第29話
その時、飛び去ってしまったと思っていたフブキが、物凄い勢いで飛んで迫って来る。シャギーがオリハルコンの短剣を胸に突き立てたと同時に、その胸の中に飛び込んで行った。
その瞬間、音さえも聞えなくなるのでは無いか、と思う程の眩い光の濁流が辺り一面を襲う。
光の濁流が収まった後視力が戻り、辺りを見る事が出来る様になった3人が見たものは、意識を失った状態で仰向けに倒れているシャギーの姿。
その姿は、魔族と化したおぞましいものではな無く、人としてのいつものシャギーの姿だった。
セイとマリアーナはすぐシャギーに近づこうとしたが、シュテハンが二人の腕を掴み行くのを妨げた。
「チョッと! 手を放してよ!」
「待てって!…………その……言いずらいんだけど、見た目はいつものシャギーリースだが、中身はどうだか分からない! うかつに近づかない方が良い」
シュテハンのその考え方は正しい。見た目が元に戻ったからと言って、心まで人間に戻ったかは今の状態では確認のしようがないからだ。
だからと言ってマリアーナは、あの状態のシャギーをそのままにしておきたくない。
その時セイが、自らシャギーの事を確認すると申し出た。
「じゃあ、僕が見て来ます。兄さんが人に戻っていなかった場合でも、僕なら対処できますから」
確かに、セイならば冒険者としての実力も有るし、また長年一緒にいた事でシャギーの扱いも分かっているからだ。しかし、魔族と化したシャギーにそれが有効かどうかは分からないが……。
「セイ君には申し訳ないけど、お願いするよ」
「任せて下さい! たとえ暴れだしたとしても、僕が絶対に抑えて見せます!」
はたして、剛力の自分でも抑える事が出来るかどうか分からないが、ゆっくり慎重に倒れているシャギーに近付くセイ。見た目は本当にいつものシャギーそのままである。ただ、表情は苦しさゆえなのか苦悶の表情が浮かんでいる。
そっと傍らに膝をつき、様子をうかがう。胸を刺した短剣は、胸から抜け落ち傍らに落ちていた。どう言う事かは分からないが、胸を刺した傷が見当たらないし、出血も殆ど無い様だ。
まだ当分の間、意識は戻りそうも無いので、セイは表面上の確認をしていく。頭に手をやり角を調べたり、犬歯を見たり、爪や瞳も確認した。
その結果、見た目は本当に人間に戻っていた。しかも、以前のシャギーは犬歯がかなり尖っていたのだが、今は普通の人と変わらない状態だ。
「シュテハンさん、マリアーナさん。こちらに来ても大丈夫だと思いますよ!」
セイはリョウの状態が、これと言った確かな理由は無いが、むしろ以前より良くなっているのでは無いかとさえ思えた。
転びそうな勢いでマリアーナが近付き、震える手でシャギーの顔を優しく触る。
「……………………ごめんなさい。本当にごめんなさい! この前あんな酷い事を言ってしまって…………」
泣きながら、以前魔族化した姿を見たいと言った事を、悔み、謝るマリアーナ。
その時、シャギーの瞼がかすかに震えた。
暗い水底から上を見上げているような、ユラユラと不安定な気分でシャギーの意識が戻って来る。
(…………俺は、死ななかったのか? 皆はどうなった?)
