第八話
わたしは、香春隆文から抜け落ちた昨日という一日を話す。
香春隆文のお母さんから許可されたうえで、立ち会いの元。
本人がどこまで、理解してくれるだろう?
「おはよー、ゆうちゃん」
いつも通り、ゆうちゃんよりも早く、学校に着いた。
十年ぐらい変わらない挨拶をする。
最近のゆうちゃんは、それほど広くない教室をきょろきょろして、香春隆文の姿を探す。
今日は、隣の席が空いている。
赤いランドセルは置いていない。
ゆうちゃんは、ちょっとだけ、がっかりした顔をして「ようせいさんおはよう」と答えた。
うん。
なんか変なの。
ゆうちゃんは、香春隆文が引っ越ししてくる前よりもほわほわしている。
なんだか危なっかしいけれど、視線だけはしっかりと、香春隆文の姿を見ていた。
もちろん、わたしとゆうちゃんが仲良しなのは変わっていない。
お話するし、一緒に帰るし。
けれども何か、どこか、これまでと違うところがあって、それはきっと、香春隆文のせいだった。
結局、香春隆文が登校してくることはなかった。
「なんだよー。今日、試合だったのにさー」
クラスの男子の一部から不満の声が出てくる。
隣町の小学校との交流試合が予定されていた。
種目はバスケットボール。
担任曰く「家庭の事情でお休みと連絡がありました」とのことだった。
わたしは興味ない。
でも、ゆうちゃんがどうしても見に行きたいと言っていたから、ついていくつもりではあった。
「残念だなあ……」
心の底から、ゆうちゃんは言っている。
そんな二人の帰り道。
犬がいる。
わりと大きい。
わりとっていうか、わたしの身長ぐらいはありそう。
この辺で犬を飼っているひとって、聞いたことがない。
しかも、あれだけ大きければすぐわかりそうなのに。
「ねえ、ゆうちゃん、あんな犬飼って」
いるひといたっけ?
と聞こうとしたのに、隣にゆうちゃんがいない。
風がびゅんと過ぎ去って、ゆうちゃんの身体を後ろに突き飛ばしていた。
「あれ?」
ゆうちゃん自身、何が起こってるんだがさっぱりわかっていない。
わたしにも、一瞬の出来事で、いま見ている景色が、ついさっき、コンマ数秒前とまったく結びつかなくて、固まるしかなかった。
「ようせいさん? ようせいさんどこ?」
肩が触れ合いそうなほど近くにいたはずのわたしは、いまゆうちゃんが『転がっている』場所から数十歩ほど前にいる。
ゆうちゃんは目をつぶっていて、左手を宙にぶらぶらさせてわたしを探していた。
「あれ……? ようせいさん、先、帰っちゃったの?」
そのまま、目をあけないでほしい。
気を失ってくれたほうがいい。
助けを呼びたいのに、わたしは、ゆうちゃんを見捨てるような気がして、その場から一ミリと動けなかった。
ゆうちゃんの頭のてっぺんの先に、犬がいた。
ゆうちゃんの身体を踏みつけながら近づいてくる。
目にも留まらぬ速さでゆうちゃんの右腕を噛みちぎった、化け物が、わたしに、飛びかかってきた。
わたしは、避けられるような運動神経の持ち主ではないし、だからといって食い殺されたいわけでもない。
両腕をクロスさせて、頭を守ろうとした。
尻餅をついていても、それぐらいはできる。
魔除けのブレスレットが、犬の腹に当たった。
フライパンで肉を焼いた時に似た、「じゅっ」という音が聞こえて、驚く。
悲鳴をあげたのは、犬のほう。
「え? ええ?」
戸惑うわたし。
のたうちまわる、犬。
そのうち、きゃんきゃんと吠えながら逃げていった。
どうやら魔除けのブレスレットにはちゃんと効果があったらしい?
「ま、まあ、助かった……?」
安心してもいられない。
どうして効き目があったかはさておき、ゆうちゃんを連れて行かねばならぬ。
偶然通りかかった車を手を振って止めて、病院へ向かった。