4話
本当に怖いものを見た時、本当に命の危険を感じた時、本当に絶望した時、人は絶句するのだとはよくぞ言ったものである。戦えとは言われたが勝ちが見えない。自分は武道の達人とか退役軍人とかそういう訳ではないただの一般人だが目の前にはっきり何かが見える。そうだ、これはきっと死だ。こいつは死そのものなのだ。決闘士でも持て余すようなその全身に備えた武は命を奪うただそれだけに特化した、いわば兵器であった。震える足で後退りをする。奴は距離を詰める。刹那、消し飛んだ横っ腹。悶絶どころの騒ぎではない。力の差も何もかも全てが圧倒的である。奴の拳は横っ腹は平気で貫通して拳の先にあった地面には風圧で軽いクレーターができていた。なにをどうしたらこいつに勝ったことになるのかも分かってない上に力では勝てそうにもない。どうにか利用できそうな地形も吹き飛ばされて今や更地である。ぷるぷる震えていた足は脇腹を消し飛ばされた痛みで空元気も虚しく力無くへたり込んでいる。
奴がニ撃目を構える。足は依然動かない、言うことを聞かない、動いてくれない。動け、動け、動け。
足は動かない、負傷は大きい、そもそも戦意が消えている。もう元の世界は諦めてここで死のう。意識が朦朧してくる、こんな時でも人間眠い時は眠いのか。
そういえば自分は元の世界に戻って何がしたかったのだろうか。大した趣味もなく人との関わりも深くなく休日はずっと寝ているような生活、いっそ生まれ変わった方が楽しいのではないだろうか。いいや自分はこの生活に帰りたいのだ、非日常はいらないからどうにかして元の日常に戻りたいのだ。だから立たなきゃ、起きなきゃいけない。起きたら次は動かなきゃいけない。
重く閉じた瞼が上がる。震える足はどうにか動く。
立ち上がらなくたっていいからしっかり見て避けよう。冷静に振り上げられた拳を見つめて、転がれ。
不思議と体が言うことを聞く、満身創痍だってのになんだか絶好調みたいな気分だ。転がって距離は取った。ゆっくり確実に立て。まともにこっちが拳を入れてもきっとこいつにはダメージなんて入らなさそうだ。じゃあどうするべきだ?結局ここで手詰まりか?
いいや、試練と言ったぐらいだから力でねじ伏せるのとは別で何かがあるはずだ。考えてるうちに次の攻撃が来る。今度は確実に当ててくるだろうに未だ解決策は浮かばない。せめて自分がもう一人いれば片方は生き残れたかもしれないのに。奴の拳が目と鼻の先に来る。死を悟るのはこれで何回目になるだろうか。もはや目の前にある死を避ける術はない。それでも精々あがこうと、なんとか横に飛び込むと自分のいた場所に自分が見えたのだ。これが死かぁ…などとしみじみ感じていると奴の拳は今目の前にいる自分に振り下ろされる。自分の体は霧になって消えた。ちょっとした悪夢を見ているようだったがどうにか逃げ延びた自分の頬をつねると痛い。呆然としていると霧になった自分の体はほんの1秒も経つ前に居た場所にもう一度立ち尽くしていた。怪物はそこに立ち尽くす自分の体を殴り続けている。何が何だか分からないがチャンスなのかと思い奴を恨みも込めて思いっきり殴ってみると怪物も霧になってどこかへ消えていった。
きっと試練は終わったのだ。