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『ツーショット』  作者: 倉科洸
12/13

ツーショット12

「高坂」


背後から掛けられた声に男は此方を振り返った

僕から彼に声を掛けるなんて初めてだろう


「おお、向井」


彼は変わらず愛想の良い笑みを浮かべて親しげに手を挙げる


「ちょうど良かったな、親父さん、起きてるぞ」


「そうか、それはよかった」


高坂は何を思ったか、僕をしげしげと見つめた


「なんだよ」


「いや、なんか、お前この前会った時から雰囲気変わったな」


「はぁ?」


高坂はいつも突拍子もない事を言う

しかし、それが意外と的を得ている事が多いのだ

確かに、僕の心境はこの2ヶ月ばかりの間で大きく変化していた


「まぁ、いいや、じゃあ、俺は帰るな」


彼が僕の隣を擦り抜ける


「高坂」


「ん?」


「ちよのこと、頼んだな」


脈絡のない発言に高坂は一瞬戸惑ったが、すぐに返事がかえってくる


「はは、今更だな、お義兄さん笑」


コツコツと足音が遠ざかる

僕は向き直った

特有のツヤツヤとした扉を静かに横にスライドする


中を進み、窓際のベットの下へと向かう


「父さん」


どうやら、今日は安定しているようだ

上半身を起き上がらせて、外を眺めていた男はゆっくりとこちらへ向いた


「…………おぉ、……よく来たな」


指輪の持ち主、向井透はそこに居た


           X


私は酷く不愉快だった

両親に折角連れて行ってもらえたと思ったら、場所は地元の美術館で子供の私には面白くも可笑しくもない


所蔵された作品の多くはこの土地の自然を描いた物でいつも見ている光景になんの感慨も湧かない


飽きた私は子供の膨大な好奇心を満たす何か特別な物ーー事実、それが特別である必要はない、を探しに館内を旅に出た

私はそこまで行動的な子供ではなかった

しかし、その子供が一人で散策し出す程に、私の家は形式に囚われて行動を強制され、考え方を規制された

私は子供の頃、テレビというものを見たことがなかった

本の中に出てくるそれをどんな物だろうと想像した物だ

まさか、一般家庭に普通にある物など思いもしなかった

一帯の地主であるこの家にないぐらいだから、余程高価なのだろうと思っていたのだ


理由は、30文字内に収まる

成長に悪影響を及ぼす情報が得られかねないから


そんな、鬱憤とした生活を送っていたのだ

それしか送ってきていなかったから大して不満はなかったが、それでも小さな少女は未知のものに飢えていた


そして、目新しい物が見つからない館内を出て外の世界に行こうとした時、一人の女性に目を奪われた


それは、私が今までに見た中で1番美しい生き物だった

その程よく引き締まった肢体、固く結ばれた形の良い唇、正確な比率で位置する顔の部位

今であれば、その美しさを表現する言葉はいくらでも出てくるのだが、幼い私の脳内辞書にはまだそれらは載っていない

私はぽかんと口をあけて、その女性を見送った

衝撃で動けなかったのだ

暫くして彼女がいなくなった事に気づき、私は彼女の残影だけでもと彼女がやってきた方へと向かった


ーーそれは一枚の女性の絵だった

それまでの風景画や植物の写生と違って、何だか抽象的な絵だった

しかし、何故か私はそれを女性を描いた物だと直感で悟った

絵の前には、ひとりの男の子がいた

同世代の子供なんて久しぶりだ

私は嬉しくなってその子に話し掛けた


「もしもし、となりをよろしいですか?」


少年はぎょっとした顔でこちらを見つめ、ーー何かおかしかっただろうか?それから目を前に戻して無言の承諾をした 

私は少なからず、気分を害された

礼儀には礼儀を持って対応すべきだ

挨拶をされたのなら、挨拶をしなければならない


しかし、それを指摘することを私は教育されていなかった

仕方なしに、不満を抱えながら少年の隣で少年と同じように絵を仰ぎ見る


暫くそうしていたが、何も成果を得ない時間に嫌気がさした私はまた少年と交流を試みた


