20
宿屋の共用スペースで待っている間も、私はどこか落ち着かなかった。
もし本当に魔族がここに入り込んでいたとしたら、大変なことになるかもしれないからだ。
(本調子でないときに強敵と戦うことになったら)
そう考えると気が気でない……。
「……わたくしと出会う前にそんなことがありましたの。……そうですか。リディアーヌ様が」
私とローラさんからリディアーヌ殿下の護衛任務の話を聞いたエリスさんは、真剣な面持ちで呟く。
「エレインさんとルミアさんがどこまでアストとやらの目的に迫れるかわかりませんが、もしかするとまた殿下に危険が迫る可能性があります」
「ええ、心配ですわね」
「うむ……、一応衛兵には殿下の警護を強めるように忠告はしたが……」
「…………」
魔族の力は強い。ベリルもケルフィテレサも強敵であった。
アストという少女の力は未知数だが、あのとき私はベリルよりも彼女が恐ろしいと感じたのだ。
もし彼女と戦うことになれば、王国の精鋭たちといえど無事では済まないかもしれない。
(だけど、リディアーヌ殿下を守らないと……)
私の心はすでに決まっている。
例えこの身がどうなろうとも、必ず彼女をお守りする。
友人になったのだから当然だ……。
「もどかしい、ですね。こうして待つのは」
「ソアラの気持ちはよくわかる。私だって同じ思いだ。……だからこそ、今は休め。いざというときのために体力を回復させておくんだ」
「はい、わかっています」
私はそう答えると目を閉じて瞑想をする。
少しでも体調を整えようと努めたのだ。
そしてしばらく時間が経った頃だった。
(……エリスさんにいただいた薬、本当によく効きますね。思ったよりもずっと早く傷が完治しました)
私はエリスさんからもらった再び飲んで瞑想に入っていた。こうすることで回復を早めようと試みたのだ。
今朝……傷口が完全にふさがり、今、この瞬間あらゆる痛みから解放される。
おかげですっかり動けるようになった。
「よし、もう大丈夫そうです。ローラさん、エリスさん。……それに」
「姐さん! ただいま戻りました!」
「ソアラ様~! お怪我の具合は大丈夫ですか~?」
私が声をかけようとしたタイミングで、エレインさんとルミアさんが戻ってきた。
口を開いたのは気配で彼女たちの接近がわかったからである。
「おかえりなさい。どうでしたか?」
「ええ、あのガキのアジトみたいな場所を見つけましたよ! 王都の少し外れた森の中にある小屋でした」
「はい、中に入っていったのを確実にこの目で見ました~」
「なるほど……」
あっさりと見つけたということから、我々をおびき出す罠の可能性も頭に過ぎる。
罠ならばリディアーヌ殿下というより、狙いは私たちになるが。
アストはベリルを「お兄様」と呼んでいた。
もしかして彼女は兄を殺した私を恨んでいるのかもしれない。
「あと、これは見間違いであってほしいんですが、とんでもない人とあのガキは一緒にいました」
「とんでもない人? どなたですか?」
「……ゼノンです。勇者ゼノンが魔族のガキと一緒にいたんですよ」
「ええ!?」
私は驚いてしまった。
まさかこんなところでその名前を聞くとは思わなかったからだ。
氷の魔城からエリスさんによって救出されて王都の病院に送られたところまでは聞いていたが、一体なにが起こったのだろうか。
「そ、それは本当なのかエレイン」
「ああ、間違いねぇ。……あの赤髪は一度しか見てないが見間違わねぇよ」
「驚きましたよね~。どうして勇者様が魔族なんかと一緒なんでしょう……」
「わかりません。とにかく、罠の可能性も考慮しつつ……明日その場所に行ってみましょう。そこでアストという魔族の少女の真意を探る必要がありますね」
私はそう提案する。
エリスさんは静かに首肯し、ローラさんも同意してくれた。
「ふふ、明日って随分とのんびりしているのね。お姉ちゃんたち」
そのとき、突然第三者の声が聞こえてきた。
私たちは一斉に振り返る。……そこには一人の少女がいた。
紫色の長い髪を揺らしながら不敵に笑っている。
その顔立ちはとても美しく、まるで人形のように整っていた。
この顔には見覚えがある。まさにエレインさんたちが先程まで追跡していた対象だ。
「あ、アスト……! てめぇ、なんでここにいやがる!」
「間抜けなハーフエルフさん。尾行していたのに、自分もそのあと尾行されるなんて考えなかったの?」
アストは嘲笑するように言った。
そういうことか。誘い出して油断させて逆にこちらを尾行して……私たちの居場所を探ったというわけか。
「くっ、いつから気づいてたんだよ」
「最初から。あなたたちは隠れているつもりだったんでしょうけど、私にはバレバレだったわよ」
「ちっ……、あたしとしたことが」
エレインさんは悔しそうにしている。完全にアストの方が上手であったようだ。
(この子が魔族の少女……)
私は改めて彼女を見つめる。
見た目は十歳くらいだろうが魔族なので年齢はわからない。
美しい少女だ。だけど前回も感じたが……どこか得体の知れない恐ろしさを感じる。
「お前の目的はなんだ? アスト。またリディアーヌ殿を狙うつもりか?」
「ううん、違うの。私は別に王女様に興味はない。あるのはあなたたちなの」
「我々……だと」
「そう。ねえ、教えてくれるかな? 私のお兄様を殺してどんな気持ちなの? 人間ごときが魔族を殺してのうのうと生きられると思うの?」
「……」
私は黙り込む。この子はやはり、私たちのことを恨んでいるようだった。
エリスさんはそんな彼女の様子に気づいたのか、私を庇うように前に出る。そして厳しい表情で問いかけた。
「あなた方がリディアーヌ様を狙ったのが先ですわ! それを返り討ちに遭ったからといって逆恨みするのは筋違いです!」
「人間の理屈は知らないの。でも本当はもうベリルお兄様のことはどうでもいいといえば、そうなの」
「な、なんですって!?」
アストの言葉にエリスさんは驚いた。
さっきまで復讐について語っていて、今度はどうでもいいとはどういう心境なのか。
(なにを考えているのかまったく読めません……)
「あのね、私……新しいお兄様を作ったの。だからベリルお兄様のことは失敗作だったって忘れられそうなの」
「作った? 失敗作? てめぇ、訳のわからないこと、抜かしてんじゃねぇ! 燃やされてぇか!?」
「うるさいハーフエルフさん。会話の邪魔しないでくれる?」
アストが手を上げると魔法を使おうとしていたエレインさんの足元から黒い霧が発生し、彼女を包み込んだ。
(魔法の発動が早すぎて追いきれませんでした……)
「ぐあっ! て、てめぇ、離せ!」
「大人しくしていてね。大丈夫、すぐに解放するから」
エレインさんは必死にもがくが、魔法による拘束は強く逃れられない。
アストは再びこちらへ視線を向ける。
「それで、話を戻すけど……私は新しくお兄様を作ることに成功したの」
「……意味がわかりません」
「うん。ベリルお兄様は魔王軍の中でもいずれは幹部になれるって有望だったの。でもあなたたちに負けて死んじゃったの。……これで私の、人間から魔族を作り出す研究はまだまだだと証明されたの」
「……人間から魔族を生み出す? それは一体、なにを意味していますの?」
「言葉通りの意味なの。ベリルお兄様は元々死刑囚の人間なの」
「えっ?」
アストはそう言って両手を広げる。
すると彼女の背後からゆっくりと人影が現れた。