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「雑記帳」の思い出と、もう一回書いてみる話

 「雑記帳」をご存じだろうか。中学だか高校だか、日直やった日に書かされたあれだ。好きなだけ好きなこと書いていいよ、という形式だったがこれが中々難儀だ。自分の思想や思考を赤裸々につづることは抵抗があったし、自分の文章の拙さを担任やクラスの連中に見られることは、中高生の薄っぺらなプライド(偏見というか実体験)が許さない。結局当たり障りのない文章をちょろちょろと書いて、お茶を濁すというのが通例であると思われる。私の気のせいかもしれないけども。


 しかし、真っ白なノートに好きなことを好きなだけ書いていい。そしてそれが自分のよく知る担任やクラスメイトに見られる。ということに、ひそかな興奮を覚えていた人間は実はたくさんいただろう。私もそんな人間の一人であった。そして、普段考えている面白げなことを一行くらい書いてみて、そのつまらなさに絶望したことがある人も、一人や二人ではないだろう。もちろん私もそんな人間の一人であった。

 結局、前に書いた人の文章を見て(私はたいていのクラスで出席番号が最後だったので、参考文献には事欠かなかった)、一番当たり障りがなく、無個性な文章を選んで(そんな文章だらけだったので逆にどれを選べばいいかに迷った)それをもとに書き換えた。


 当たり障りのないことを書こうとすると、ぬるまったい誉め言葉や自己反省が乱立する。「~先生の授業はいつも面白い」「~という公式の使い方がよくわかった」「授業中うるさいのでもっと静かにするべきだと思った」……確かこんな感じだったと思う。

 書いてて思ったが、大学の授業のリアクションペーパーもこんな感じのことを書いていた気がする。毎週「生命の神秘に驚嘆した」とか書いていた気がする。感動レベルが上がっているが、まあやっていることは同じだ。


 しかし、雑記帳にしろリアクションペーパーにしろ、当たり障りのない誰にでも書ける文章を書きあげた時、私の心は何となくざわついた。何というか、自分という人間をわざわざつまらなく加工しているような。自分自身を風景にしていくような。自分の人生が別の誰かのモノになっていくような。そんな感覚である。


 担任や教授から見れば、私は皆と同じことを書く、ひたすらつまらない人間であり、そして私は進んでそう見られることを望んだことになる。本当にそう望んでいるのかと言われれば、うーんなんか微妙。といった感じだ。

かといって、自分がどう見られたいかということに明確な答えはない。ただ、「拙い文章を書くバカな人間」とか「くだらないことしか考えられないつまらん人間」など誤解されたくないという意識だけが先行し、仕方なく他の人と同じことをしているというのが正直なところだ。「何かになりたいわけではないけど、失敗はしたくない」とも言い換えられるかもしれない。そう生きることはどこか気楽だ。

 ただ、仮にそうやって必要以上に凡人ぶりながら、失敗なく人生を全うできてしまったとしたら、「私は何ものなのだろうか」「なぜ生きて来たのだろうか」といった死に際の問いに答えられない気がする。それは何というか虚しい。ような気がする。二十代前半で死に様を想像するのは考えすぎなのだろうか。多分そうなのだろう。でも思いついてしまったのだから仕方がない。何とかして自分が何者であるかとか、生きる意味とかを書き表してみたい。そう思って、私は小説を書き始めたわけである。


 なぜ小説?という気がしないでもないが、自分にできる「創作」なんてそのくらいだった。自分が作った創作物で自分の考えや感情を表現したい。そうすれば、もしかしたら自分が何者かわかるかもしれない。(いや、なんか書籍化とか全然期待してないし、別に「職業?作家です(ドヤァ)」ってやりたかったわけじゃないし。アニメ化したらかわいい声優さんとお近づきになれるかなとか全く思ってない。ほんとほんと)

 が、しかし、始めて見るとすぐに気づいた。書けない。これまで凡人になるように自分自身を加工し続けた結果、私の文章はつまらないものしか書けなくなってしまったらしい。一行打っては消し、一行打っては消し、一時間たっても三行ほどしか書かれていないワードの白い画面に軽い絶望を覚えて、ファイルごと消す。そんなことを繰り返す。どんな設定なら?どんなキャラを出せば?どんなストーリー構成なら?他の人の作品を読み、文章や設定をまねてみる。敬体?常体?三人称視点?一人称視点?ここで句点打つべき?文章の改行は?この言葉通じるかな?同じ言葉使いすぎで語彙力少ないとか思われないかな?細かい部分が気になって仕方がない。正しい文章を書かなくては。みんなに読んでもらえる文章にしなければ……

 ふと、なぜ自分が文章など書こうとしているのか、という疑問に立ち返る。あれ、なんでだっけ。なんでこんなことしてるんだっけ。誰に頼まれているわけでもないし、お金になるわけでもない。ひどい時間の無駄ではないか?そもそも、どうしてこんなこと始めたんだっけ……?

そんな風に思うと、もう一文字も文章は進まない。あー、めんどくさ。やめよやめよ。酒飲んで寝よ。投げやりモードに早変わりである。仕方がない。自分が費やしたこの無駄な時間に向き合うためには、どうしても酒が必要だった。そういうときの酒は驚くほど単なるアルコールで、途中で飲むのがつらくなることが多い。

 なんで始めたんだっけ。その問いは常に付きまとう。この文章を打っている最中も、ふと気が付くと、自分は何をやっているんだろうという問いが脳をめぐる。確か、自分が何者か、どんな人間であるか、そんなことを知りたかったはずだ。「そんなことしなくても自分は自分さ」とか「ありのままの自分が一番」とかそんな言葉に耽溺したいものだが、悪い酒の入ったやけに冴えた頭ではそういった言葉では納得できない。自分らしさはどこまで行っても自分で探すしかなく、それは多分、少なくとも私の場合、文章で、言葉の連なりの中で探求されなければならないようだ。


 とはいえ、どんな文章でなら、それが可能なんだろうか。小説、というより創作が難しいことははっきりしている。これではすぐに挫折してしまう。どこから始めよう。何なら書けるだろう。


 そして、あの時の、雑記帳から始めることにした。中高時代にやらなかったツケをここから返していけばいい。何を書いても構わない。好きなことを好きなように書ける、あのノートに戻ることにした。自分らしく、いや自分らしさが何なのかを見つけるために。

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