丑の刻参り
出し抜けになるが、あまりこういう内容の話は語るべきではないのかも知れない。
なので、読んでみて気分が悪くなったり、胸糞悪くなったりしたら、大変申し訳ない。
最初にネタバレしてしまうと、これは「丑の刻参り」の話である。
「丑の刻参り」とは、いわゆる「呪いの藁人形」を用いて人を呪う儀式のことだ。
もしかしたら、田舎暮らしの人などは「そんなの見たことがある」という方もいると思うが、私の経験はちょっと怖いものだった。
「丑の刻参り」の詳細については、再現されるのも気が引けるので、ここでの詳細な説明は割愛させていただく(もっとも、有名な呪法なのでちょっと調べれば分かってしまうかもかも知れないが…)。
おおまかな説明で言えば、特定の時刻に特定の格好をし、呪う相手に見立てた人形をこしらえ、釘を刺して呪うというものである。
昔、私の地元でもこれが伝わり、流行ったことがあった。
当時、小学生だった私も「丑の刻参り」については耳にしており「どこそこの大木に藁人形があった」とか「夜中にそれっぽい人影を見た」とか、真偽定かで得ない噂があちこちで流れていたものだ。
好奇心旺盛な子どものこと、当然その真偽を確かめるために藁人形が見つかったとされる神社や寺をめぐり、境内のご神木や古い巨木を見て回ったりもした。
しかし、結局はその痕跡は見つからず、いつしか「丑の刻参り」自体に対する関心は皆の間から薄れていった。
そうしてしばらく後のこと。
夏休みの朝早くのことだった。
当時地元では、早朝に近所のお寺の境内で地区の子どもたちを対象にラジオ体操の会が行われていた。
それが始まる時間より早く起床していた私は、日課だった犬の散歩に出掛けた。
いつもは水田地帯を歩くのだが、その日は防虫のためヘリコプターの農薬散布が行われていたので、逆方向の裏山の方に向かった。
裏山を登りきると畑が広がっている。
特に決まりきったルートはなかったので、犬がリードを引っ張るに任せて畑道を進んでいった。
そうして進んでいくと、帰り道である雑木林に向かって犬がリードを引っ張り始めた。
そこは木が繁茂する少し暗い森で、行き止まりに小さな祠がある。
何の神様が祀られているのか分からなかったが、小さな白い狐の置物が祠に置かれていたので、もしかしたらお稲荷さんだったのかも知れない。
仕方なく祠のある方向に向かい、私が祠に手を合わせていた時だった。
突然、連れていた飼い犬が興奮したようにリードを強く引っ張りながら後ろ足で立ち上がった。
イタチか野ウサギでも見つけたのだろうか。
そう思い、そちらに目を向けて私はギョッとなった。
そこに見知らぬ女の人が立っていた。
祠の周囲は雑木林である。
その中から出てきたと思われるその女の人は、朝とはいえ、夏場にロングコートを着ており、マスクをしていた。
そして、手には青い半透明のゴミ袋を持っており、中には白い服みたいなものが透けて見えた。
髪の長いその女の人は、こんな早朝に人気のない森に子どもの私が独りでいることに驚いたのか、激しく動揺していた。
いま考えれば怪しいことこの上ない。
が、当時アホな子どもだった私は、人に会ったら挨拶をするように教わっていたとおり、普通に「おはようございます」と声を掛けてしまった。
女の人は落ち着かない風に周囲をキョロキョロしていたが、やがて「おはよう」と小さな声で返してきた。
そして、興奮している犬を見て、
「こんな朝早くにお散歩してるの?」
と、聞いてきた。
私は「はい」と答えてから、女の人に尋ねた。
「お散歩ですか?」
すると、女の人は髪を撫でつけながら、
「そうよ」
と、短く答えた。
そして、ゴミ袋を見ていた私に、
「ついでにゴミ拾いをしていたの。今なら日差しも強くないし」
繰り返すが、周囲は木が生い茂った雑木林である。
日差しを気にするような環境ではない。
言い訳としては胡散臭すぎるが、子どもの私は素直に納得してしまった。
女の人はそそくさと帰ろうとし、ふと私に尋ねてきた。
「これからどこに行くの?」
「家に帰ります」
そう答える私に、女の人は少し肩を落としてから言った。
「そう。じゃあ大丈夫だろうけど、この先の森にはくれぐれも入らないようにね。危険なゴミも落ちていたし、ケガしちゃうと大変だから、お友だちにも入らないように言ってね」
そう告げると、女の人は悠然と姿を消した。
その後、その女の人の姿は見たことが無い。
そもそも狭い村なので、大抵の大人は顔見知りなのだが、その女の人は記憶にもなかった。
だから、その雑木林の土地の所有者にも見えなかった。
いずれにしろ、この奇妙な邂逅は印象深かったこともあり、今も記憶に残っている。
だが、その理由はもう一つあった。
これはその後日談である。
夏休みも終わりに近づいたある日の夕暮れ、昼間の暑さが和らいだので、私は飼い犬と共に以前早朝に通ったルートで散歩を始めた。
そうして、例の女の人と会った祠に到着した。
私自身、その時まで女の人との出会いは忘れていたが、祠に着いてから唐突に思い出した。
そして、女の人の言葉を思い出したのだ。
「この先の森には行くな」…女の人はそう告げて去って行った。
また「危険なゴミもあるから」とも言っていた。
そして、私は今さらながら「どんなものがあるんだろう?」と、興味にかられた。
そこで足元に用心しながら、私は森の奥に分け入っていった。
すると、程なくしてちょっとした広場に出た。
あとで家族から聞いたのだが、そこは昔は神社があったそうで、今は移築され何もない場所だった。
残っているのは、社があったと思われる土台部分と大きな木。
たぶん、これがご神木だったのだろう。
ちなみに女の人が言っていた危険なゴミとやらはどこにも見当たらなかった。
代わりに、目を引いたものがあった。
それはみっしりとご神木に打ち付けられた藁人形だった。
おまけに、誰かが映った写真や女の人のものと思われる靴。
蜘蛛の巣かと思ったら、女の人のものと思われる長い髪の毛が幹に巻き付いているし、ビリビリに敗れた服もあった。
しかも、それには赤黒い染みのようなものまでついている。
私はこの場所で何があったのかを瞬時に悟った。
そして、あの女の人がどういう用事でこの森に入っていたのかもを。
私は慌ててその場を逃げ出した。
帰り道、またあの女の人に出くわしたらどうしようかとばかり考えていた。
リードを思いきり引かれ、犬はとても不満そうだったが、気に留めていられない。
その後、無事に家にたどり着いた時の安心感といったらなかった。
あんな体験はもう二度とごめんだった。
以来、あの女の人とあの場所のことは誰にも語っていないし、行っていない。
あの女の人とはもう二度と会うことはないだろうが、あの場所がどうなったのかにも関わりたくないからだ。
ただ、まざまざと見てしまった「人を呪った痕跡」と、呪い主であろうあの女の人の目は、今もトラウマになるものであった。