1章 セーラとローラ
9月のある日のことです。イギリスのロンドンの街を一台の車が走っていました。その中に、2人の少女がお父さんの両側に座っていました。その少女たちは顔立ちと背格好、そして服装が似ている双子の姉妹です。その少女のうちの1人が瞳を輝かせながら窓越しに街並みや道行く人々を眺めていました。
「とっても素敵な街ね!ねぇ、パパ、ここが『あそこ』なの?」
このローラ・クルーという15歳の少女は、ふと楽しそうな表情で隣に座るお父さんに聞きました。姉のセーラ・クルーはその間、住んでいたインドのムンバイのことやインドから9時間もの飛行機での空の旅、そしてロンドンを車に乗って移動していることを不思議に思っていました。
「そうだよ。…とうとう着いたんだ」
なるべく明るい声で言ったはずですが、父親は悲しんでいることが娘たちにはわかりました。
お母さんはセーラとローラが5歳の時に亡くなったので、セーラとローラにとってお互い以外の身内は若くてハンサム、陽気で裕福なお父さんだけ。セーラとローラにとって、このお父さんは大切な家族でした。
「裕福」というのは、大人たちがこっそり言っていた言葉で、大きくなったら娘たちも裕福になるともいわれていました。セーラとローラには裕福とはどういうことかわかりませんでした。インドではベランダのある素敵なお屋敷に住んでいて、たくさんいる使用人はセーラとローラを見ると「お嬢様」と呼んでおじぎをし、好きなことは何でも自由にさせてもらえました。たくさんのおもちゃやお洋服もあったし、ペットもいたので、こんなことが裕福なのかな、とも考えていました。
セーラとローラが数多くのおもちゃの中で特に大事にしていたのは、7歳の誕生日にお父さんが買ってくれたバニーユとフレーズです。バニーユとフレーズは当時世界中の子供たちが観ていたアニメ「アニマルアカデミー」の主人公であるリスの双子の兄妹で、キャラクターグッズとして販売されていたぬいぐるみでした。バニーユはセーラのカバンに、フレーズはローラのカバンに入っています。
通っていたインドの学校でも気立てのいい双子の姉妹は人気者で、イギリスへ旅立つ前に友だちも呼んで送別会もしていました。セーラとローラはイギリスに行くのは楽しみでしたが、大好きなお父さんと離ればなれになることについて不安に思っていました。ニコル・メレディスは子どもの頃はインドに住んでいましたが、8歳の時にイギリスの寄宿学校に入学しました。ニコルの両親が息子から来た手紙を持ってきてくれたこともあり、2人でイギリスの学校のことについて色々話して思いを馳せてもいました。
お父さんはイギリスに来る前、娘たちにこんなことを話していました。
「別れて暮らすのはたったの3年間だよ。お前たちはたくさんの友達がいる大きくて素敵な学校に行くんだ。そこにはもちろんニコルもいるよ。本もたくさん送ってあげるね。お前たちが立派になって戻ってきたら、また一緒に暮らそうな。もしボーイフレンドができたら手紙で知らせてくれよ。」
セーラはそのことについて考えるのが好きでした。また、そのことを妹に話すのも好きでした。ローラやお父さんと一緒に馬に乗ったり、ディナーにやってきたお客様をおもてなししたり、お父さんと話をしたり、お父さんの書斎にある本を読むためなら、ローラとともにイギリスで勉強しようと決心したのでした。
セーラは男の子に興味がありませんでしたが、本があればさみしいとも思いませんでした。セーラは本を読むことが大好きで、自分でも物語をノートに書いていました。ローラもその物語が好きでしたし、お父さんも物語を聞くのが好きでした。
車は大きなレンガ建ての建物の前に停まりました。正面にはピカピカに磨かれた真鍮の表札がついていて「ミンチン学院」と黒い文字で彫られていました。
「パパ、もう着いたんだからもうあきらめないとね」
車から降りたセーラがあまりにませたことを言うので、ローラもお父さんも笑ってしまいました。実際、お父さんはちっともあきらめていなかったのですが、そのことは娘たちに秘密にしておかなければいけませんでした。これからは自分のお屋敷に帰っても娘たちがいないと思っただけで、さみしくてなりません。
「セーラ、ローラ、ここだよ。」
お父さんはできるだけ明るい声で言いました。建物の前の石段を娘たちと一緒に上がっていって、インターフォンを鳴らします。
ミンチン学院にあった家具類は安全のために角が丸くなっていましたがそれでもピカピカに磨かれており、椅子などには硬い骨が入っているかのように感じましたし、使用人に案内された応接室には四角い柄のカーペットが敷かれていました。
「あまり好きじゃないわ。…でも、どんなに勇敢な兵隊さんでもいざというときは戦争に行くのが嫌なんじゃないかしら。」
セーラが真面目な表情で言ったので、思わずお父さんもローラも笑ってしまいました。それからしばらくが経つと、30歳の若さで学院長を務めるマリア・ミンチン先生が入ってきました。ミンチン先生は185㎝もの高身長を誇り、スーツを着込んで立派そうに見えますが、とげとげしくも感じます。
ミンチン先生はニコルの母親であるメレディス夫人の口から、クルー大尉が裕福で双子の娘たちのためなら大金を惜しまないと聞いており、上機嫌でした。
