18.走った先の輝きは── 格別で。
水上明美に言われて気付いた。
全ては俺のくだらないプライドが邪魔をしていたのだと、そう理解した。
彼女の嫌がらせはとても幼稚だ。本当に低レベルだと思う。小学生かと疑うレベルだ。そこは変わらない。
だけど、それを幼稚だと見下して笑う権利なんて俺には無かった。
なぜなら一番幼稚だったのは俺なのだから。
それに、嫌がらせに対して何とも思っていなかったというのは⋯⋯嘘だ。
机に落書きを書かれてムカついた。
教科書を隠されてムカついた。
靴を隠されてムカついた。
クスクスと笑われてムカついた。
本当に低レベルだとしてもムカつくものはムカつくのだ。
だから、黙っているだけなんて⋯⋯もう我慢の限界だ。
俺は確かに無力で弱い。
でも、だからこそ⋯⋯それを知ったからこそ、ということもあるのだ。
全て捨てて、嫌がらせに立ち向かおうと、立ち向かえと言われてる気さえした。
◆◇◆◇◆
朝、早めに登校し教室に入ると、立花蕾が俺の机に腰掛けて座っていた。
「高島クーン! おはよぉ。今日も覚悟しといてね!
ふふっ」
含んだ笑み浮かべ立花は言う。
「あぁ、そーだ。昨日、昼休み明美ちゃんと話してたみたいだけど、何かあったの?」
何もなかった、そう言えば彼女は納得するだろう。
今までだってそうやって乗り切ってこれた。
たとえそれが正解だとしても、たとえ無力だとしても、それをする気にはなれなかった。
「あったよ。ほんとに色々と」
「へー、何があったの」
「何があったかなあ。⋯⋯ごめん忘れた」
煽るようにして言ってやった。
「ふっざけんなっっ!」
立花は語気を強め、そして、俺の机を叩きながらにして言う。
「そんなに気になるなら、さ。水上に直接聞いてくればいいんじゃないか?」
立花蕾がそんな事を出来るはずがない。
それは分かっていた。
彼女は自分の無力さを分かっていないから。分からない振りをしているから。
なぜだか俺には、立花のことが手に取るように分かる。
ああ、そうか。彼女、立花蕾は俺と似ているのだ。
でもそれは⋯⋯昨日までの俺と、である。
「はあ? キモいんだけど。何? 私に歯向かうの? 」
「うん。何か問題が?」
俺が言うと、彼女は一瞬、鬼のような形相を見せたが、すぐにニヤついた表情を取り戻した。
「あっ、いいこと思いついちゃった! あんたって確か、出席番号12番だったよね?」
「えっ、うん」
唐突にそんな事を言い出す立花。
「ねえ、知ってる? 国語の担当の小原先生はね、その日の日付で教科書を読んでもらう生徒を決めるんだー」
「へー、そうなんだ」
さっきからコイツは何を言っているのだろう。
まるで意味が分からない。
「ねえ、あそこ何て書いてあるか分かる?」
立花はそう言って黒板の右端の方を指差した。
そこには「6月12日(火)」との文字が。
あれ、待て、立花はさっきなんて言ってた?
「じゃあさー、この教科書は誰のもの?」
俺の名前が記された教科書を掲げて立花は邪悪な笑みをこちらへ向ける。
「あんた、これ無くしたら困る⋯⋯よねえー」
今日は十二日。つまり俺が当てられる日だ。
立花蕾の意図するところ、その全てが分かった瞬間だった。
どうやらその教科書をどこかに隠して俺を困らせてやろうという魂胆らしい。
しかし、それが分かって改めて思う。本当にやること、成すこと、あらゆることが、彼女は幼稚なのだ。
これでは嫌がらせというよりも、何というか小学生の⋯⋯いたずら?
いや⋯⋯だとしてもムカつくし、何より教科書が無かったら俺が恥をかくことになるだろう。
そして、それを見た立花蕾が笑うのは火を見るよりも明らか。それはどうしても我慢ならない。とても⋯⋯ムカつく。
「ふふん」
立花は薄く笑うと、教室から出ようと軽快なステップを踏み出した。
「あっ!おい待て!教科書返せっ」
俺も後を追おうと必死に走る。
すると立花はこちらを振り向き煽るような視線を向ける。
そして、
「圭、翔平、足止めよろしくー」
と、その瞬間、どこからともなく二人の男子生徒が現れた。
俺はその生徒達に腕を掴まれ、立花を追うのを阻止される。
「ちょっ、離してくれ、急いでるんだ」
俺は言うが離す気配はなく、というかどんどんと力が増している気さえした。
「悪いがそれだけはできねー。すまん、蕾の頼みだ」
「ほーんと、ごめんねー」
どちらが翔平でどちらが圭かは分からないが、彼らにも彼らなりの事情があるらしい。弱みでも握られているのだろうか。
そうこうしている内に水上明美が登校してきたので、俺の拘束は解かれることになった。
そして、一時間目の国語の授業が始まろうとしていた。
◇◆◇◆◇
結局、俺は国語の教科書を取り返すことが出来なかった。
もう俺が恥をかくという事は決定事項である。
そんなドン底だというのに、なぜだか清々しい程に俺の思考はクリアだった。
なぜかは分からない。いや、分からなくてもいいのかもしれない。少なくとも今この状況下では。
そうして慌ただしく、チャイムの音が響いた。
それと同時に小原先生が入ってくる。
「授業を始めます」
先生がそう言うと弛緩した空気が引き締まった。
そんな中でも、立花蕾が薄ら笑いを浮かべているのは想像するまでもない。
時間は刻一刻と過ぎ去っていく。
鼓動が高鳴る。とても、緊張している。
そうだ。俺は今、恥をかく準備をしているのだ。
なんの前触れもなくその時は唐突に来た。
「えー教科書233ページを、えっと今日は6月12日か。じゃあ12番、『走れメロス』を最初から」
それは、運命だと思った。偶然ではなく必然だと、そう思わざるを得なかった。
俺は深呼吸をする。深い、深い、深呼吸だ。
耳を澄ます。
クスクスと不快な笑い声が脳に響いた。
「おい、どうした? 12番?」
先生が教室を見渡し、12番の生徒を探す。
「あー、はい。自分です」
「あれ、君。教科書ないのか?」
先生は不思議そうな顔をして俺に聞いた。
クスクスと笑う声はまだまだ脳に響いている。
だけど、なぜか今だけはアイツの笑い声が⋯⋯不快には思わなかった。
なぜだろうか。いや、その答えは分かりきっている。
なぜなら、今から恥をかくのは立花蕾、他でもない彼女自身なのだから。
「メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては⋯⋯⋯⋯」
誰もが何が怒ったのか理解できていないようだった。
先生は目を丸め驚いている。先生だけではない。この場にいる全ての生徒が平等に、同様にして驚愕していた。
俺は別に国語が好きでも、得意なわけでもない。
俺が好きなのは⋯⋯大好きなのはたった一つ、この物語「走れメロス」だけだった。それはもう暗唱ができるくらいには大好きだった。
だから、授業でこの「走れメロス」をしていることが分かった時、俺は運命だと思ってしまったのだ。
教室は沈黙。誰もが何を言っていいか分からない状態のようだ。
そんな時⋯⋯
誰が最初だったかは定かではない。どこからともなく拍手が始まった。
それは一人、また一人とドミノ倒しのように広がっていき、やがてはほとんど全員の人間が。
数秒もしないうちに、教室は歓声に包まれた。
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