんだよな。でも、ホールケーキとかも作りたいから佐分が良ければ食いに来てよ。てか、来てくれないと困る」
「……いつも一緒にいる友達に頼めばいいだろ」
「アイツら、食い方汚いんだよ。佐分は綺麗に食べてくれるだろ?」
「普通に食ってるだけだけど」
「佐分の食い方はマジで綺麗だよ。それに食いっぷりがいい。俺、お前にものを食わせたいんだ。頼むよ。助けると思って」
「なんだよ、俺にものを食わせたいって……」
執拗いぐらいに食い下がった為か、佐分は結局折れて次の休みに食いに行ってやる、と約束した。
これに似鳥も有頂天だった。なんども約束を確認し、スマホのスケジュール帳と、家のカレンダーに印をつけた。楽しみで楽しみで仕方ない彼は、毎日のように佐分に食べたいケーキはどんなケーキか聞いて、構想を練って行った。
そして、当日。バイトも学校もない日に、佐分は似鳥の家の前にいた。だが、インターホンを押すのを躊躇っている。社交辞令で遊びに来てなんて言っているような雰囲気では無かったのは重々承知だが、昨晩、入った瞬間いつもの素行の悪い彼の仲間達が部屋にいて「ホントに来たよ!」と馬鹿にされる夢を見たので気が重かった。
く悩んでいると、ドアがひとりでに開いた。中からは、似鳥が飛び出してくる。そして、佐分の顔を見るとパアと花が咲いたように笑った。
「佐分!!」
叫ぶように言うと、駆け寄ってきて手を掴む。そのままブンブンと上下に降って来てくれたことの嬉しさを表した。そして、手を掴んだまま家の中へと引き摺っていく。
佐分は、されるがままに家の中に招き入れられた。パタン、と扉が閉まると、何故か似鳥は鍵をしめて(普通に防犯かもしれないと佐分は不思議に思わなかった)、嬉しそうに佐分に振り向いた。
「今日、親いないんだ」
「へー」
「二人っきりだね♡」
「あっそう」
今のはちょっとしたアプローチだったのだが、佐分には伝わっていない。むしろ若干気持ち悪がられた。
佐分は、なんだコイツと思いつつ、もう玄関の中にまで充満している甘い匂いに鼻をスンと動かした。良い香りが鼻腔をくすぐる。
早く食べたいと、脳が急かしている。それに気が付いたのか、似鳥はニッカリと笑って、佐分の手を引いた。部屋には大きなホールケーキがテーブルのど真ん中に置かれていた。オシャレなティーポットまである。
「紅茶、飲める?」
「飲めるけど、」
ケーキは、佐分が食べたいと言っていたシンプルな生クリームとイチゴのもの。学生には苺は高いだろうと半分嫌がらせのつもりで適当に言ったのだが、バイトを始めて小金が貯まった似鳥には関係なかった。
バイト始めで散財したい気分だったこともあり、苺は普段より多めである。
椅子を引き、そこに座ってもらうと断面を綺麗に見せるように切り分けて、佐分の目の前に置いた。
佐分の目が、キラキラと夢を見ている子供のように輝いている。似鳥には、それが可愛くて仕方ない。「召し上がれ」というと、佐分はおずおずとフォークに手を伸ばしてケーキの端っこに突き刺した。
小さく切り分けて、口へ運ぶ。生クリームは重すぎず、軽い口溶けで舌に絡んだ。
スポンジもフワフワで、雲でも食べているかのよう。中に入っていた苺の酸味が加わって、それはもう美味しかった。
夢中で食べ進め、最後に一番上に乗っていた苺を一口で食べると、「もう一切れ食べていいか?」と恥ずかしそうに似鳥へ言った。
似鳥は、ささっともう一切れを大きめに皿に乗せて佐分へ渡す。
佐分は、本当に幸せそうにケーキを頬張った。
ああ、好きだなぁ。
それをじぃっと見つめながら、そんなことを思う。やはり、自分は彼が好きなのである。
自分が作ったものが、彼の血肉になることが嬉しくて堪らない。元はと言えば、恋人を太らせるために始めたお菓子作りだったが、今それが佐分を幸せにしているのだと実感した。
ふと、佐分が頬にクリームを付けたままなことに気が付いて、そっと手が出る。
指先でその頬を撫で、クリームを拭いとると流れるように自分の口へそれを運んだ。
「美味っ、俺天才じゃね?」
「……えええ、」
「えっ?」
