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『薬学部のアリス様、突然のお手紙失礼致します。
薬を調合する天才だと名高い貴方様にお願いがございまして、このお手紙をしたためております。
私には、どうしても叶えたい恋があるのです。
私は貴方様のお友達のウィル君に、入学当初からもうずっと片思いをしております。
しかし、勇気が出なくて一歩踏み出す事が出来ません。
私はもうすぐ卒業する身、卒業してしまえば彼との縁も切れてしまいます。
どうか、どうかお願いします。
無力で愚かな私に力をお貸しください。
決して効力の解けない、恋の秘薬を―』
ある日の朝、アリスのロッカーに忍んでいた一枚の手紙。
差出人不明のその手紙は、可愛らしい字体で書かれているが、要求が可愛くない。
「だから、ソレは一般禁止薬なんだってば。
どこの誰だかは知らないけれども、ちゃんと教本の1ページ目を読みなさいよね」
流石のアリスにも禁止薬を作れる腕や度胸は持ち合わせていなかった。
しかし、まだ作った事の無いレベルの薬への興味があるのも事実。
そして『恋』という未知の領域への好奇心と、誰かに頼られたという僅かばかりの自尊心が確かに首をもたげていた。
ああ、せめて期限が無いのなら話だけでも聞いてあげるのに。
免許を取得するまで待ってくれるのなら、いやそもそも作り方は王都の国立図書館(しかも禁書の部屋)に行かなくてはいけないのだけど、あそこは透明な自分でも入れて貰えるのだろうか。
思考をぐるぐる巡らせながら歩いているアリスは、廊下の曲がり角の先の足音に気が付かない。
「「うわっ!?」」
綺麗なユニゾンが廊下に響き渡る。相手の固い胸板に鼻をぶつけたアリスは、じんと痛む鼻を抑えながら慌てて謝った。
「ごめんなさい!私の注意不足だったわ」
「こ、こちらこそ………。ぼーっとして歩いてて………本当にごめん」
気の弱そうな声で謝る男。アリスには彼の顔に見覚えがあった。
マジョの国第3王子グルミン。女王の末の息子である彼は、王都が肌に合わないのだと単身で田舎へと移り住んで来た事で有名だった。
「王子様!?」
アリスは慌てて居住まいを正す。他の者並みに目上の者に対する礼儀という常識はある。
「そんな畏まらないで…。他所の国とは違って、王子なんて女王の子供という意味でしか無いんだから」
卑屈っぽく笑うグルミンの言う通り、マジョの国の王は世襲制では無いため、王子とは名前だけのもの。
王を選ぶのは魔法の鏡であり、王が退任する際の儀式で「もっともふさわしき者」が鏡に映し出される。
それでもアリスにとっては縁遠い方に違いは無い。
「アリスさん、だよね?何か悩んでいるようだったけれど」
「えと、そのぉ………」
仮にも王子様に話しても良いのかと言い淀むアリス。
他者の恋愛相談を言いふらすような真似に抵抗があるし、しかもそれが一般禁止薬の依頼だなんて言えばどう思われる事だろう。
グルミンは歪な薄笑いを浮かべ、視線が床に落ちる。
「………もしかして、僕のような頼りない男には話せないとか、そういう………」
「(暗いわ………陰気すぎてキノコが生えそう………)」
じめっとした空気感を醸し出す彼は、しかし一切引こうとする素振りは見せない。
「(どこの誰だかは知らないけれども、私に依頼したのが運の尽き。ごめんなさいね)」
心の中で見知らぬ誰かに謝罪したアリスは、目の前の湿気っぽい男の機嫌取りのために洗いざらい告白するのだった。