開けた目で最初に見たものは、泣きはらしたマリアーナの顔であった。
(ああ、マリアーナには笑顔の方が似合うのに…………)
思わず、マリアーナの頬に手を伸ばそうとした時、今までの事を急に思い出し、ガバッ!と跳ね起き、慌ててその場から離れようとした。
が、目まいを起こしてその場にまた倒れこむ。
「駄目だ! 俺から離れろ! 早く!」
まだ自分が魔族の姿であると思っているシャギーは、3人から距離を取ろうと座ったまま後ずさる。
その時、セイが、
「兄さんこれ」
と言って、手鏡を渡してきた。
渡された鏡を見て驚いた。ディールのあの暗黒の血を飲まされた時、自分でも急激に体が魔族に変わっていくのが分かった位だったのに、今鏡に映っているのはいつのも自分の顔である。
自分の顔に手をやり、
「………これは、いったいどう言う事だ⁉」
「兄さん、ちょっと歯を見てみなよ!」
泣き笑いの表情のセイに言われた通り、いつもの犬歯むき出しの笑いをしてみたが、犬歯が牙どころか普通の歯と遜色ない歯だった。
「その…………シャギーリース。気分はどうだ?」
シュテハンは、半分腰が引けた様な感じで、シャギーに問いかける。マリアーナと違い、シャギーの魔族の話は聞いていなかった為、この事態は寝耳に水で、正直、今も襲って来るのでは無いかと不安がある。
そんな様子のシュテハンに、申し訳なさげに目をやり、
「…………すまんな。だいぶ怯えさせてしまった様だな。……そうだな、今の気分は悪くない。むしろ、なんだかスッキリした気分だ!」
「だけど、いったい何がどうしてこうなったんだ?」
シュテハンの疑問はもっともだが、当事者のシャギーはもっと事態が分からない。
「俺に聞かれても困るんだが…………今の俺には闇の気配が全く感じられ無いんだ。逆に、聖の気で満たされている気がする」
「あの時、兄さんが剣で胸を突いた時、フブキが兄さんの胸に飛び込んで、物凄く光って、光が収まったら元に戻っていたんだ」
「…………でも、本当に…良かった。元に戻ってくれてあり…がとう!……シャギーリース」
マリアーナが泣きながらシャギーに抱き付いて来た。
マリアーナの温もり感じながら、彼女の背中を優しく撫ぜ、シャギーは自分自身を検分していた。
魔族的外観の要素も、自分で刺した胸の傷も、何もかもがディールに血を飲まされる前と変わらなかった。むしろ、今まであった心の中の重荷さえも、無くなってしまったかのように、心も体も整っているように感じていた。
その時また、森の気配が変わる。
今度は先ほどとは真逆の、静謐な澄んだ気配に包まれ、辺り一面ににエメラルド、ペリドット、翡翠など様々な緑色の美しい光が漂い出し、一か所に集まり出した。
やがてその光は人型を形成し、ドライアドとなる。
「…………人の子よ。私は森の守護者ドライアドです」
以前、ブリザードスネークを討伐した時に現れたドライアドだった。
「あなた方の疑問に答える為に私は参りました」
この不可解な現象を説明するために、わざわざ現れてくれたらしい。たとえ、他に思惑が有ろうとも4人にとっては有難い。
「『赤を纏う者』よ。あなたには以前から身の内に禍々しい物が宿っていましたが、此度あなた自身の手でそれを消滅させました」
「ディールに埋め込まれた赤い魔石の事ですか? 俺……いや、私が消滅させたとはどう言う事なのでしょうか?」
「その聖なる剣で自身の胸を突いた時、心の臓では無く魔石に触れ消滅したのです。それにより、今後、あの魔族が接触して来る事は、難しいのでは無いかと思います」
10歳の時に胸に魔石を埋め込まれてから、今までずっと魔族になってしまうのでは無いかと言う、恐怖に怯えて生きてきた。それが今回、こんな形ではあるが解消された事が、シャギーにとってこれ以上無い位の喜びになった。
しかし、魔石が無くなったからと言って、あの暴力的な闇の血から逃れられたとは思えず、
「あの、お聞きしたい事がございます」
「闇の血の事ですね?」
「はい。魔石が無くなったからと言って、あの血から逃れられるとは思えないのですが?」
ドライアドの次の言葉にシャギーは驚きを隠せなかった。
「あなたが、自身の胸に聖なる剣を刺した時、あなたのフブキがあなたを救ったのです。あの子は、私の聖なる力と、あなた自身の聖なる力で出来ていたのです。そして、あの子はあなたの身代わりとなり、その自身に宿る全ての聖なる力を使って、あなたに注ぎ込まれた闇の力を浄化したのです」