いとも容易く行われた、ベタな少女漫画のような行為に、佐分はドン引いた。拭われた頬に手を当てて、心底理解できないというような目で似鳥を睨んでいる。
似鳥は、なぜ睨まれているのか分からない為、首を傾げた。
「お前、今のはナイわ」
「ナイって? なにが?」
「そんなイケメンしか許されない行為を……」
「よく分かんないけど、俺イケメンだから良いんじゃね?」
「なんだその自己肯定力」
確かに、似鳥は顔立ちが整っている。自分でもそれを自覚しても自意識過剰では無いくらいに。
いつも友達からイケメンと呼ばれているし、女子からも「黙っていればイケメン」と褒められているので、自己肯定感も高かった。
佐分がなぜ怒っているのかよく分からないが、イケメンなら許される行為だと言うとことは、自分には許されるだろう。そう思ってケラケラ笑った。
佐分は呆れた様子で、またケーキを口に運んでいる。諦めたらしい。
「もうやんなよ」
「わかんないけど分かった」
「絶対わかってないだろ」
一周まわって面白くなったのか、佐分はくすくすと笑った。その笑顔がなんだかとても新鮮で、似鳥は釘付けになる。なんというか、可愛らしい。
こいつも笑えるんだ、と思った。いつも見るのは、仏頂面であったから。
「佐分ってさぁ」
言いかけて、やめた。なんとなく。気恥ずかしかったのだ。本当は可愛いよな、と続けるはずだったのだが、この想いがバレるのは気が引けた。
嫌われたくない、その一心でいつもは軽い口を閉じた。余計なことを言わないようにするのは、似鳥にとっては珍しいことだった。
「なんだよ」と訝しげをにする佐分に誤魔化すようにケーキのオカワリを勧めた。結局、残りはお持ち帰りということになったが、佐分は一人でワンホールケーキの半分を平らげた。
普通なら胸焼けしそうなところだが、佐分の胃は割と強いので問題ない。残りも家で大事に食べると言って、その日は解散になった。
佐分が帰ったあとも、暫く似鳥は有頂天だった。次々と消えていくケーキと、一生懸命に頬張る顔、幸せそうに蕩けた目。どこをとっても、彼は最高だった。
また来てと言えたのが幸いだ。次に何を作ればいいのか、また聞かなくては。
それから、またラーメン屋でバイトを続けて、軽口を叩き合う日々が続いた。
だいぶこの頃には二人は打ち解けて、学校でも何かと話すようになっていた。仲良くなれたことに似鳥は喜んだ。あのシャーシャー威嚇する猫のようだった佐分が、今はボディタッチをしても怒らない。
戯れに背中に手を回したが、払い除けられなかった。背中まで柔らかったため、抱き締めたらもっと気持ちが良いだろうなと夢想してしまったが、そこはバレてはいない。
はち切れんばかりに食べさせて、膨らんだ腹に耳を当て消化音を聞きたいとかも思ったが、それもバレていない。
とにかく、似鳥の下心を佐分はまだ知らないのである。
「今日、またうち来ない?新作食べて欲しいんだ」
下心ついでに、そうやってまた家に誘った。今回も、家には自分以外誰もいない。
「今度はな、タルト・タタン焼くんだ」
「そんなオシャレなやつも作れるのか」
「初めて作るけど、まあなんとかなるかなって感じ。なあ、味見頼むよ」
教室で話していると、面白そうなものを見た顔で似鳥の友人達が近寄ってきた。そして、乱暴に似鳥の肩を組んで「いいなー俺も食いたい!」と陽気に言った。似鳥は、いつもなら二つ返事で良いと言うところだったが、今回は佐分と二人きりになりたかったので、渋い顔をする。
佐分も、渋い顔をして「俺は今日は」と断りそうな雰囲気を出してきた。これでは行けないと焦る。
「佐分専用に焼くから!」
気が付けば、そんなことを口走っていた。友人は、キョトンとしたかと思えば、腹を抱えて笑い出す。
「なんだそれぇ」
「お前、佐分のことこれ以上太らせる気なのかよ」
沈黙。似鳥は少しだけ図星だったので黙った。その沈黙のせいで、佐分は困惑した顔で似鳥を見る。
「太らせて、馬鹿にするつもりだったのか?」
卑屈な佐分は、そう言って絶望した。勝手に湾曲して考えて最悪な想定をさも真実かのように言ってしまうのは、卑屈さのなせる技だった。
「馬鹿になんか、」
