デビュタント 3
先程まで彼女たちが立っていた場所の近くに見覚えのある顔を見つけ歩み寄る。
「カエラ、ヨーク、少しいいか?」
従弟のカエラは小柄ではあるものの態度の大きさでそれをカバーしているミルクティー色の髪の青年で、ヨークは鮮やかな水色の短髪が目を引く幼い面立ちの青年。
どちらも幼少期からの友人であり、信頼のおける人物だ。
「おー、どしたー?」
「さっきの社交会で使い古された嫌がらせについてかな?」
「お前らなぁ…」
ケラケラと笑う二人に呆れを隠そうともせず「そうだ」と肯定すれば、更に笑った。
「まぁ、ショモナー伯爵令嬢がシャンパンぶっ掛けようとして失敗したってとこだろ」
「そうそう!まぁ、フェイブルちゃんは全く気付いて無かったけどね!」
「いや、何で掛けようとしたのかを知りたいんだけど…」
その問いに二人は息が合ったように首を傾げる。
「「知らね」」
「使えねぇな」
思わず真顔で呟いた言葉に二人から批難を浴びるが、これもいつものことだ。
不意に批難が止まり、カエラが改まって囁くように口を開く。
「まぁ…ショモナー伯爵令嬢に良い噂は聞かないな。どうやら魔女様と懇意にしてるらしいぜ?」
「あぁ、あの痴女……ご令嬢か」
「ちじょ?魔女って何それ?」
学院では『紅蓮の魔女』についての噂は回っていないのかヨークは何も思い当たるものがないらしい。
フェイブルが知らないのだから当然かと思いながらも『歯牙に懸ける』というのがこんな下卑た意味なのだと知っていればフェイブルに教える必要もなかったと多少の後悔がある。
掻い摘んでヨークに説明すれば彼は「うわぁ…」と隠す気のない嫌悪を声に出した。
「ヨーク、露骨に出すな。貴族としてもそうだが、お前は城に上がるんだろ?」
「はいはい。お説教はいいですよー。もう聞き飽きた!」
「クロウも王城勤務なのいいよなぁ。俺だけ前線かよ」
「俺は前線に行きたかったけどな」
「替わってやりてぇわ」
会話の内容をあちこちに飛躍させながらテンポ良く続けるのは心地好いものだと思う。
それもこの二人やフェイブルとしか出来ないものだ。
他にこの調子で話せるとしたら二人ほど顔が浮かぶのだが、ホールに居ない所を見ると彼らは今頃幼い暴れん坊に手を焼いているのだろう。
アレは野生動物だ!と彼らが言っていたことは黙っていた方がこの先楽しめる気がする。
恐らくヨークもフェイブルも『野生動物』の側に仕えることになるだろうし、その時の反応を楽しみたい。
「ま、魔女様にロックオンされたってなると尚更前線のほうがマシだわな」
カエラの不穏な言葉に俺は押し黙る。
「今も熱視線をくれてるしね。可哀想に」
他人事のようなヨークの言葉に深い溜息を吐いて、目を伏せる。
早くフェイブルの傍に行きたい。そしたら、この鬱屈とした気持ちも晴れる気がするのに……
「ほらほらー、そろそろフェイブルちゃんも戻ってくるんじゃね?」
「そうだな。ダンスが待ってるわけだし、そう景気の悪そうな顔すんなよ」
「クロウとフェイブルちゃんのダンス見るの楽しみにしてる人って多いの知ってる?」
「あれだろ?『お伽噺の王子様とお姫様のダンスだわ〜』ってやつだろ?」
「そうそう!お嬢様方の目が完全にハートになるやつな!」
矢継ぎ早に展開する会話に呆れながらも、ダンスが楽しみなのは俺も同じだった。
士官学校の学生は寮暮らしなせいで入学してからはレッスンも別だったのだ。
久しぶりにフェイブルと踊れるのを楽しみにして何が悪いというのか。
そう考えてフェイブルが出て行ったホールの扉を見ると、ちょうど二人がホールに戻ったところだった。
準備を始める楽団を確認し、カエラとヨークに顔を向ける。
