逢瀬
真夜中に家に着いた俺はそのまま庭へと足を進め、カートイット邸の庭へと繋がる門の前に立った。
ノミンシナとの婚約を受け入れたあの夜から近寄ることすら無かったその場所には今も光はない。
開かない扉に手を掛けて軽々と飛び越えれば、そこにはジーンが立っていた。
「ヴァンスさんからお聞きしておりました。お嬢様にはお伝えしておりませんが旦那様からは許可を頂いておりますのでご安心下さい。ただ、他の者に姿を見られるのは困ると仰っておりました」
「そうか、わかったよ。ありがとう」
「私は、お嬢様にはお幸せでいてもらいたいのです。お嬢様の幸せはクロウゼス様のお隣にしかないと思っております。……ご無事の帰還をお祈り申し上げます」
ヴァンスには俺のとる行動はお見通しだったようだ。
軽く頭を下げてから去って行くジーンの背を見送りフェイブルの部屋にあるバルコニーを見上げた。
「登るか」
ロッククライミングのように壁にある僅かな隙間や装飾を伝い、あのバルコニーに立つのはいつぶりかと考えて、そういえば去年の休暇期間にも同じことをしたなと思い出した。
星が綺麗だったから星見に出掛けようと深夜に誘った時だった。
ふと思う。
他の者に姿を見られるのは困るがフェイブルの部屋を訪れるのは許可するという事は、俺が常識的には許されない方法でフェイブルのもとに訪れる方法を持っていることを知っているということに他ならない訳で──
「バレてたのか……」
苦笑しながら独りごちて、改めて向かう場所を見定めた。
真夜中にも関わらず部屋にほんのりと灯りが見えるということはフェイブルは起きているのだろう。
音を立てないように注意を払いながら壁に沿い、軽快に登り始め、辿り着いたバルコニーでコンコンと窓を叩く。
「フェイ……その、開けてくれない?」
少し間があってレースのカーテンが開かれ、窓が隔てる先にはシルクの夜着を纏うフェイブルがいる。
思わぬ来訪者に驚いたのか勢いよく窓が開き、フェイブルは俺の羽織っていた黒の外套を掴んだ。
「怪我をしているの!?」
「え?」
よくよく見なければ分からない程の血痕だ。
ヴァンスやジーンでさえ見落とした血の痕跡に多少の狼狽えを見せて「すぐにジーンを呼ぶわ」とベルを取りに走ろうとする彼女の手を取った。
「大丈夫だよ。俺のじゃないから」
じゃあ、誰の――と思うだろうがフェイブルがそれを聞かないことも理解しているし、これから彼女に渡す物を見れば、この血痕の主を理解するだろう。
「そう……クロウは怪我をしてないのね?」
「うん。渡したい物があって来たんだ」
ポケットからハンカチに包んだソレを取り出し、フェイブルの手に乗せる。
「中は見る必要ないよ。カートイット伯爵に渡してくれたらそれでいい」
「……見ても問題はないの?」
「あぁ、いいよ」
丁寧に包みを剥ぎ、中から出てきた数ある宝飾品を確認してフェイブルが視線を泳がせた。
きっといずれかを見た事があるのだろう。
「クロウ……このピンキーリングはショモナー伯爵子息の物よね?」
「そうだよ」
「こっちはアイリーンの……」
無言の肯定に舞踏会の前に話した内容を思い出しているのか、別のことを考えているのかは分からないがフェイブルはピンキーリングに付いたガーネットを凝視し、そして俺の手を取ると室内に引き入れて窓を閉めた。
「クロウもガーネットのついたブローチをノミンシナ様に渡されたわよね?」
「あぁ、うん。貰ったね」
「以前ノミンシナ様にご招待頂いたお茶会で聞いたのだけれど、男女の区別なく彼女に想いを寄せる方々にガーネットの装飾を持たせているみたいなの」
「へぇ……」
「それでハオスワタが関わる方でガーネットを使った宝飾品を作った方がいるか調べてみたの。私が知る限りではクロウのブローチ、ショモナー兄妹のピンキーリング、ピンジット伯爵子息の指輪、あとは騎士団に在籍する四名の方々かしら。あと、クロウの名義でシャーレッツオにも請求が行っていたわ」
「あぁ、それはサーヤから聞いてるよ。贈り物だって渡されたのに請求がきたって」
「え?それじゃあ請求を取り下げさせたほうが良いわよね?」
「その必要はないよ。支払いは済んでるはずだし。とりあえずその騎士の特徴を教えて貰えるかな?」
そう聞くとフェイブルは手に持っていた宝飾品を机に置き、一枚の紙を俺に差し出した。
