17話「秘策を打ち破れ」
シャツは川の水と汗でビショビショだ。首もとに指を入れて剥がしても、またピッタリと肌に貼りついてくる。気持ち悪いけど、あと少しの辛抱だ。
「やっと見つけたぞ、イズさん。これでようやく捕らえることができる」
森の中、一点を指差して逆転を告げる。
魔力も段々回復していくぞ。優勢であることが事態をより良い方向へと導いている。
「まさか、あの壁を越えて駆けつけてくるとはね……」
互いに一歩も動かない。眼光だけで牽制しあっている。彼女の瞳だけが枝葉の間から覗いていた。
この森の地形ではイズさんが有利だ。それに嘘で警戒させていたから彼女は遠距離攻撃しかしなかったけど、この氷の壁の中は全てイズさんの射程圏内なんだよね……。
ここまで来て、無傷で捕らえるだとか甘えた事を言うつもりはない。
軽めの攻撃でも良いから次で確実に当てておく。そうすれば、彼女が捕らえられるのも時間の問題だ。
「だけど、何人でかかろうが関係無いわ。私は常勝無敗、盗賊幹部、大賢者のイズよ。この程度のハンデ、安いものだわ」
イズさんの言葉、ともすれば強がりにも聞こえる声を聞き、前に出たのはウィッチだった。あからさまに不機嫌そうな顔をしている。
どんな事があろうが、僕達の前では険しい形相なんて表に出さなかったのに。この人が怒っている顔なんて、本当に今初めて見たかもしれない。
「盗賊幹部だか何だか存じ上げませんが、賢者と呼ばれるほど勉強熱心なら、あなたが知らない事を一つ、教えて差し上げましょう。人生の役に立つから、覚えておくといいですわ」
「へぇ、何かしら」
「『敗北』っていう言葉ですわよ」
彼女が言い終えた途端、木々が激しく擦れる音とイズさんの呻きが聞こえた。
直後、木の上から少女が降ってくる。イズさんだ。地面に打ち付けられ、僕らの前方二十メートル前で倒れている。
額から血が出ているな。仰向けで降りてきたから、多分ウィッチが頭に石をぶつけたんだ。
「うぅ……。こんな、こんなところで、負けるわけには……!」
地面を押し、まだ立ち上がろうとするイズさん。意識が朦朧としているらしく地面に再び突っ伏し、それでも這って移動を試みている。
その異常な執念が込められた瞳に一瞬だけ気圧されてしまった。僕が怯んでいる間にも、彼女の傷は徐々に治癒していく。ヒーリングを使っているんだ。
刹那、ネメスが矢を放った。それは彼女の脚に刺さり、容易に抜けないよう、ウィッチのスリングストーンで返しが大きくなる。
「ね、ネメス。あんまりやり過ぎないようにね……」
「大丈夫です。わたしと同じく回復の呪文を使えるみたいなので、ちょっとキツくやっただけですから」
自分も回復ができるからか、このネメス容赦が無いな。まあ、現実の彼女も、仲間を傷付けられたら手がつけられないくらい怒る子だったけど。
ネメスは歩き出す。先には痛みに呻いているイズさん。モデリングの射程に入った瞬間、縛り上げるつもりだろう。
「まだよ……。まだ、まだ、私は負けを認めない!」
悲鳴に近い叫びが耳に届いた時、ネメスのもとへ炎の球が一つ向かってきた。それを造作もないといった調子で彼女が防ぐと、途端に辺りが暗くなる。
「な、何が起きた……?」
「和也、見なさい! 上空が塞がれましたわ!」
隣からした声に天を向くと、そこには奇妙な景色があった。
天井ができている。僕らを囲う四角の壁に蓋をするように、遥か上空にもう一つの壁ができているんだ。
しかも黒い。さっきまであった四方の壁も含めて、漆黒の氷に変化している。レイヴンの赤い稲妻みたいにフローズンスノウを応用したんだ。
天井がどれほどの高さかは正確には分からない。そこから点々と、光が漏れているからだ。
端的に説明すると、天井に穴が開いている。そこから伸びる光の筋だけが、僕らの姿を頼りなく照らしているのだ。ほとんど地上にも届かない小さな光である。星空にも見えるが、不思議な光景を楽しんでいる時間はない。
「お姉ちゃん、カズヤさん! あの女の人がいません!」
ネメスの声に視線を戻すと、確かに先程まであったイズさんの姿がない。
「逃げられたのか……! 追おう!」
ここから続く道は、僕が来た方向以外にもう一つしかない。駆け出そうとする僕の肩に細長い指がかけられる。