「こんな美しいお嬢様方をお預かりできるなんて大変光栄ですわ、クルー大尉。メレディス夫人からお聞きしたところ、驚くほどかしこいとか。」
セーラはローラのすぐ横に立って、ミンチン先生をじっと見ていました。セーラはドラマに出演している金髪碧眼の女優イソベル・グランジュの方が自分より美しいと思っていましたが、セーラとローラは美人でした。身長は165㎝でほっそりしており、紫がかった銀髪は美しく、目は爽やかなミントグリーンです。
セーラとローラは、お父さんとミンチン先生の話を聞いていました。セーラとローラがミンチン学院に連れて来られたのはニコルがそこで教育を受けているからであり、友達がいるなら心強いのではないかと思ったからでした。セーラとローラはニコルと同じ「プラチナ生」として、お屋敷のような寮の「プラチナ寮」にて彼女たち専用の部屋も用意されることとなりました。
「勉強はまったく心配していないんです。特に姉のセーラが勉強し過ぎるのが心配です。本当にこの子たちはかわいくてたまらない。どうか私の代わりに面倒を見てやってください、ミンチン先生。」
セーラとローラはそれから数日、お父さんとロンドン市内の高級ホテルに泊まりました。お父さんがインドに帰ってしまうまでの間、ずっと一緒です。3人は毎日ロンドンのデパートへ行ってたくさんの買い物をしました。あまりに高価な買い物をするのでデパートの店員さんは「どこかの国のお姫様ではないか」とうわさをするほどでした。
お父さんも娘たちと一緒にこの買い物を楽しみましたが、本当は悲しくてなりません。お父さんは真夜中に自分のベッドから出て、バニーユを抱いて眠るセーラとフレーズを抱いて眠るローラを見下ろしました。バニーユとフレーズがセーラとローラのそばにいてくれてよかったと思います。
「がんばれよ、2人とも!私がどれだけさみしくなるか、お前たちにはわかるまい。」
次の日、お父さんはミンチン学院にセーラとローラを預けに行きました。次の日には飛行機でインドへ帰るので、ミンチン先生にイギリスでは事務弁護士のバロウ氏が代理人を務めるので、何か困ったことがあればそちらに相談し、セーラとローラにかかる費用の請求書もそちらに送ることも教えておきます。さらに、セーラとローラには週に2回手紙を書くと約束し、彼女たちが望むことならなんでも叶えてほしいと言いました。
「この子たちは無茶なことは望まないから、大丈夫ですよ。」
お父さんは娘たちを連れて、プラチナ寮に用意された部屋に向かう途中、雪のように白い肌と黒い髪、琥珀のような瞳が特徴の少年が声をかけました。
「お久しぶりです、クルー大尉。」
セーラとローラには声をかけた少年がニコルであることにすぐ気付きました。16歳になった今は身長も170㎝を超え、声も低くなっています。きちんと着込んだ制服には、白薔薇のブローチがついていました。
「ニコル、娘たちのことを頼んだよ。」
「おまかせください。」
ニコルはふと、8年ぶりに再会した幼なじみのセーラとローラを見ました。彼女たちは美しく成長しており、しばらくの間ニコルは心を奪われたかのように呆然としていました。
セーラとローラは部屋に入り、そこでお父さんとお別れをしました。
「パパはわたしたちの胸の中にいるわ。」
「パパの顔は覚えているから、安心してインドに戻ってね。」
お父さんはうなずき、部屋を出ました。車が玄関から離れていくとき、セーラとローラはバニーユとフレーズと一緒に自分たちの部屋にいました。窓から車をずっと目で追いかけていましたが、そのうち角を曲がって行き見えなくなりました。
ニコルはセーラとローラの部屋に行こうとしましたが、ミンチン先生の妹で学院の教師を務めるアメリア先生がいたのでやめました。セーラとローラは部屋に鍵をかけていたのです。アメリア先生が声をかけると中からセーラの声が返ってきました。
「2人で過ごしたいので、そっとしておいてください。」
アメリア先生は優しいですが少し頼りなく、153㎝と小柄ですがスタイルがいい女性で、姉のことを恐れて逆らえないのですが、弟のカール先生には強気な態度をとります。アメリア先生はプラチナ寮の1階にある院長室へ行って、セーラとローラのことを報告しました。
「お姉様、あの子たちは部屋の鍵をかけているのよ。わずかな音もしないんだから。」
「あの子たちは小さい子どもじゃないし、ぎゃあぎゃあ泣き叫ぶわけないじゃない。」
ミンチン先生が答えます。
「あの子たち、なんでもかんでも好き勝手にやってきたらしいの。」
「トランクを開けて荷物を片付けたんだけど、びっくりしたわ。高そうなコートが入っていたし、下着には本場のバランシエンヌ・レースがついているのよ。」
「ばかげているとしか言えないわ。でも、あの子たちが出かけるときにそれを着せると見栄えがいいわね。」
セーラとローラは鍵のかかった部屋で、ただ穏やかに過ごしていました。
「ニコルがいるなら心強いわ。明日ごあいさつに行きましょう。」
「そうね、ニコルは顔を赤らめていたようだけど、あたしたちのどっちを好きになったのかしらね。」
「どっちだったとしても恨みっこなしよ、ローラ。」
ニコルのことを話しながら、セーラとローラはほほえみました。