「あなた、これをねっしんにみていますが、なにかおもしろいはっけんでもありましたか?」


後半は、よく父が他の大人に使っていた言葉だ

私はこっそり父の真似をする一人遊びをする


「べつに」


少年は短く本当に興味なさげに言った


「ただのとりのえだろ

おもしろくなんかないや」


私は驚いた

彼の目にはこれが鳥に見えるのか


「これは、おんなのひとのえではないのですか?」


少年は嫌疑の眼差しで私の事を今度はまじまじと見てきた


「これがおんなのひとにみえるの?きみは

いったいどうして?」


私は一生懸命、彼にここは鼻でここは唇で、目で、髪でと説明した

私の熱弁あってか、彼は最後にはそうともみえるかもしれないと言った

次に彼が、でも、これはと言って鳥となる要素を並べていった


しかし、私はそれがどうにも納得が行かず、

「いや、これはぜったいにおんなのひと!」と固辞した


彼は私の態度に怒らなかった

にっと笑みを浮かべると、彼は言った


「そうしたしゃべりかたのほうがずっといいよ

さっきまでのはなんかきもちわるい」


少年の正直な感想に私が衝撃を受けた事は言うまでもないことだ

私がそれで何も言えずにいると、少年は私の手に何かを押し付けた


「それ、あげる」


「え?」


「だいじにしておいてね」


彼はそのまま走り去ってしまった


私の手には丸い銀色のがちょこんとのせられていて、私はこの日の出来事を幼い頃のちょっとした蠱惑的な記憶としてずっとずっと忘れられずにいるのだ


           X


「一年振りかな?

ごめんね、この前来たんだけど、ちょうど時間が合わなくて」


「………いや、…気にしなくて良い」


ベットの横の椅子に腰を掛ける

酒を飲まなくなった父は何処どこか気力に乏しくなった


「ちよも元気そうで安心した

医者の仕事、頑張ってるみたいだし」


「………あぁ」


少しズレる会話のテンポ

だが、僕はこの時間が苦ではなかった

父が言葉を出すのを待つ間は僕らには必要な時間なのだ


「父さん、これ」


僕は父の手を取り上げて、拳の中にずっとあったそれを置く

人肌に暖められて温くなっていったそれは、父の皺がよった硬い皮膚の上に鎮座した


「わかる?これ?」


「…………母さんのだ」


「…そう、母さんのだよ」


「…………お前が持っていたのか」


捨てられていたものかと、と老人は掌の指輪をぎゅっとしっかりと握りしめた


僕は大きな勘違いをしていた

父さんは、母を恨んでなどいなかった

噂は嘘だとしても、父さんが母である女を恨んでいることは紛れもない事実だとして僕の根本にあった

父さんは母さんを恨んでない

櫻井明美もその夫も、僕の思ったようにはならなかった

高坂颯斗はお調子者だが、その実、責任感のある男で自分の妻だけでなく、その兄である僕の事も気に掛けている

母は……

僕は母親のことも何か誤解していたのだろうか

あの鳥だか女だか分からない絵の前で僕にそれを渡した人物

人形のように冷たい美貌を持った彼女が、僕にそれを父に渡すよう頼んだ時、僕は彼女がまた父を苦しめると思った

だから、そこにいた名も知らぬ少女にそれを押し付けたんだ

捨てるのも忍びなくて、彼女に全て任せた


僕は、あの時、父にこれを返すべきだった

今なら思う

そうすれば、元気なうちに父の目から見た母についてを聞けた


いや、まだ遅くはない


「父さん、今度、母さんの事、聞かせて」


老人は此方を向く

その目は虚ではあったが、優しい光を灯していた


ふと思う

父が噂に対して、何も反応を示さなかったのは、それどころではなかったからではないのか


愛する人を失い、酒に溺れる事でしか感情を誤魔化す事ができないその男は、父親としては頼りなくとも、その気持ちは十分に分かる

そして、僕らの彼をしたう気持ちはいつまでも変わらない


「……何処どこにいくんだ?」


父は言った


僕は言う


「大事な約束があるんだ」

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