「待ちなさい! 何を言っているんですの! 私達が逃げるんですわ! イズは私達がどうにかして壁を乗り越えてきたと思っているんでしょうけど、それは違います。ネメスのモデリングで壁に扉を作ったんですわ」
「そうですよ! 今なら逃げられます! これはきっと罠ですよ! わたし達を誘きだして、何かをしようと企んでいるんです!」
二人に迫られ、ハッとする。
そうだ。僕はイズさんを捕らえようとしていたけど、ウィッチ達は彼女への執着なんて毛ほども無いんだった。さっきは危険を排除するために仕方なく戦っただけなんだ。
記憶を掘り起こす。ここでイズさんを仲間を引き込む事が、きっと後々良い結果に結びつくだろうという気がしてならない。
何より、今逃したら絶対にまた彼女と戦うことになる。夢の世界では、現実の冒険に関わった人物達とは嫌でも巡り会うんだ。今までの経験で学んだ夢世界の数少ないルールである。
「……彼女は『エミーナ』という名前を出した。僕を見つけた時、『皮肉られずに済む』とも」
苦し紛れだが、押し通すしかない。それっぽい理由をこじつけて、無理やりイズさんを追跡する流れに持っていく。
「あの人は十中八九、エミーナと知り合いだ。そして近々会う予定がある。その時、僕らのことを知られたら……?」
「……わたし達がまた狙われる?」
「正解だ、ネメス。それだけじゃない。あの人をここで見逃すことは、これから彼女が起こすであろう被害に目を瞑るのと同義になる」
ふと二人に目をやった。ネメスは追跡を考えてくれているみたいだが、ウィッチは「まだそれでは弱い」と無言で返してくる。
彼女にとっての最優先事項はネメスと僕を守ることだ。ならば、それをキチンと保証してやるべきか。
たしか僕の設定は『日本という異世界の国で、この世界を観測していた少年』だったよな。
「召還される前、この森も観たことがある。だから分かるんだ。この道の先で、脚に矢を刺した彼女がトラップを仕掛けられる場所なんてのは、一つしかない」
近くの棒を拾って土の地面に地図を描く。現実世界や夢世界で大まかな地形は把握済みだ。
「道から逸れて移動する事はない。大きい枝なんかが沢山落ちていて、這っていくには不向きだし、すぐに距離を詰められる事は自明だ。そうすると策を講じるための時間が十分に稼げない。だからやはり、彼女が逃れられる場所はここしかない」
僕が目をつけた場所は、曲がりくねった道を少し歩いた先にある、ちょっとした広場だ。そこは四つの細道へ繋がる分岐点となっている。
「そのいずれかの道へ、イズという女は逃げたと?」
「いいや。『一つ』と言っただろう? 彼女はこの場所、分岐点手前の拓けた空間で僕達三人を迎え撃つつもりだ」
「えっ。どうしてですか、カズヤさん」
はてなと首を傾げるネメス。僕は棒を置いてイズさんという人物の説明を続けた。
「短い間だったが、少なくない言葉を交わしたから分かるんだよ。あの人はどうしようもない負けず嫌いだ。プライドを擬人化したような存在なんだ。受けた屈辱は必ず返す。だから、僕らに勝てる可能性が最も高い方法を取ろうとしているに違いない」
そこまで聞いた途端、口に手を当てて地図を見下ろしていたウィッチが顔を上げた。
「なら尚更、そんな見え見えの策に乗ることはないでしょう?」
「まあ待ちなって。ここからが本番さ」
身を乗り出したご主人を手で制す。
勝てる見込みはある。イズさんの知らない事を僕は知っているからだ。
彼女は知らない。僕がイズさんの事を知ってるって事を、彼女は知らない。そこが抜け穴だ。
「僕はあの少女の呪文を把握している。炎を操る呪文、氷を司る呪文、回復を施す呪文だ」
三つで間違いない。使用したところは見たし、あんなに追い詰められても他の呪文は使わなかったんだ。四つ目があったとしても、大して使えない呪文だろう。
「そして、それらを利用してできる、僕らを確定的に殺す手段は何か。分かるかい?」
「う、うーん……?」
「薄々は。でも、あなたと考えが同じか怪しいですわね」
「そっか」
想像通りの反応に微笑みながら、小さく手招きをする。彼女達は顔を見合わせ、こちらへ少し体を動かした。
「いいかい。時間が無いから一度しか言わないよ」
顔を寄せてきた二人に僕も近付き、声量を一層落とす。
「彼女が取るであろう作戦は――――」