「お前、前にも言ってたよな。『あんなヤツ、誰が好きになるんだよ』って。そうやって、俺のこと馬鹿にしてただろ。ああ、デブだよ俺は、確かにな。ずっと笑いものだよ、俺なんか。不摂生な小汚いデブだよ」
「ちが、俺は、」
「そういうこったら、ダイエットしてやるよ! 痩せりゃァ良いんだろ痩せりゃァ!」
「やめてくれ!」
絶叫。似鳥は、人生で一番腹から声を出した。体育祭の応援合戦の時より声を出した。
「太ったお前が好きだから痩せないでくれ!」
そうとも言った。
この言葉には、皆それぞれ驚愕するしかない。誰かがア、ともウ、とも言う前に、似鳥は言葉を続ける。
「太らそうと思ってたよ! ちょっとは! 太らせて食べようと思ってました! あと十キロ太らせて、百キロのスーパードスケベボディに成長させようと目論んでました!ゴメンね!?
でも、お前がそんな可愛いから悪いんじゃん!! そんな可愛くて好みどストライクだったら好きになるしかねぇじゃん!
飯食ってる時の顔とか斜め後ろから見た時のほっぺの膨らみとか、もう可愛くて可愛くて仕方ねぇもん!
誰が好きになるんだよ? 俺だよ! 俺以外に好きになる奴いたら困るからああ言ったんだよ!
頼む痩せないでくれ! 一生可愛いお前でいてくれ! 痩せて可愛いお前が減るのが我慢できないんだ、マジで。俺を助けると思って食いもんを食ってくれ。
そして付き合ってくれ。一生俺の隣で食いもん食っててくれ」
一息で、言い切った。ゼェハァという呼吸音だけが教室に響いている。関係ないクラスメイトまで驚いて彼らを見ていた。
似鳥は、もう出すものを全て出してしまって泣くしか無かった。そして、縋り付くように佐分の足元へ跪いて、というか土下座して、「付き合ってください」と懇願している。
似鳥の友人達は、何が起こったのか分からずに佐分を見た。目が合う。佐分は、口をはくはくとさせて自分を指した。今の、俺のことですか、とでも言うように。
はい、お前のことです。と似鳥の友人は頷いた。
数拍遅れて、何を言われたのか理解した佐分が、ドッと汗を流した。そして、顔に熱が集まるのを感じた。
「えっと、その、」
何を言っていいのか分からない。分からないが、とりあえず。
「お前、俺のこと食うつもりだったの?」
そこである。なにヘンゼルとグレーテルの魔女みたいな思考を暴露しているんだ。
「食うつもりでした」
そう返されたら、「そっかぁ」としか言いようがない。傍から見ていた友人たちは「違う違う、そうじゃ、そうじゃない」と呟いていた。まず聞くとこはそこじゃない。告白の方がデカいだろう。
「…………持ち帰って検討します?」
「タルト・タタンは?」
「食うけど……」
「やったァ!」
「俺たちは?」
「お前らの分はない」
「そっか……」
「また今度な」
もうこの日から、似鳥は吹っ切れた。ことある事に泣きながら「付き合ってくれ」と懇願するようになった。
迷惑ながらも、佐分は断りもせず答えを先延ばしにしている。
そして「これからの人生で、こんなに自分のことを好いてくれる人が、現れるのか?」と思って困惑している。似鳥の気持ちは痛いほどわかった。もうわかりすぎるほどに毎日熱弁されている。
何かを頬張る時に、うっとりとした視線を向けているのを隠そうともしないのだから、恋愛関係の話題には鈍い佐分にだって理解できた。
正直言って、悪い気はしなかった。
だが似鳥が自分を好いているのは、自分の見てくれだけだ(!)。
こんな陰鬱な自分なんかと付き合いたいなんて、本当に思っているのだろうか。今よりも親密になって行けば行くほど、苦しくなるのは似鳥なのではないか? そうとも思った。
「お前さ、趣味悪いよ」
バイトが終わり、賄い料理を食べている最中、佐分はそう言った。似鳥はニコニコとしながら、自分の丼に乗っていたチャーシューを分け与えている。
佐分が続ける。
「俺なんて陰鬱なデブ、好きになる要素がないだろ」
「陰鬱? でも、佐分は優しいよ」
「どこがだよ」
「隣のヤツが消しゴム落とした時とか、絶対拾おうとするじゃん。
それに、掃除当番の奴らが逃げて一人になっちゃったやつを当番でもないのに手伝ったり。
あと、弁当ひっくり返した奴に菓子パン分けてやったこともあるだろ?
