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別れというものは悲しいと思われる方もいるかもしれませんが、前向きな話です
よかったら、読んでください
「やあ」
彼女が唐突もなく現れて、僕に向かって声を掛けてきたから酷く驚いた
「なんで…」
僕の言葉に目の前の少女は気分を害されたように眉を寄せ、不満げに零す
「なんでって、君が私に頼んだんでしょ
今度のコンクールのモデル役」
そうだった
そう言えば、そうだったけど、でも…
「…なに?やっぱり辞退するの?
怖気ついちゃったか〜、気弱な向井くんは」
「そんなんじゃないっ」
彼女の人を小馬鹿にするような口調についつい突っかかってしまう
彼女はこういう人だった
勝ち気で、歯に衣着せないので凄く美人な癖に友達がいない
そして、僕も彼女のことが分かっているのに毎回上手いようにけしかけられてしまう
僕の言葉に彼女はにぃとその整った顔を歪ませた
「それじゃ、行こっか!」
彼女がくるりと僕に背を向けてその細く引き締まった健康的な脚がコンクリートを駆けていく
赤いハイヒールがそれに伴って音を立てる
僕は彼女の姿に釘付けだった
慌てて彼女の跡を追う
彼女が何処に行くつもりなのかは何となく分かっていた
あの川沿いの遊歩道だ
ちょうど今は生命芽生える春
植樹として植えられた桜が咲いているはずだ
ひらひらと散る薄紅色と彼女を撮れば、さぞ美しいだろう
そう思って僕は彼女に被写体をお願いしたのだ
僕と彼女は小学校、中学校、そして、高校とずっと同じだった
しかし、元々仲が良かった訳じゃない
というより、人口が多い訳じゃないこの地域に他の学校の選択肢なんてない
ここに産まれた子供は大体みんな同じ学校を通う
つまり、僕と彼女はただ、同じ学区内にいたという繋がりしかなかった
それに、彼女はこの地域の地主の一人娘でお嬢様だ
何から何まで僕と違う
そんな僕と彼女が行動を共にしたのはひとえにお互い1人だったからに他ならないだろう
最初に声を掛けてきたのは彼女だった
X
「向井くん、写真撮ってるんだ」
突然、背後から人の気配を感じて驚いた
夢中になっていたのもあるが、普段カメラを片手に散策していても声を掛けられることなんてないので、すっかり油断していたからだ
さらに、声の主が櫻井裕子と気づいて二度驚いた
「へぇ〜、結構いいじゃん」
彼女の視線の先に気づき、慌てて画面を隠す
「あ、何でよ!隠さなくたっていいじゃん、けち」
撮ったものを人に見られるのなんて初めてだ
しかも、相手は櫻井裕子
奇妙な恥ずかしさから顔に熱が集まる
「黙りこくっちゃって、どうしたの?大丈夫?」
僕のコミュニケーション能力の低さに気づかず、彼女はカメラを抱え込んで固まった僕を具合が悪いのだと勘違いした
ちょうど顔は熱があるように赤面しているだろう
伏せられた視界には彼女のスニーカーしか入らない
ーーもう放っておいてどっかに行って欲しい
僕の願いが伝わったのか、縮こまった僕に呆れたのか視界からスニーカーは消え、靴音だけが僕の耳に木霊した
自分の姿が情けない
休日に同級生に話しかけられても挨拶のひとつも出来ない
自己嫌悪に陥りそうだ
「うわっ!」
「あはっ!おっきい声笑笑
元気そうじゃん!」
「な、何するんだよ…!」
彼女の手にある冷えたペットボトルが僕の首元を濡らした
突然の刺激に思わず怒鳴ってしまった
慌てて口を閉ざす
また萎縮した僕にそれでも彼女は構うことはなかった
「おやおや、また具合が悪いふりかな?」
彼女の言葉にムカムカし始める
彼女自身もだが、何も出来ない自分にもだ
嫌なら、あっち行けぐらい言えればいいのに
それすらも口に出来ない
「むかいくーん、おーい」
彼女はかなりしつこかった
しかし、僕も大事な時間をこんな事に消耗しているのにそろそろ我慢できなくなった頃合いだ
元々、目つきが良くないから女子からは特に嫌厭される僕
その清廉された見た目とは異なった空気の読めない彼女も流石に察するだろう
彼女を睨みつけてやろうと視線をあげる
ーーその瞬間、僕は音を失った
熱を帯びて容易く形を変えるガラス
その吸い込んだ光を反射させる美しさ、引き伸ばされる瑞々しい物体
彼女の瞳はまるでガラスだ
その水に濡れたような艶やかなガラス玉がうっすらと橙に染まり、彼女に見える世界がどのように変化しているのかを教えてくれる
切り取りたい
僕のこれまでの人生の中で見たどんな風景にも負けず、心を抉る彼女の瞳を、89と127の薄っぺらい四角に閉じ込めたい
「やっと、目が合ったな
シャイ向井くんめ」
意識が浮上する
彼女の瞳に反射した自分の姿に漸く自覚する
僕を覗き込んだ彼女と彼女を睨もうとした僕とが人差し指分ぐらいの距離で会話をする
「も、もうどっか行ってください」
彼女の瞳に囚われたまま、熱に浮かされたように僕は口を動かした
やった、言えた
しかし、彼女は僕の決死の訴えに耳を貸さなかった
「はは、やだね
君が私と友達になってくれるまでここにいるから」
彼女は、崖上に咲く一輪の百合のような存在だったけど、実は違ったのかもしれない
年齢で言えば、僕より2ヶ月早く産まれただけなのだ
みんなにその外見、立場、佇まいから遠巻きにされていたが、本当は友人という存在に飢えていたのかもしれない
でも、僕は嫌だったので、その場を逃げた
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「ねえねえ、こことかよくない?」
僕らはやっぱりあの桜の小径に居た
彼女が石畳のそこを器用に高いヒールで歩く
そう言えば、彼女は運動神経も良かった
体育の時間には颯爽と走る彼女の姿にサッカーをしていた男達はボールそっちのけで釘付けだった
勉強もできるし、先生の覚えも愛でたい
才色兼備って奴だ
態度が良ければ言うことなし
「おーい、聞いてる?
