ツーショット13
僕は青い衣を身に纏った木々の中にいた
僕の記憶の中でその木は薄桃色に覆われていたが、生命力に溢れた瑞々しい葉も美しい
周囲は社会から隔絶されたかのように、人の気配すらない
ただ広がりをみせる枝のそれらが暗闇の空気の中、静かに呼吸をしていた
「ねぇ」
それを見上げる少女に声を掛ける
「遅くなってごめん」
彼女は笑う
「ようやく約束守ってくれたね
全く、何年待ったことやら」
茶化す彼女、申し訳なさそうに苦笑いする僕
「少し歩こうか」
僕らは小径を2人並んでゆく
「ーー指輪、ちゃんとお父さんに渡せたんだね」
暫くして彼女がぽつりと零した
「よかった…私じゃ上手く行かなかったら」
その時、ふと脳裏に1人の男が浮かび上がる
酒で麻痺した頭では思考がぐらぐらと歪み行き先も分からぬまま、何故自分が歩いているかという問いも持たないままに滑稽に足を進めている
ところが突然、見知らぬ少女に声を掛けられる
男の使い物にならない頭ではその子の発する言葉は掴むことのできない陽炎で、代わりにその目は少女に差し出された掌の上のそれをはっきりと認識した
目の前には、男の心痛の原因である女の形見がある
アルコールに浸された脳味噌で男は何を思ったのだろう、その心にどんな衝撃が走ったのだろう
僕には彼の心中を完全に察することはできない
そして、そうする必要もない
この世に於いて唯一、自分の感情は自分だけの所有物なのだから
僕と彼女はやがてそこに着いた
あの日、彼女が待っていたであろうその場所に
彼女の長い黒髪が温かな風に揺らめく
彼女が最初に口を開いた
「あの日ね、私は君のくれたハイヒール履いてなかったよ」
「うそだ」
「本当だよ
君は知らないだろうけど、これって凄く足痛くなるんだから」
彼女が足下のそれを見下ろす
「私は、記念にその日まで履くのを待ってたの
そしたら、当日足を入れて見たら、もう家から少し歩いただけで痛くて痛くて
「それでね、恥ずかしいけど、途中から裸足でここまで来たの
もう高校生なのに、片手にこれを持ちながら裸足って笑えるでしょ」
彼女は一旦切って、僕に自虐的に笑みを向ける
「枝先に、一つだけね、赤い桜が咲いていたの」
ーー白い中に一輪だけね、と彼女は続けた
「それが、気になって気になって、思わず手を伸ばしたときに、発作が来ちゃってね」
「発作?」
「私、病気なの
見えないでしょ?」
彼女に病気があったなんて信じられない
だって、あんなに誰よりも生き生きとしていた
「君は、社交的じゃないから知らないだろうけど、知ってる人はそれなりにいるんだよ、同級生とかにもね
父が、彼を婚約者にしたのも、彼がお医者さんだから
私の症状の変化にも気付きやすいだろうって
その為に、病院まで使っちゃうんだから、可笑しいよね笑
ーー彼はいつも、私を大切にしていてくれたし、私の女としての感情を優先してくれたけど、その根本には大事な患者を守りたいという想いが強かった
「身体が重く沈んでいくのは分かっていたのに、痛みで声が出せなかった
それで、急に痛みが酷くなって私はそこからの記憶はないの
だから、苦しいのは一瞬だった
本当だよ、…だからそんな顔しないで」
彼女が僕の頬に手を添える
僕はどんな顔をしているんだろう
彼女の1番そばに居ると思いながら、その実、僕は彼女の事を何も知らなかった
でも、もしかしたら、彼女のこの話は嘘で、僕の罪悪感を無くすためのほらばなしなんじゃないだろうか
「馬鹿だな、君は」
まるで、僕の心中を見透かしたかのように彼女は言った
「ねぇ、なんで君に会いに来たかって聞いたよね」
「…うん」
彼女を見つめる
1番、僕の我儘を聞いてくれた人だ
だから、僕は君の言う事は全部叶えよう
「どうして、私にモデルをお願いしたの?」
まさか、そんな事を聞かれるとは思わなかった
「え、それは、まぁ、一般的な目で君は絵になるから」
「じゃあ、どうしてこの靴、贈ってくれたの?」
「…それは」
「具合悪いのに、あの時ジェットコースターに付き合ってくれたのは?」
「…」
「私に、誰にも見せなかった写真を見せてくれたのは?」
「………」
「寝ている、私の髪を触ったのは?」
「お、起きてたの?」
「君が辛気臭い顔してるから寝てるフリしてたの!」
「ひどい」
「ひどくなんてない
ねぇ、なんで?なんで、私に大事な指輪を渡したの?」
彼女はそれ以上問い詰めなかった
僕の答えを待っていた
「……最初は、何となくで」
言葉はほろりと溢れる
「厄介事を君に押し付けた」
「やっぱりね、大した意味なんてないだろうなって思ってた」
彼女は半ば呆れたように口にする
整った眉が中央に寄せられる
「ねぇ、向井くん、私ね、君のことがーー
「ごめん、好きなんだ」
彼女がきょとんとした顔で此方を見つめ、そして顔を顰める
「なんで、私の言葉とるの?」
「君に先に言われそうだったから」
「向井くんがいつまでもいつまでもそんなんだから、私から言おうって漸く決心したのに」
ばか、そう言って彼女はそっぽを向いた
「ねぇ、僕の初めての告白だったんだけど」
「だろうね」
「…なんだよ、その言い方」
「向井くんが女の子に告白するなんて想像もつかないもん」
「感想は?」
「私も好き」
僕はあれからはじめて泣いた
泣き止まない男の頭を撫でるように彼女が頭に手を伸ばす
もちろん、それが触れることはない
僕はそれを握るようにそこに手を添えた
「ありがとう」
彼女は微笑む
とても可笑しそうに
X
「ねぇ、私も写真撮りたい」
ベンチに座って僕がやっと落ち着いたのを見て彼女が言った
僕の目は赤く腫れていると言うのに、彼女はどこ吹く風といった調子だ
それとも、幽霊?だから生前の姿から変化しないのかもしれない
「向井くん、もう死ぬ気なんてないでしょ?