「ここに騎士団の方々の特徴が書いてあるわ」
丁寧に詳細を記された書面に目を通しながら記憶の中にいるハオスワタに傾倒する家の者達で該当する人間を当て嵌めていく。それは一族の中に教会でそれなりの立場を得ている者がいる家門ばかりだった。
全てに見通しが立ち、思わず舌打ちをした俺をフェイブルが見上げて申し訳なさそうに目を伏せた。
「情報が足りなかったかしら」
「そうじゃないんだ。凄く有難い情報だよ」
──ただ、始末する時間がないだけで。
ショモナーを排除するには明確な理由があった。
それは何もカートイットに借金があったからというだけではなく、奴らには拉致や人身売買のみならず魔石の密輸という極刑に値する重罪の嫌疑がかかっていた。
だからこそ手早くことを済ませられたが、今回はそうもいかないだろう。
黙り込んだ俺を不安そうに見上げるフェイブルを抱き寄せ額にひとつキスをしようとして「あ……」と彼女が小さく声を上げた。
「ん?」
「もう一人居たわ。紅い口紅が特徴的な誰かの愛妾と思われる庶民の女性なのだけれど……名前は分からないの。彼女はノミンシナ様から、何方かとお揃いだというピアスを贈られていて高位貴族の中に親密な方がいるということしか分からなかったの。でも、店内でノミンシナ様が名前を呼ぼうとしなかったということは庶民の女性で間違いないと思うわ」
「庶民か」
確かに庶民であれば不測の事態が起きた時に責任を押し付けやすく、切りやすい。
ハオスワタがよくとる手段でもある。ハオスワタの三男の時のように。
「やっぱりフェイは頼りになるね。高価な宝石を身に付けていても違和感のない庶民となると、かなり限られるだろうね……」
──例えば、高級娼婦のような。
庶民であればこちらも手が出しやすいと考えない辺りが浅はかだなと不穏に口端をつり上げ笑う俺の顔をフェイブルが力強く引き寄せた。
「顔が怖いわ!」
「なっ」
「何がどうなっているのか詳しく話してほしいとは言わないわ!それがクロウのお仕事だものね?でも……でも!心優しい貴方まで消さないで」
懇願とも脅迫とも取れる強い言葉に俺は彼女をすっぽりと腕の中に収めた。
「ごめん」
──フェイの前では見せる気はなかったのに。
「その、嫌いにならないで」
「……なるわ」
「えっ!なるの!?」
「なるもの!」
間髪入れずに発せられた予想外の返答に狼狽え、フェイブルを引き剥がして思い切り彼女の両肩を掴んで顔を覗けばムッとした表情とあう。
「最近のクロウは隠し事ばかりだもの!仕事だと言うのは理解しているわ。でも、私だって無関係じゃないのでしょう!?突然婚約破棄されて、突然ノミンシナ様からあんな対応されて、ただでさえ訳が分からなかったのにいつの間にかクロウが悪者扱いされていて、一人で苦しんで私の知らない顔をするのに……私は蚊帳の外だわ………」
「……その……」
「クロウが戻ってきてくれるのなら、いつまでだって待つわ。舞踏会の前にそう話したじゃない!乗り越えるのは二人でじゃないの?私は守られて待つだけなの?私はクロウの為に何かをすることは許されないの?」
フェイブルの言葉が突き刺さって痛い。
言葉を失くす俺にフェイブルは投げ掛け続ける。
「……クロウは私に人形みたく黙って飾られていろと言うの?私じゃクロウの助けにはならないの?役不足だと言うの?」
次第に歪むフェイブルの表情は悲しげで、余りに苦しそうだった。
「フェイには……言えないことも確かにあって……言えることもあるけど……でも、フェイがそれを聞いたら苦しむことは分かりきってて、だから言いたくなくて」
「クロウが一人で苦しむよりはマシだわ」
力無くフェイブルの首筋に顔を埋めて背中に手を回せば、俺の背中にも彼女の温もりが回る。
「ショモナーは、多くの重罪を犯していた。そこ自体にはフェイやカートイットは関係していないけど……」
クルライから入手した情報を話すか悩んで暫し口を噤んでから伝えることを決心する。
「王室……いや、王妃がショモナーの犯した罪に関わっているかもしれない。そこには教会か主教個人も絡んでいるはずだ」
密かに息を飲んだことに気付いたが、それでも止めない。
言えることは全て言おうと思った。それが今後フェイブルの助けになるかもしれないから──