いいのかどうか言ってよ」
終始黙りこくった僕に痺れを切らして彼女が振り返る
ーー桜の木の下に少女が1人こちらを見ている
僕はカメラを構えた
フィルター越しに彼女を見つめる
ボタンを押す指が震えた
カシャ
空間を切り取る音
この音が彼女は好きだとよく言っていた
顔をあげる
「どう?いい感じ?」
彼女はとても楽しげにこちらへ微笑んでいた
「うん、綺麗だ」
泣きそうなくらい
X
彼女からの友達申告から逃げ出した次の日、彼女は僕の前に立ちはだかっていた
「向井くん、私に言うことは?」
貴重な学校のお昼時間に昨日のような問答をしている場合じゃない
早く弁当を食べ終えて、睡眠を摂りたいのだ
だから、まるで彼女が見えないかのように黙々とお握りに食らい付いていた
「ちょっと!」
僕の対応に彼女はかなり不満そうだった
それで不満そうに僕の隣に腰を下ろした
場所は屋上だ
みんなが楽しそうに過ごす喧騒とした教室で1人で飯を食うなんて正気じゃない
僕はそこまで心が強くない
入学したての頃に頑張って探した僕の校内で唯一、気を許せる所だ
本当は、鍵が掛かっていて学生は入れないのだが、実は死角に入った所に換気用なのか絶妙な大きさの窓があって、小柄な僕はそこから通っていた
どうやら、彼女も僕の後を追ってそこからやってきたらしい
大事な秘密基地に無断で入られたような不快感も覚えるが、それを越すほど、僕は彼女の気配に神経を張り詰めていた
知らんふりなんて出来る筈がない
昨日、日暮れに会った彼女もそうだが、晴天の青の下にいる彼女から意識を逸らすことなどできない
隣で手を扇のようにして暑さをやり過ごす彼女から風に乗って汗の匂いがして来て、僕はなんだか気が狂いそうだった
必死になって弁当に集中した
「あ、卵焼きいーな」
彼女が僕の努力を壊しにかかる
僕は構わず隣のお浸しを口に運んだ
「ねーねー、甘いやつ?それとも、しょっぱいの?」
何の話かと一瞬戸惑ったが、なんて事はない卵焼きの事だ
「……甘い奴」
「わー、ほんとう?私、甘い派なんだよねー
いーないーな、卵焼きって好み出るよね」
彼女の分かりやすい催促を無視してそれを口にする
途端に彼女がまた不貞腐れた
まるで子供のような彼女についつい僕は吹き出してしまった
「あ、笑ったな、いい性格してるな、向井くんめ」
「あ、何するんだよ!」
僕のお弁当から彼女が大事な大事なタンパク源を奪って言った
「向井くんは好物は最後に残す派だね、
残念、唐揚げは私の物だ」
「あ、あぁ……」
事実、お楽しみにとっておいたそいつは彼女の胃袋へと収まる
僕が食べる筈だった、僕の弁当箱にあったそいつが彼女に食べられた事実に、僕は恨めしいやら何やらで、彼女を置いて屋上を後にした
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彼女は僕が予想外にその事を根に持っている事に気づいたようだ
それはそうだ、食べ物の恨みは大きい
2日後、彼女は若草色の包みを手に屋上に来た
中身は彼女の昼飯らしい
彼女はそこから唐揚げを2つばかり黙って、僕の所に置いて来た
そいつで手を打てというつもりらしい
大振りのそれは味が染みていて中々に美味しかった
それから、冬になって寒くなるまで僕らは屋上で昼を過ごした
X
僕は休む事なく、狂ったようにシャッターを切り続けた
彼女もそれに付き合ってくれる
時間はもう暗くて、歩いてる人は、二人組か、帰宅途中の会社員ぐらいだった
川のせせらぎと遠くから聞こえる電車と遮断機の警報音ばかりが頭の中に響く
「……向井くん、そろそろ終わりにしよう」
気づいた時には、彼女はすぐ近くにいた
はっとする
彼女に見られないようにカメラの画面を咄嗟に隠した
彼女は特に僕の動作を気にしてないようだった
「もう、疲れたよ〜
向井くん、もうちょっと私の事考えてよね
ヒールって足にくるんだから」
どきっとする
「ごめん」
「え、なんで本気になってんの?
冗談だよ、冗談
向井くんが全然、私に構ってくれないから意地悪言っただけだって」
調子くるうな〜とごちながら、彼女が苦笑いする
僕は彼女の冗談というそれを素直に受け入れることが出来なかった
「本当にごめん」
二度目のそれに、彼女は暫く何も言わなかった
無音の時間が永遠のように感じた
だから、尚のことその次に出た彼女からの問いが恐ろしかった
「何に対しての?」
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僕は顔を上げられなかった
何も言葉に出来なかった
言ってしまったら、彼女が僕の下からいなくなってしまうんじゃないかそんな気がして、何も言えなかった
まるで、出会った頃に戻ったように、僕は黙りこくった
いつまでそうしていただろう
肌寒さを感じて目を開けた時、彼女はもうそこにはいなかった