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『ツーショット』  作者: 倉科洸
9/13

ツーショット9

いつの間にか風は一切止んでいた

ただ、暖かな春の日差しが僕らに降り注いでいる


「それで?」


彼女は続けた


「君は私の目的を聞いたけど、本当は私に何か言いたい事があるんじゃないの?」


彼女を見ることができない

呼吸をするのが難しい

僕はここが現実の世界かどうか判断でかなかった

僕がカメラを手にすると変貌するあの気味悪い青白磁色が視界を染めてゆく

彼女のその生命を感じる生き生きとした肌が青白い、触れる体から初めて体験する死の冷たさ

憎たらしい事ばかり言って僕を揺さぶるその唇は紫に変色し、もう何も返ってこない

あの瑞々しいまでの瞳は開かれる事はなくて、僕を見つめる事もない

背後で、サイレンが聞こえる

人だかりの声も

「おい、何の騒ぎだよ」


「え、櫻井さんのとこのお嬢さんが!?」


「嘘だろ」


「おい、誰だよ、あいつ」


「飛び出してったけど、止めなくていいのか?」


「きみっ!何してるんだっ!!離れなさい!」


「あの子、あの家の息子じゃない?」


「気味悪いわ、怖い怖い」


「聞こえてるのか!離れなさい!!」



音が遠のく

サイレンの唸り声も、人間の声も全てが遠のいて、自分の心臓の鼓動だけが静かに時間を刻んでいるのを感じた



…お願いします

「……お願いします

彼女を…彼女を助けて…ください」


僕は知っていた

もう、彼女が以前の温かみを取り戻すことがない事を

上下しない首筋で、その手首から返ってこない反応で気づいていた

知っていて、通報を受けてきた救急隊員にみっともなくわめいた


ーーもしかしたら、彼女がまだ待っているかもしれないと思って僕はあの桜並木に足を向けたんだ

その日の約束は無効になったけど、もしかしたら、彼女が僕が来ないせいでずっと待つ羽目になってるんじゃないかと思うと、どうしても寝付けなくて

それで、暗くなってから家を抜け出した


夜は好きだ

空気が変わる

日光がない事で視界は不明瞭になり、僕と僕の周りとの区別が曖昧になって、自分という存在が溶けて馴染んで消えていってしまったような薄まっていくような


だから、好き


そう言った時、彼女はも言った


「いいね、それ」


気に入った、と言って彼女はその見事な造形を崩してにかっと笑みを向けた


その年の桜は咲くのが遅かった

だから、その日も満開には程遠くて、それでも日程をずらす事はない


その日は彼女の誕生日


僕は、何にも知らなくてたまたまその日に彼女に被写体をお願いしたふりをした

彼女もそんな僕の心中に気づかないふりをしてくれてそれを受け止めてくれた


前日は例年にない大雨だった

川の水嵩は通常より増えていた

次の日は心地よい春日和だったけど、地面はぬかるんでいるところも多かった

誰も、彼女が川に落ちた事に気づかなかった

散歩中の犬が吠えやまない様子を不審に思った飼い主が発見した


僕が着いた頃には、チラホラと人が集まっていて、彼女を引き揚げようと川に入ろうとしていた


僕は気づいた時には、そこにいて彼女を抱いていた


彼女は裸足だった

けれど、僕は水底の岩場に引っかかった踵の折れたハイヒールを見つけた

僕が去年のクリスマスの2日前にあげた赤いハイヒール


写真の為と言って、彼女に押し付けたそれを

彼女は、ぽかんとした後、ふっと吹き出して、仕方ないな

と言った

「貰ってあげるよ、撮影のためだもんね」


そんなんじゃない

本当は、君に僕から何かを贈りたかった

その為に、生活費に使う筈だったバイト代をそっちに回した

馬鹿みたいだ

そんな自分の気持ちが滑稽で恥ずかしくてだから蓋をする

でも、彼女は察しがよくて、そして、無理に僕に答えを引き出そうとせず、いつも受け止めてくれるんだ


赤いハイヒール


自分で贈った癖にぼくは思う


君には、似合わなかったな


君は興味があったら、真っ直ぐで

周りの目も気にせず駆け出してしまう

子供っぽくてそのくせ、勘が良くて意外と気にしいな性格

閉鎖的な環境で君は1番自由を体現していた

しようとしていた


そんな君にはハイヒールなんて似合わない


どこまでも

そう、

縛り付けてくる家系からも、優しい婚約者からも、そして愚かで救えない僕の下からも、駆け出していけるそんなスニーカーが1番いい


君の体をしっかりと支えるそれが1番君に似合っている




「ごめん」


僕は隣の彼女に言った

彼女が僕の壊れた精神から生み出された幻覚なのか、それとも現在、科学では証明しきれない存在なのか何なのかは分からなかった

それでも、あの変わらない彼女が目の前にいて、僕と会話をしている

高校2年の変わらない姿のまま

背丈ばかりが伸びた僕の隣で


皮肉を言ったり、小馬鹿にしてきたり

笑ったり、顔をしかめたり

どれだけそれが貴重な事か

この2ヶ月の白昼夢のような現実には、僕が蓋をしてきた全てが溢れていた


「今日の君はいつもよりナイーブだね」


彼女は変わらない

自身の事を知っててなお、変わらない態度をとっている


「君は」


君は、僕に罰を与えにきたの?


「君はどうして」


どうして、僕に会いにきてくれたの?



ーー僕は願っていた

彼女は僕を許せなくて、だから、僕も彼女と同じ存在にしようと僕を終わらせようと来てくれたんだと


でも、知っているんだ

彼女がそんな人間ではなかった事を


懇願する

「お願いだ

僕の事を殺してくれ」


彼女の混じり気のない瞳が僕を見つめているのが分かる

怖い

全てが怖い

彼女がこの世の人間でない事ではない

僕を否定する、拒絶する彼女に会ってしまうのが怖くて堪らない



「いいよ」


彼女が本当にそう言ったのか、僕は空耳を聞いたんじゃないかと驚いて彼女に振り向いた


まるで、ゴミ出しをお願いされたような口調で


「いいよ、殺してあげる」


そして、代わりに、朝ごはんはトーストと半熟の目玉焼きがいいと言うように


「その代わり、私のお願いを聞いて」


と続けた 



           X

「お願い?」


たどたどしい口調で僕は彼女に尋ねた

彼女の肌は変色しておらず、血液が十分に全身に満たされているようにほんのりと赤みを帯びていた

瞳は僕をちらりと見た後、何処か遠くに向けられていた


「そ、お願い」


彼女がベンチから腰をあげる


いつの間にか夕刻を知らせるチャイムが響いていた

風が微かに前髪を揺らす


「私のお願いを聞いて、向井くん」


此方こちらを振り向いてにこりと微笑む彼女

僕はこの瞬間を切り取りたいという馬鹿な願望に取り憑かれている

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