佐分は周りをよく見てるから、バイト中も助けられること多いよ。
ああ、疲れ果てたお母さんがご飯食べれるように、子供の面倒見てたこともあったよな。中々できないよ、そういう親切」
好きにならない要素が無い。と似鳥は笑った。
「たまたま、気が付いたからで」
「気が付いても行動出来ない奴の方が世の中多いって」
「ふぅん……」
佐分は、赤くなった頬を隠すように前髪を弄った。ここまで褒められて悪い気はしない。
ここ最近、ずっと似鳥とつるんで来たせいか、似鳥が嘘をつかないことはなんとなく察していた。思ったことが全部口に出るのだ。隠し事には向かない。その分デリカシーも無いが。
「佐分は、俺のこと嫌い?」
「……嫌いだったよ。前はな」
確かに嫌いだった。声がでかくてガサツで素行も悪い不良だと思っていたから。だが、今は違う。接しているうちに、悪感情は無くなっていた。
それに、人とは単純なもので、好意を正面からぶつけられると多少なりとも相手が好きになる時があるのだ。
美味いお菓子を何度も差し入れされたこともあって、胃袋も掴まれている。
「今は、好き?」
「どうだかな」
とりあえず、はぐらかした。
こんもりと盛られたチャーシューが、似鳥からの愛情表現なのだと言うことはなんとなく理解している。
ここまで自分を好いてくれる人が、この先の人生で現れない気がしているのも本当。
正直言って、佐分はだいぶ似鳥に好意的だった。が、ちっぽけなプライドやらが邪魔をして「付き合う」という言葉が出なかった。
ここで折れたら、主導権を握られてしまう気がした。
「とりあえず、保留。お前と付き合うとかそういう話は」
「え」
「俺達、今年受験だぞ。恋愛ごとにうつつを抜かしてられるか」
「そっか、」
似鳥は、捨てられた子犬のような顔をしていたが、すぐに持ち直した。そして、キラキラとした顔で
「俺、いつまでも待つよ」
と言った。健気なもので、いつまで保留にされるか分からないのに待つという。
「佐分は進路どうすんの?」
「着いてくるとか言わないよな」
「言わないよ。俺、やりたいことあるもん。製菓の専門学校行くんだ。もっと腕磨いて、佐分に食べさせてやる」
「そりゃあ、楽しみだな。……俺は大学行く。やりたいこと特にないけど、とりあえず」
「ふーん。見つかるといいね。やりたいこと」
賄いを食べ終わり、帰路に着く。同じ方向に帰るので、二人はまだ一緒にいる。当たり障りのない話をしながらその日は解散になった。
似鳥は、最初は困惑していた友人達にも、佐分の良さを熱弁したらしく、最初は引き気味だった彼らも余りの熱量に押されて二人の仲を応援するようになっていた。佐分にどれだけ似鳥が良い奴なのか、教えに来たりもした。
似鳥が良い奴なのは分かっている。適当にあしらったが、彼らは執拗かった。
あまりにも執拗いため、ついには佐分がキレた。
「保留になってんだから横からヤイヤイ言うなよ」というような感じで。なので今では、「そっと見守っててやろうぜ」という雰囲気になっている。彼らも悪気がある訳じゃないのだ。思ったことを考え無しに口に出すだけである。
そうこうしているうちに月日は流れ、本格的な受験勉強に力を入れ出す頃になった。
専門学校志望なので、勉強量は佐分より少なくて済む似鳥は、時間を見つけては佐分を鼓舞する為にお菓子を作って差し入れた。
勉強で疲れた脳に、糖分は甘く染み込み力をくれる。そのおかげでまた体重が増えたが、勉強は捗っていた。
「模試、どうだった?」
「まあまあかな。良くも悪くもって感じだった」
「ふーん。クッキー焼いてきたけど食う?」
