「作家と読者と不治の病」
どうも文章が長くなりすぎる。もともとは1000文字で小説(と呼べるかどうかは怪しいが)を書いていたわけだからもっと短くできるはずなのだ。が、久々に書くと、どうも勝手がわからない。これで伝わるのか、もう少し丁寧な描写を、つじつまを合わせるにはこれ足さないと……なんてやってるうちに四倍近い分量だ。
そして、最初っから全部待ちがっていた気がして、嫌になってくる。
創作の一番難しいところは、やめるのがあまりにも簡単すぎることだと思う。第一続けう理由なんてこれっぽっちもないのだ。誰が読んでいるわけでもない。金が稼げるわけでもない。常に、何やってんだろうな俺という忌々しい自問自答を繰り返しながら、どうしてこんなに俺は文章が下手なのだと嘆きつつ、表したいことにピッタリはまる言葉が見つからず辞書を行ったり来たりもする。そんなストレスの中で作り上げられた作品が、誰からも見向きもされぬ。完成したって残るのはやり切ったという消費物めいた達成感だけだ。
続ける理由はほとんどないが、やめる理由なら腐るほどある。
続ける手間は果てしないが、やめる手間は右クリック一発だ。
作家が、もしくは多少なりとも自分で文章を書き、それを人に見せつけようとする不遜な輩が、読者を求めるのは、少しでもやめることをためらわせることに他ならない。自分がこの話を書き続けていい理由を少しでも分厚く、少しでも濃密にするために、自分以外の誰かの言葉を必要としているのだ。面白い、でもくだらない、でもなんでもいい。これを書いていていい理由、これからも書き続けていい理由を誰かが後押ししてくれないだろうか。この話が面白いという僕の自分勝手な感想を、外側から補強して、あるいはぶち壊してくれないだろうか。
それこそ、作家が読者を求める理由なのだろうと私は勝手に解釈している。
だから感想を書いてくれる人、はどんな人でもありがたい。感謝というよりは原義の「有難い」に近い。滅多にあることではない。
その一方誰も読んでくれなくても書き続けるのだろうとは思っている。今まで何度も書くのをやめてきて、それでもこうやって戻ってきてしまうのは、きっと何か理由があるからで、それはこれからも見つかることはないのかもしれないけれども、探し続けなければならないのだろう。
もうこれは病だ。創作という病。完治することのない不治の病だ。ならば読者はお医者に他ならない。病状を沈めて、なだめて、どうにかこうにか進んでいく。ならば作品は問診票か?読書は診察か?感想はカルテだろうか?当たっているような、外れているような。微妙にずれている気もする。
判断はお医者様方にお任せするとしよう。