約束破るおわびに、写真撮らせて」
そんな脅すように言わなくたって
それにーー
「君が望むから、僕はどうなってもいいけど」
そう言うと、彼女は瞬く間に目に怒りを乗せて見開いた
「君は本当分かってないな!
何の為に、指輪を届けに行かせたと思ってるの!?」
「え」
「分かったでしょ?
君の周りには意外と人の温かみで満ちてるんだよ?
君が一人でいつまでもぐじぐじじめじめしてて、挙句、私との思い出にも蓋をして、つまんない写真ばかり撮るんだから、私が目を覚まさせにきてあげたって言うのに」
「君はーー君はもしかして僕じゃなくて僕の撮る写真が好きなの?」
鼻声の僕が応じる
「そんなわけないじゃん」
彼女がぷいと顔を背けるが、僕はそれが肯定するかのように思えて愕然とする
「まさか、……本当にそうなの?」
「違うっていってるでしょ?
君が好きなんでしょ、写真を撮るのが
いつだって、そのことばっか考えてたでしょ、私、分かるんだから
そりゃ、何かと君への口実に使ったけどさ
君が楽しそうだったから、楽しそうに撮ってほしいだけ」
「君ってそんなにお人好しだったっけ?」
「私は元来、善人でしょ?
それに、これは君の為じゃないよ
全部全部、自分の為
ーーだから、向井くん、私の為に幸せになってよ」
僕は黙った
簡単に了承する事が難しかった
それに、君がいない世界で幸せになんてなれるのだろうか
「うん」
しかし、僕は言った
幸せの定義とは何なのか分からないが、例えば、それは忙しい日々の中にぽっかりと空いた昼寝の時間だったり、訪れた知らない国で出会えたもう2度と会えない友人だったり…そんな本にもできないようなそんな物なのかもしれない
そして、それを僕も生涯を終えた後、君に話したいんだ
沢山の話したい事を抱えて、君に会いたい
彼女を驚かせたり、喜ばせたり、そう言えばあんなこともあったな、とか、君に教えたい事があったんだけど、思い出すからちょっと待っててと頭を悩ませたり
そんな風にしたい
「うん、幸せになる」
X
「何を撮りたいの?僕がシャッターを押すから言って」
彼女は首を振る
「だめ、私は君を撮りたいの
向井くんは撮ってばかりだかりだから、たまには撮られる側の気持ちになって」
どんな理屈なんだ
笑みが溢れる
「いいよ、じゃあ、こっちにしよう」
ポケットから携帯を取り出す
暫く無視していた通知が溜まっている
こんな僕だが、見捨てないでくれた人達だ
お陰で、僕は彼女との約束を守る事ができる
仕事に復帰したら、飯でも奢らせてもらおう
だから、今は無視させてもらう
「これなら、自分でも撮れる」
僕は慣れない向きに携帯を構える
少ない指でそれを支えるのは中々難しい
それから少し躊躇って彼女に告げる
「1人じゃ嫌だから、君も入って」
彼女は皮肉ったような笑みを浮かべた
「全く、向井くんは素直じゃないんだから」
X
僕の携帯の写真ホルダーの奥の方には一枚の写真がある
そこには、目を赤く腫らした男が1人はにかみを浮かべて此方を見ている
横には人1人分空いた暗い背景、葉を纏う木々とベンチの背がぼやけて映り込んでいる
時たま、僕はその写真を眺める
その画の題名は
最後までありがとうございました