「食うけど……なぁ、お前さ俺のこと太らせて食うつもりだって言ってたよな。どれくらいが食い時なの」
「今、かなぁ」
「今なんか」
「うん、凄く美味しそう」
ちらり、と似鳥に視線を向ける。似鳥は、蕩けたような熱の篭った目をして佐分を見ていた。
佐分は、何となく聞いたことを後悔した。相手がどれだけ自分に本気なのか、改めて自覚した。聞かなきゃ良かった。
「齧っていい?」
佐分が返事を言うよりも早く、似鳥は彼の頬に齧り付いた。歯を本気で立てない甘噛みである。佐分は突然のことに固まった。唐突過ぎる奇行にどうすればいいのか分からない。
逃げようと身を捩ると、腕が背に回ってきてロックされた。無駄に力が強く、逃げられない。筋肉量は似鳥の方が上である。
甘く、ガジガジと齧られ、舐められ、逃げられない佐分は遠い目をしていた。なんだこれ。
逃げればいいのだが、何故か上手く抵抗できない。受け入れてしまっている自分がいることに初めて気がついた。
「お、おい」
「はむ、はむ、」
「マジで止めないと手ぇ出るぞ……」
絞り出すようにそう言うと、最後にキスをされて開放された。似鳥は、満足そうにしているが、佐分はゲッソリとしていた。なので思わず叩いた。
「止めたじゃん!」
「うるせぇ変態!」
噛まれて少し赤くなった頬に付着した唾液を拭いながら、佐分は吠えた。恥ずかしくてたまらない。
親にも齧られたことないのに、と泣きそうにすらなった。相変わらず似鳥はケラケラ笑っていて、反省の色すらなかった。
「可愛い」
「うるさいうるさい、マジでうるさい」
「照れてる? でもさ、本気で嫌がってたら俺もやらないよ」
「おいそれって俺が嫌がってないみたいだろうが」
「嫌がってないでしょ?」
「バーカ!」
心臓が痛い。バクバクと跳ねている。それは捕食される恐怖からだと自分に言い聞かせて、本当の気持ちを見て見ぬフリをした。
「俺はそんなに単純でチョロい奴じゃない」「好きって言われたからって好きになるわけない」。そう思って、うるさい心臓を胸の上から押さえつけた。
実際、好きになりかけているのだが、それを認める度胸は佐分には無い。
だが、二人の距離は否応なしに段々と縮んで行った。
アルバイト終わりの帰り道、似鳥が店に忘れ物をしたからと言って、一人で先に帰っていた佐分は、酔っ払いに絡まれた。
酒臭い息を撒き散らしながら、佐分の肩を無理やり抱いて、「幾らだ?」と聞いてくる。
何の話か分からなくて、ただ離してくれと身を捩る佐分に、酔っ払いは捲し立てるように言った。
「俺、お前みたいなデブが好きなんだよねぇ。ねえ、バイトと思ってさ、ちょっと付き合ってよ」
どいつもこいつも、こんなデブに何でそういう目を向けてくるんだ。
佐分は漸く意味を理解して、本気で逃げようとしたが、酔っ払いは逃がしてくれない。揉み合っていると、壁に押し付けられ、無理やり顔を覗き込まれた。
「可愛い顔してんじゃん」
そういうや否や、唇を舐められる。肉厚な舌が、ゆっくりと顔を這う。
嫌で嫌で堪らなくて、一生懸命に逃れようとするのだが、酔っ払いは無駄に体格が良く筋肉も鍛え上げられているため逃げられなかった。
そこで、似鳥の抑え込む力が本気じゃなかったと悟った。あれは、今思えば逃げようと思えば逃げれるくらいの力だった。逃げないのは佐分の選択だったと気が付いた。
それに気が付いて困惑していると、酔っ払いは佐分の唇を無理やり奪ってきた。
口の中に舌をねじ込もうとさえしてくる。抗っていたら、不意に腹を殴られた。思わず口を開いて、息を吐く。柔い腹にめり込んだ拳が、痛くて堪らない。舌が、口内に捩じ込まれる。
