「質問する人・できない人」(下)
前回から間が開いてしまったために、私の熱も冷めつつある。
質問力資本主義とでもいおうか、大きくとらえるとコミュ力資本主義とでもいおうか。コミュ力の格差拡大が止まらない毎日、いかがお過ごしだろうか。
さて、どのような手段を用いれば、我々は臆面なくわからないことを人にぬけぬけと聞くことができるようになるのか。無知でいることがばれても平気でいられるのか。
自己啓発系のサイトを覗いてみると「自分に自信を持つのが一番!!」なんて書いてある。とりあえず自己肯定感さえあれば何でもできるというのが昨今の風潮である。
よし、私も自信を持つことにしよう。
うおおおおおおおお!
俺すごい!
俺天才!!
俺イケメン!!
俺の小説めっちゃ面白い!!!
俺お金持ち!!
俺かっこいい!!!
俺モテモテ!!! ………。
何だろう。この虚しさ。
いや、そもそもこんな方法で自信など芽生えるはずもない。
そもそも促成栽培の自信など、長年根を張った卑屈な人生観にかなうはずもなかろう。
ちくしょう。どうすればよいのか。
自信はどこから湧いてくるのか。
ところで、今、私は何に自信を持っているだろう。
自信を持っているとは「絶対にできるという確信」と定義しておく。
ふむ。とりあえず、立てる。歩ける。遅いけど走れる。
日本語も読めるし、拙いながらも書ける。
起きることができ、寝ることができる。
音楽を聴くことができ、何なら感動することもできる。
この自信はどこから来るのだろう。
あー、つまらん結論だ。
要は、繰り返したからだ。
飽きるほど、同じことを繰り返したからだ。
赤ん坊の時、立ち上がるために何度も転んだからだ。
それから毎日、歩いているからだ。
毎日誰かと喋って、何かを読んで、何かを聞いているからだ。
結局自信なんて繰り返すしかないのだ。当然すぎる結論だ。
あーあ。
できることと、できないこと。
自信があること、自信がないこと。
数の暴力で一定程度解決してしまうのか。
あーあ。
この世には、頑張ればなんとかなることが多すぎる。
だから頑張れない自分が苦しいのだ。
どうにもならないことならすぐあきらめがつくのに。
この結論は、なんか微妙だ。
虚しいけど、心強い。
苦しいけど、ありがたい。
頑張ったら前に進めてしまうではないか。
とりあえず、月曜日の授業では手でも挙げてみるか。
予習しとこ。




