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黒薔薇の館

秋の穏やかな陽射しが照り付ける中、俺はカエラと二人で黒薔薇の館に足を踏み入れる。

俺の襟元には当然のようにレッドアンバーの使われた婚約の証が陽に照らされて妖しく輝いていた。


「クロウ、カエラさん、今日はゆっくり楽しんでいって頂戴ね。クロウのお別れ会という趣旨でもあるのよ?だから、クロウの所属していた隊の皆様も呼んだわ」


確かに周りを見れば顔馴染みが並ぶ。

唯一居ないのはサンチェスだ。一人だけ呼ばないとは余りにも露骨だがサンチェスも来たいとは思っていないだろうし、それはそれで良いのかもしれない。

今日この日を婚約者として終えれば暫くノミンシナに会うことも無いと思えば少しだけ心が軽い。

その思いを隠しながら感謝を述べると彼女の表情がこれ見よがしに翳った。


「クロウ、実はクルライも呼んだのだけど所在が分からなかったの」

「そうか……友人に連絡がつかないのは心配だろうけど君の表情が翳っていると皆が君を心配して楽しめなくなってしまうよ。シーナ、君は淑女鑑なんだ。いつ何時も華やいでいなければ」

「えぇ、そうね……」


俺の腕にしなだれるノミンシナを受け止め、背後に立つカエラが笑いを堪えるように「ふっ」と息を吐く。

後で覚えておけよと思いつつシーナと二人で隊員たちからの挨拶を受け取り、お茶会は始まった。

一見すれば普通の宴遊会ではある。

立食形式の茶会は各々が好きに身動きが取れるため、俺もノミンシナの傍を離れてそれぞれと会話を楽しむがその会話に終了を言い渡す人物が寄ってきた。カルデンだ。


身に付ける宝飾品全てがガーネットであり、彼のノミンシナへの懸想の深さが思い知れる。

ただ、唯一疑問が浮かぶとすれば使用しているガーネットの等級だろうか。

魔石としての価値が低いのは仕方のないことだが鉱業が家業でもあるシャーレッツオの者や宝飾品を多く扱うカートイットの者が見れば一目でわかる程にその等級は低い。

ガーネットの種類は最も高価でダイヤモンドと同等に輝く緑のデマントイド、次に高価なツァボライトもまたエメラルドのような美しい緑をしている。

以上の二種は稀少性から市場には滅多に出回らず、王族や主教への寄贈品として使用されることが多い。

その下にスペサルティン、ロードライト、アルマンディンと続く。

ノミンシナが好んで使用させているガーネットは薔薇のように赤いロードライトガーネットだ。産出量も多く、高額で取引されることは無い比較的に安価なものだと言える。

カルデンが使用しているのはロードライトよりも安価なアルマンディンだろうか。

きっとアルマンディンの中では赤の発色が良く、光沢も透明度も高い。ブローチに使われている物はそこそこの大きさもあることから同じアルマンディンの中では高価と言っていいかもしれない。

あくまでもアルマンディンの中ではだが。

それに、ある意味カルデンはノミンシナを良く見ているのだろう。

オレンジがかったスペサルティンや薔薇に近い紫がかったロードライトよりもアルマンディンがノミンシナの瞳の色に近い。

ノミンシナは自分自身を薔薇に喩えることが多いためロードライトを好むのだろうが、カルデンは敢えてノミンシナの色に近いアルマンディンを使用していると見て取れる。

唯一、ロードライトを使っているのは指輪だが伯爵子息が使うにしては随分と小ぶりだ。

質よりも量、といったところだろうか。


カルデンが目の前に立ち、ふんっと鼻を鳴らす。


「シャーレッツオ、シーナの傍から離れるとは残念だったな。だが、お前が居なくなるのはあの貧相な元婚約者も清々するのではないか?」

「貧相……?」

「名前を何といったか…」


顎に手を当てておそらくはフェイブルの名前を思い出そうとしているのだろうが、フェイブルの体型は貧相には程遠い。

確かに細腰ではあるが、最近目にした健康的な美脚はカモシカのようだったし、何より大きいし柔らかい。

何がとは言わないが大きいし柔らかいのだ。

小柄ではあっても、貧相という言葉は相応しくないだろう。

貧相というならノミンシナこそが当てはまるだろうと思うが、それを飲み込んでいる俺の背後でカエラが「貧相な元婚約者って……お前ノミンシナ様と既に婚約破棄済みなのか?」と囁き、その声が聞こえてしまったパッセが思い切り噎せて他の隊員に背中を摩られている。