自然に涙が溢れた。どうすればいいのか分からない。下手に抵抗したら、また殴られるかもしれない。もしかしたら、殺されるかもしれない。
恐怖に囚われた佐分は、身体が思うように動かなくなった。それを幸いと、酔っ払いは好き勝手に舌を動かす。
大きな蛞蝓が口内を蹂躙しているような感覚に、吐き気を覚えた。逃げる佐分の舌を捕まえて、吸って、絡めて。
酒臭い息を感じる。身体を這う手が気持ち悪い。
(助けて、似鳥――)
天に縋るように、今はいない彼に助けを求めた。
「気持ちよくなってきた? ほら、ここ触るね、」
下半身に手が伸びてきた。「嫌だ、触るな!」と叫ぶ言葉は、酔っ払いの口の中に消えていく。
「テメェ!! 俺の佐分に触んじゃねぇ!」
その時、祈りが届いた。
似鳥は、酔っ払いを引き剥がすとその腹に蹴りを入れた。そして、佐分の手を掴んで自分の後ろへ庇った。
「大丈夫か!?」
「…………ッ、」
声が出ない。だが、佐分は似鳥の顔を見て、安心したことは確かだった。ぎゅう、と似鳥を背中から抱きしめる。
酔っ払いの体温はあんなに気持ちが悪かったのに、似鳥の体温は、心から安堵できるものだった。
それから、警察が呼ばれ、酔っ払いは連行されていった。二人もそのまま警察に保護された。
事情聴取は、佐分にとって苦痛だったが隣で似鳥が背をさすってくれていたので、何とか終えることが出来た。
それぞれの親が迎えに来て、その日は別れた。
翌日から、佐分は学校を休んだ。
なので、似鳥は甘いケーキをもって、佐分の家に来ていた。玄関先で扉が開くのを待っている。開かないかもと不安になりながら。
だが、杞憂だったようで、すぐに扉は開かれた。中から、暗い顔をした佐分が出てくる。
「似鳥、」
「入っていい?ケーキ持ってきたんだ」
「……ああ、ありがとう」
アパートの中に入る。途中で通ったリビングの壁には、小さい頃からの佐分の写真が飾られていた。愛されて育ってきたのに、なんであんなに後ろ向きなんだろうなと思ったが、何も言わず、佐分の部屋に向かう。
いつもケーキを食べる時には似鳥の家に招いていたので、佐分の家に来たのは初めてだった。
佐分の部屋は、アニメポスターやロボットフィギュアなどが並んでごちゃごちゃしていた。
それを物珍しそうに眺めつつ、机にケーキを置く。
「佐分が好きなイチゴのケーキ焼いたんだ。ジュースも持ってきた」
カットされたケーキを持ってきた紙皿に乗せて、プラスチックのフォークを差し出す。佐分は、それを受け取って暫く眺めていた。
「似鳥、頼みがあるんだ。気持ち悪く思ったら、拒んでくれて良いから」
「なに?」
「俺に、キスしてくれないか」
「え、」
ぼろ、と佐分の目から涙が溢れた。
「ずっと、口の中が気持ち悪いんだ。あの感覚が、口の中にずっとあるんだ。ごめん、ごめん。されてる時、これがお前ならって思ったんだ。気持ち悪くてごめん。上書きし欲しいんだ、」
「佐分、」
そっと、震えるその身体を抱き締める。
「お前が望むなら、俺はなんだってしてやりたいよ。でもさ、佐分はそれでいいの? やけっぱちになってるようにしか見えないよ。俺には」
「似鳥、」
「大丈夫、大丈夫。佐分は気持ち悪くなんかないよ。誰がそんなこと言うの」
とん、とん、と一定のリズムで背を叩く。段々と、佐分の震えは収まっていく。そこで、額を合わせた。顔を覗き込んで、目を見つめる。佐分の涙に濡れた瞳に映る似鳥は、どこまでも真剣だった。
「ケーキ食べよ。佐分のお母さんにLINEで聞いたよ。ご飯食べれてないんだって?」
「……なんで母さんとLINE繋がってるんだ?」
