39 冥府の神
かつて3つの世界は繋がっていた――。
地上界、天界、魔界は三界と呼ばれ、ひとつに纏まっていた。
人間などの多様な種族が生息する地上界。
神々や天使が住まう天界。
そして、魔族や悪魔たちの住処、魔界。
古来、これらの世界は互いに干渉し、そして争いの原因となっていた。
特に地上を管理し、魔界への牽制に利用しようとする【天界】と地上を侵略しようとする【魔界】の勢力の争いは激しかった。
魔界に君臨する【魔王】の圧倒的な力に対し、神々は人間に力を与え、【勇者】と称される存在を創り出した。
【魔王】と【勇者】の戦い――それは、勇者が魔王を討伐するだけでは終わらなかった。
魔王が討伐されても新たな魔王が生まれ、そして地上も多くの勇者がその度に創られた。
無限ループとも言える争い。地上界を巡る魔界と天界の戦争は終結する兆しが見えなかった。
状況が急変したのは450年前である。
突如として大規模な空間断裂が発生して、三界は完全に分断されてしまう。
この影響により、地上は神々からの庇護も無くなってしまい、【勇者】という存在は地上から消えてしまった。
しかし、同時に魔界からの侵略も無くなったので魔王と勇者の長きに渡る戦いは強制的にピリオドが打たれたのだった。
とはいえ、地上から神々の影響から完全に離れたのかというと実はそうではない。
特殊な事情で地上に居を構える神は数少ないが存在はしている。
たとえば、冥府の神、ハデスは死者の魂を喰らう。
ゆえにより多くの死が存在する地上こそが彼にとっては楽園であった。
彼は人間の生活に混じることが趣味であり、この日は演劇を鑑賞していた。
劇が終わったとき、彼の心は奪われていた。
およそ、人間離れしていた歪な形をした魂に――。
いくつもの因果により肥大化した魂の熱量は計り知れない。
因果を乗り越えて輝いていた魂は歪な形だったがどんな宝石よりも魅惑的であった――。
「まさか、我が人間に恋い焦がれるとはな……」
冥府の神はこのとき初めて恋を知ったのである――。
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私は普段どおり支配人としての業務をこなしていた。
しかし、妙な黒色のローブの集団に取り囲まれて何かを言われた瞬間に私の目の前の風景は変化した。
目の前には漆黒の玉座――そして鎮座している白髪の少年。歳は12~13歳ほどだろうか?
透き通るような白い肌に白い瞳、色素が完全に抜けているように見えた。
「ふむ、やはり美しい魂している。なるほど、死を幾度も体験し、克服すると魂とはこのように研磨され輝くのか――」
私の顔を見ながら少年はそう呟いた。
魂? 何をフィーナやケビンみたいなことを言っている。
とにかくここはどこだ? そしてお前は誰だ?
「ここは、冥王宮。我は冥府の神、ハデス。貴女の魂が気に入ったのでな、我の妻に迎えようと思うてな。使いの者を送ったのだ……」
白髪の少年は透き通った眼差しを私に向けて、自らを神と称した。
こんな子供が神様って……。しかも、私を妻にしたいだって?
いや、こういう子が良いって人はいるかもしれないが、私はそんな趣味じゃない。
「あのさ、子供の悪戯にしては手が込んでいて凄いとは思うけどさ、お姉さんは今、仕事中なんだ。だから、早くさっきの場所に戻しなさい」
私は諭すように優しく声をかけた。ここが何処なのか分からないが、フィーナのように空間転移魔法を使ったのだろう。
彼は高貴な感じがするし、どこかの貴族の子供が私に目をつけて悪戯をしたのかもしれない。
フィーナ以外にあんな高等魔法を使える者が居るとは思わなかったが……。
「おい、人間。ハデス様になんて口を……」
私を取り囲んだ黒いローブの内の一人が詰め寄る。
「まったくですわ。ハデス様は地上に残った三神の中の一席……」
さらにもう一人の黒ローブも怒りを露にする。なんだ、女性も居るのか。
三神? なんのことだ? 黒ローブの連中はこの子供が神様って本気で言っているみたいだけど……。
「神様だか何だか知らないけど、こんな人攫い同然なことしておいて、敬えって言う方がおかしいじゃないか。早く元の場所に戻してくれ」
私は苛立ちを抑えられなかった。お城の謁見の間のようなこの場所が何処なのか見当もつかないが、連れてくることが出来るなら戻すことも出来るだろう。
「戻る必要も、働く必要もない。貴女は我の妻になるのだから」
「なっ……」
ハデスは宙に浮かび上がり私に近づいてきた。話がどうも通じない……。
しかし、空中浮遊とは……。確かにこの少年は普通ではなさそうだ。
「――不思議な魂だ。実に興がそそられる」
ハデスは私の頭に右手をかざした。何をしている?
私は言いしれぬ不快感に襲われた。
「――ははっ。なるほど、88回も不運に巻き込まれ亡くなったか。転生を繰り返すたびに魂は異形となれども研磨されていたというわけか。そして、此度の人生でようやく運命を切り開いたようだな。クリスティーナよ……」
「――っ! 私をその名で呼ぶな!」
私のすべてを読み取ったとも思える言動。
それよりも、“クリスティーナ”と呼ばれたことに憤慨している自分に驚いた。
「ああ、今はルシア=ノーティスと名乗っておったな。しかし、その名は神の妻には相応しくない。それに、どんなに理屈をつけようとも貴方がクリスティーナ=ハウルメルクの名から逃げることは出来ぬ」
「私は逃げてない! 前を向いて生きているんだ!」
これは本心だ。成り行きで死を偽装したから、こうしているだけであって、クリスティーナの人生から逃げたわけではない。
「逃げてるのだよ、クリスティーナ。もう目を背けなくて良い。神である我が共にいるのだ。いい機会だ、己の魂と向き合ってみるがいい」
有無を言わせぬ断定。そして、ハデスの全身が太陽のように白く輝いた。
私は思わず、目を閉じ――意識が飛んで行くのを感じた――。