かく言う俺も何とか吹き出すのを耐えはしたが、カエラが更なる追撃をした。


「ピンジットさんは宝飾品にガーネットしか使わないんですか?」

「ん?あぁ、そうだ。シーナの優美な色を表すガーネットを使うことで忠誠と愛を示している」

「へぇ……忠誠を表すのにアルマンディンなんですか?庶民でも買える安価なガーネットで侯爵令嬢に忠誠誓ったんですか?」

「カ、カエラ…ちょっとお前」

「いや、だって不思議だろ?デマントイドとツァボライトは緑だからってのは分かるけど、せめて赤の中でも高価なスペサルティンを使わないか?」


そこで俺の顔を見るなり「確かクロウもガーネットのブローチ持ってたよな?ロードライトのやつ」と言う。

確かにノミンシナに渡されたブローチは確かにロードライトガーネットが使われているが、昨夜説明しただろと視線で訴えかけたもののカエラがそれを汲み取ることはなかった。

カエラ自身、シャーレッツオの分家であり男爵家の跡取りとして宝石や鉱石、鉱業について学んでいることも多く、色合いや光の屈折などで等級が分かってしまうことは理解している。ただ少しでいいから言葉を濁すことを覚えて欲しいと思わないでもない。

それがカエラの良い所だと言われれば、それまでではあるが。

仕方なしに首肯すると「まぁ、伯爵位というか貴族なら最低でもロードライトは堅いよな」と言い放つ。

こう言われてしまえばカルデンもおいそれとアルマンディンがノミンシナの色なのだとは言えないだろう。

もしアルマンディンの赤がノミンシナの色に近いとでも言おうものならノミンシナが安価な女だと言っているに等しい発言になってしま───


「このガーネットこそがシーナの美しい瞳の色なのだよ。それが分からないとは、嘆かわしい」


いや、嘆かわしいのはお前の脳みそだよ!と思わず声に出しそうになったところで思い切り自分の太ももを抓り、それを耐えた。

ノミンシナが近くにいないことがカルデンにとってせめてもの救いだっただろう。

パッセが再び噎せて苦しそうに呼吸をしているが気にしている場合でもない。


「指輪はロードライトなんですね」


フォローするように言うが「小さくないか?」とボソッと零したカエラの足を小突くように蹴り、カエラの口を噤ませた。

カルデンのあたかも自分は優位に立っているかのようにふんぞり返る様に呆れながらも話を合わせて時間を過ごしていくが既にカエラは飽きたらしく適当に持ってきたお菓子をたいらげていく。

それを横目に見てると目が合った。

フォークで持ち上げた一口大のケーキをスッと俺の口元に持ってくる。


「まぁ、食えよ」

「……お前、自由かよ」

「だって、なぁ?」


カエラの金の瞳が明らかに「飽きた」と語り、確かにノミンシナへの愛の大きさだとか、信頼の深さだとか数日後にはロレンザに移る俺たちには興味の欠片もないものだ。

カエラに同調するように差し出されたケーキを食べた。

甘ったるさがくどい。

大の甘党であるカエラは次々にケーキを口に運ぶが、俺は眉間に皺を寄せてその一口以降は手で制す。

甘い物が苦手なわけでもない俺がくどく感じるのだから相当な物だとも思う。


「聞いているのか!シーナの心は既にお前から離れかけている自覚がないのか?俺の方がシーナを理解しているし、シーナの力になれるというのに未だ婚約者の座はお前のままなのが気に入らん」

「何度も申し上げておりますが、我々の婚約に関する不服の申し立ては国王陛下にお願いします」

「お前はシーナを愛していないのか!?」

「それとこれとは別です」


端的に返していくことが気に入らないらしく、カルデンの顔は見る見るうちに赤くなっていく。

俺の本心とすれば『面倒臭い』ただそれだけだ。とは言え、部隊は変われど一応上司といえば上司。蔑ろにする訳にもいかない。


「シーナは俺の悩みを解決する為に共に悩み、そして解決策まで出してくれるような心優しい淑女だ。そんなシーナにお前のような冷淡な男は合わないと思わないのか!?」

「……ピンジット副隊長の悩み、ですか?」

「あぁ、そうだ。父上がサンチェスを贔屓し、誰もがサンチェスを後継者と見る中でシーナだけが唯一俺を信じ、そして今は国王陛下に誠心誠意お仕えするようにとの助言までくれたのだ」

「そうですか」


その助言は士官学校で俺がノミンシナに言ったもので間違いないが、わざわざ教えてやる必要もないだろうと思うし、そもそもだが国王陛下に誠心誠意お仕えするのは騎士として当然のことじゃないのかと思わないでもない。

まぁ、誠心誠意仕えた結果、最愛の人との婚約を破棄され阿婆擦れと婚約させられた俺からすれば早々に裏切りたい気もしてくるが。

何よりハオスワタに傾倒している時点で国王陛下に誠心誠意仕えているとは言えないことを理解出来ていないカルデンに何を言っても通じないのは分かっているし、失言の多さからそのうち勝手に失墜し消えていくだろうなとも思う。