「この間警察に迎えに来た時に交換した」
「いつの間に」
ふ、と似鳥は笑う。そして身体を離し、一口サイズにしたケーキを佐分に差し出した。
「食ってみ。最高傑作だから」
「……ありがと」
口にケーキを含む。甘い優しい味がした。ゆっくりと味わいながら、咀嚼していく。いつの間にか、寒々とした気持ちは消えていた。
「佐分、おいしい?」
「おいしい、前に食った時よりも美味くなってる」
「だろ?」
夢中で食べて、久々に腹が膨れた。
「なぁ、似鳥。気持ち悪いと思ったら断ってくれていいんだが」
「またそれ? 気持ち悪くないよ。言ってみ」
「……そばにいてくれないか、これからも」
「良いよ」
「ん、ありがと」
佐分と似鳥は、談笑しながらケーキを食べた。例えこれ以上太ろうとも、二人一緒に居られたらそれで良いと佐分には思えた。
次の日から、佐分は学校に戻った。いつも通りの日常に戻った。隣には似鳥がいてくれたので、帰りの夜道も怖くなかった。
後から警察に聞いたが、あの時の酔っ払いは他にも余罪があったようで、それも合わせて起訴されるらしい。佐分の両親も彼を訴えるつもりでいる。
それには佐分も色々とやらないといけないことがあるが、似鳥が傍にいれば乗り越えていける気がした。
受験もこの調子なら何とかなりそうだった。
季節は流れ、受験本番。佐分は、ひとりで会場に来ていた。緊張はしているが、出る前に家の前で待ち伏せていた似鳥に貰ったお菓子がポケットにある。お守り代わりである。
実は、やりたいことが見つかった。将来ケーキ屋をやりたいという似鳥を経営的にサポートするために経済学部に進むことに決めた。役に立てるかは分からないが、二人でやって行けたら最高だなと思う。
雪がチラつく中、息を大きく吸って会場内へ入っていった。
「合格おめでとーう!」
案外、あっけなく合格した。
似鳥の差し入れで集中力を上げる勉強法のおかげだった。お祝いにと、またお菓子を焼いてもらっている。
「ふふん、今回は佐分のお母さんにも材料代をカンパしてもらったから豪華だぞ! フルーツタルトだ!存分に食え!」
「おー、やったー」
キラキラとしたフルーツが乗ったタルトは、その美しい見た目だけで食欲を唆る。切った断面も綺麗だった。大口でいっぱい口に含むと、フルーツの甘みとサクサクのタルト生地の旨みが口いっぱい広がった。
「受かったのも、お前のおかげだよ。似鳥」
「そうかな? そうかも。俺のスイーツは頭が良くなるからな」
「それは違うと思う」
ふと、佐分はフォークを置いた。そして真剣な顔で似鳥に向き合った。
「なぁ、そろそろ答えを出そうと思う」
「答え?」
「保留にしてただろ、ずっと」
「え! あ! やった!これからもお願いします!」
「なんで、そんなに勝ち確みたいな顔してるんだよ」
はあ、とため息を着いた。なんというか、悔しい気がする。まんまとそういう気分にされてしまった。
佐分は、似鳥の手を握って眉を下げた。自信が無さそうに、震える声で、「まあ、勝ち確なんだが」と呟いた。
「あのさ、キスしていい?」
「好きにしろ」
最初は頬に、次に唇に。優しく、触れるだけのキスをする。前に変質者に触れられた時のような嫌悪感は無く、むしろ心がふわふわと安らいだ。甘いケーキを食べている時のような、多幸感に溢れた気分だった。
「あのさ、」
「今度はなんだ」
唇を離した似鳥が、おずおずと口を開く。
「痩せようとか、思わねぇの?」
「思わねぇよ。馬鹿が」
もう一度、二人はキスをした。
了
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