「フェイが戻ったから行くよ。お前らもさっさとパートナー見つけろよ」
「うるせぇわ」
「余計なお世話だよ!」
最後にニ人にとって余計な一言を付け加えてその場を立ち去り、紳士の仮面を被って愛しい人のもとに向かう。
明らかに戸惑った表情のフェイブルに近付き、そっと彼女の腰を抱いた。
「ご令嬢、申し訳ないのだが私の婚約者を返して貰っても良いだろうか?そろそろダンスが始まるようなんだ」
不意に現れた俺にショモナー伯爵令嬢は驚いたようだが、フェイブルは分かっていたのか特段驚くことも無く受け入れている。
「は、はい!あの、私はショモナー伯爵家のアイリーンと申しますわ!お近付きになれて嬉しいですわ、クロウゼス様!」
許してもいないのにファーストネームで呼ぶとは……相変わらず纒わり付くような視線を浴びせてきている魔女様も大概だったが、こっちもかとそう思わずには居られない。
垂れ落ちる髪をいじらしく触り、愛らしさを演じて居るのだろうが、その行為は恥ずべきものだ。
そもそも俺はまだ名乗ってすらいないし、お近付きになった覚えもない。
俺はうっとりと見上げる彼女に口元だけの笑みを見せてフェイブルの髪に飾られた白薔薇に口付けを落とす。
「フェイ、俺の事を紹介してくれる?」
アイリーンが名乗っている以上、わざわざフェイブルに紹介を頼む必要など無いのだが、今は彼女の口から「私の婚約者だ」と言って欲しかった。これは俺の我儘でしかない。
フェイブルには伝わっているだろうかと、やや不安に思いながら彼女が口を開くのを待った。
腰に回していた手をフェイにそっと所定の位置に戻されて多少の不満を持ちながら未だに髪をいじらしく触り続けるアイリーンに冷めた視線を据える。
「アイリーン、私の婚約者のクロウゼス・シャーレッツオですわ」
「えぇ!存じておりますわ!!」
露骨な好意を顔にも声色にも出して勢いよく応えるのは結構なことだが本来貴族とは互いに名乗り合うまでは他人であり、知らないふりをするのがマナーだ。アイリーンはそれを理解していないのだろうかと不快感が募る。なにせ彼女はフェイブルとヨークと共に王子の側に仕える候補生でもあるのだ。
正直に言って不安しかない。いずれ王位に就くことが約束されている王子の側にマナーのなっていない侍女を侍らすのも問題ではあるが何より既に王子の側近である母方の従兄たちが何を思うか……主に王子付きの近衛騎士である双子の兄の方が。
俺にとってもアイリーンの兄は精鋭教育小隊の先輩になるのだが同じような人物である可能性を考えると憂鬱になる。
頭の中で従兄が「これよりまともなのが居なかったのか?ゴミを寄越すくらいなら人手が足りないほうがまだマシだな」と悪態をつき始め、それを掻き消すように冷え切った笑顔を作る。
「クロウゼス・シャーレッツオです。よろしくショモナー伯爵令嬢。フェイと仲良くしてくれると私も嬉しいよ」
人の良さそうな仮面を被りアイリーンからフェイブルに視線を移して、彼女の手を取った。
「さぁ、楽団も準備が整ったようだよ?今年のデビュタントも例年通り士官学校の最優秀者がファーストダンスの権利を貰えるらしいから」
「では、ファーストダンスは……」
「俺たちだよ」
アイリーンを一瞥し、フェイブルを連れてフロアの中央に向かう。
伯爵家がファーストダンスの権利を得ることは、まず無いと言っていい。
通常の舞踏会では王族、もしくは王族から順に爵位の高い方々及び宴の主役が務めるものだ。
流石にフェイブルも緊張しているのか、少し表情が硬い。
「久しぶりのダンスだね?」
「そう、ね…クロウと踊るのは本当に久しぶりだわ」
「ずっと楽しみだったんだ。さぁ、改めてお手をどうぞ俺のお姫様」
お伽噺の王子様のように大仰に手を差し出せばフェイブルがクスクスと笑う。