その後もカルデンの優越感満載の話を右から左に流しながら過ごしているとケメロイが話に混ざってきたのだが、それを躱すようにカルデンが離れていく。

隊長と副隊長の性格的な相性が悪いのは解っていたが、ここまで露骨に避けるのは褒められたものではないなと思う。

何よりケメロイは隊長という部分を無くしても侯爵子息だ。カルデンの伯爵子息という立場よりも高い身分にいる。

そんな相手に対していい大人がとる行動とは思えない。

そんなんだから後継者の選択肢にも入らないんだよ、という言葉は飲みんでケメロイとの会話に集中する事にした。


「まさかお前が前線に行かされるとは思ってなかったが……大隊長直々にともなると引き留めることは出来なかったよ。すまないな」

「いいえ。元々は前線に志願していたので構いません」

「そうなのか?」

「はい。功績を立てやすいのは前線じゃないですか。それに近衛になりたい訳でも無かったので」


近衛というのは外交の席にも同行する為、美醜でも選ばれる。緊急任務の時の失態があろうと無かろうと俺も選択肢の一人だっただろうが、特別任務の存在によって外されたのは一部の人間しか知らないことだ。

それをケメロイが知らないということは、彼も国王の信頼に足る人物ではないということ。俺のロレンザ行きに関しては話してはならない人物だ。


「だが、ロレンザは遠いだろ?婚約者を残して行くのは不安じゃないか?」

「まぁ……不安がないとは言いませんが任務なので」

「俺なら恋人を残してはいけないな。連れて行けるなら別だろうが……」

「恋人がいらっしゃるんですか?」

「あぁ、少しそそっかしい子でなぁ。一人にするのは不安なんだ」


そう話すケメロイは破顔していて、恋人に対しての愛情が見て取れた。

彼には一度の離婚歴があるものの真相は分からないが相手方の過失が大きいとされていた。

ただ、前妻は子爵令嬢で侯爵家の権力に声を潰された可能性もある。彼の言い分を鵜呑みにすることは得策ではないだろう。

前妻との間の子息は侯爵家で育てられているというし、もしかしたら今は恋人に継母になる覚悟があるのかを見ているところなのだろうか。

家督を継ぐにも、子息の為にも早く後妻をとせっつかれているだろうことは明白だ。

騎士として家を空けることの多い彼が独り身のまま爵位を継ぐことは控えたいとホビロン侯爵も考えているからこそ三十歳を目前にしたケメロイに爵位を譲っていないのだろう。


「後妻として迎えることは考えておられないのですか?」

「そうだなぁ……父には早く後妻をと言われているが、彼女はまだ若い。息子のこともあるし、決めるのは尚早だと思ってるんだ」

「そうなんですね」


恋人のことも、子息のことも深く想っているからこその配慮なのだろう。

確かに相手が若いのであれば婚姻関係を結ぶのに二の足を踏むのも分からないでもない。

何せ夫婦になれば新たに子ができることも、その子が男児であることも想定しなければならないのだ。

そうなると泥沼の家督争いにならないとも言えない。配慮するのは当然のことだろう。


「クロウゼスも一応は配慮しただろう?まだ婚約関係だったとはいえ前婚約者のこともあったんだ……」


確かに、と言いかけて首を振る。

婚姻関係の有無に関わらず俺とケメロイでは全く違うものだ。

俺はノミンシナに対してフェイブルの存在がどうのという配慮は一縷たりともしたことが無い。

そもそもこの婚約はノミンシナが望み、王が命じたもので俺の望んだものでは無い。もし俺が配慮するというのならフェイブルに対してだ。

とはいえ、彼女は状況を理解できないほど浅慮でも愚かでもない。何も言わずとも俺の状況を慮り控えてくれたのは他でもないフェイブルだ。


「シーナは、そういったことを気にする質ではないと思っています。何より彼女が恋多き淑女であることは理解していますし、好きにしていいと言ってあります。シーナに関して言えば独占欲を抱くだけ無駄だと思っていますので」


にこやかに言えばケメロイの頬が少しだけ引き攣った。


「ノミンシナ嬢を愛していないのか?」

「私にとってこの婚約は義務です。ともなれば愛を囁くのも義務。本来、貴族の婚約に感情など必要ないものでしょう」

「そう、か……」

「えぇ。ですから、シーナを置いて行くことに不安はありません。彼女が不義理をしたとして私が責め立てることもありません。子供さえ作らなければ、ですけどね」

「もし子供が出来ようものならどうするつもりなんだ?」

「……これは王の認める婚約。その王命である婚約に不義理を働いたなら、それ相応の報いを受けてもらうことになるでしょうね。勿論、お相手にも」


あくまでも軽やかに言う俺にケメロイは口を噤み、困ったように笑んだ。


「お前の婚約者は可哀想だな。心からの愛を手に入れることはできないんだから……」

「そうですね。俺は基本的に他者に興味が無いんです。なので、義務や任務であれば何でもやるつもりですよ」

「……お前ほど恐ろしい人間もいないだろうな」

「ドルセン・ハオスワタ大隊長にそれがバレたからこそ前線に求められたのかもしれません」

「ハハッ!確かにな!適任だ!」


遠慮なく笑い飛ばしてケメロイは「死ぬんじゃないぞ」と言って去っていった。

その後、ノミンシナが俺の隣に戻り御守りだと言って大輪の薔薇の刺繍が施されたクラバットを渡してきた。

それを受け取り、茶会はお開きとなった。

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