緊張は解れただろうか?と白桃の瞳を覗き込んだ。
「ありがとう、クロウ」
「こちらこそ、気品高く麗しい大人の女性に様変わりした姿を見せてくれてありがとう」
揶揄い混じりに様相の変わったドレスに視線を向けて見つめ合い、互いに笑む。
流れ出す壮大な音楽に合わせてステップを踏めば、周囲の視線も雑音も気にならなかった。
「少しはリード上手くなったかな?」
「あら、クロウのリードは昔から上手よ?」
「そりゃあ、フェイのリードに失敗したなんて言ったら母上が悪魔の如く怒り狂うからね……」
「お義母様が?想像つかないわ」
そう会話を楽しみながら終曲を迎え、盛大な拍手が響いた。
礼をとって、フロアから離れるかと思ったが彼女に手を離す素振りはない。
俺は何度か瞬きをして、にまりと表情を変えた。
「お姫様、もうニ・三曲お相手してもらえるかな?」
「そうね。もうニ・三曲踊っても良いと思うわ。婚約者だもの」
舞踏会でニ回以上同じ相手と踊るのは婚約者又は伴侶と規定があり、自分たちはそこに抵触することはない。
次々にデビューを迎えた白い衣装を纏う者達でフロアが埋まり、皆一斉に動き出す。
フェイブルが手を離さなかったのは少しでも寂しいと思ってくれたからだろうか。
少しでも同じ時間を共有したいと思ってくれたからだろうか……
いや、彼女の性格からすると他の紳士方からのお誘いを断るのが面倒だったからか。
そう結論付ければ、お花畑になり掛けていた脳内がやけにスッキリとする。
「どうかしたの?」
「ん?いや、何でもないよ。ちょっと冷静になっただけ」
「……?そう、それは良かったわ」
不思議そうに小首を傾げるフェイブルを引き寄せて一瞬だけその艷やかな前髪に唇を触れさせ「まだフェイと踊れるのが嬉しかっただけ」と呟けば彼女も照れたようにはにかんで「私もよ」と返してくれる。
改めて彼女が婚約者で良かったと思う。
フェイブルが満足するまで連続して踊り、数曲目で休憩の為に庭園に出た。
煌々とした月が、満天の星が、噴水の飛沫が、咲き誇る花々が幻想的な夜を作り出す。
俺は噴水の縁に座るフェイブルの前に跪き、彼女の手を取った。
来年の夏には俺の名前はカートイットに変わって、彼女は俺の妻になる。
「必ず幸せにするよ」
そう言って彼女の手に一つの装身具を乗せた。
細身の銀のアンクレットだ。
イエローダイヤモンドを嵌めたのは、それが俺の瞳の色だから。
素足を晒すというのは文化的にもタブーとされるものであり、貴族子女の彼女が他者に見せることはまず無い。
そんな場所に付けて欲しいというのは行き過ぎた独占欲や執着だろうかと思うが、それでも渡したかったのだ。
勿論、フェイブルが俺を裏切る事は未来永劫無い、そんな事は分かっている。
だが、久しく会う度に麗しい大人の女性になっていく彼女に余計な虫が近付かないか気が気ではないのだ。
手に乗せられたアンクレットを見て、彼女は困ったように笑って「仕方ないわね」と言った。
そして、周りを確認し跪く俺の前にしゃがみこんで頬に軽くキスをする。
唇じゃないことが少し惜しい気持ちはあるものの人目がないとは言い切れない以上仕方ない。
「プレゼント嬉しいわ」
「……あー、このまま連れて帰りたい」
噴水の前でしゃがみこんだまま彼女を思い切り抱き締めれば、腕の中から不満の声が上がる。
「もう!痛いわ!」
「だって、フェイが可愛い」
「理由になってないわね?」
「わかってる」
結局互いにクスクスと笑い合って離れ、その後は閉幕の時間まで二人で談笑を続け、帰りの馬車では翌日から始まる仕事の話をして別れた。
明日からはフェイブルの近くに居られると思えば、王城勤務も悪くないと思えた。