15話「練習試合の時とは訳が違う」
頬を伝う雫は止まることがない。流している汗は暑さによるものではなかった。
湧きあがる勇気にスタミナの回復を感じながら、僕は人生で初めて、最も恐れている人物に喧嘩を吹っ掛けている。
「『馬鹿だ』と言ったんだよ、賢者イズ。君が気付いていないだけで、僕はもう君の姿を捉えている」
一点を見ることなく、堂々とした素振りだけ見せて説得力を持たせる。人が最も演技力を発揮するのは嘘を吐く時だ。
「カマをかけているのかしら? そんなハッタリ、通用しないわよ」
「ロングの髪が綺麗だね。盗賊のくせに、手入れはよくしているみたいだ。強気な態度からは察しづらかったが、僕より身長は小さく、結構子どもっぽい体つきをしている」
「えっ……」
「どうした。凛々しいつり目が垂れてきているぞ」
賭けだ。僕はこれから博打を打つ。
この世界のイズさんが、盗賊である事を除いて、現実世界のイズさんと同じならば、それは一縷の望みに繋がる。
「君はどうやら貧相なプロポーションを気にしているようだな。あらゆる本を読んで試行錯誤を凝らしているが、全く成果は出ないままだ」
沈黙を作らぬよう、できるだけ慎重に言葉を選んでいく。
「キツい性格が災いして友達は少ない。一見は孤高の人、高嶺の花を気取っているようだが、心の中で寂しがっている」
大袈裟に身ぶり手振りを交えだす。こんな大芝居を打つ日が来ようとは思ってもみなかった。
「そして、怖がりでもあるんだって? これはこれは、拍子抜けも良いとこだ。僕の命を脅かす強大な危機が、幽霊に毎晩ビビっている女の子だと思うと、多少はあった君に対する畏怖もどこかへ消えていくよ」
そこまで言ったところで、一旦台詞を切る。
静けさに嫌な汗がまた溢れ出していたが、気にはならない。受験の結果発表よりも緊張する、嫌な時間だった。
「あ、あんた……」
彼女の震える声に心の中で祈り続ける。どっちだ。正解か。合っていてくれ、と。
「よくもこの私を虚仮にしてくれたわねっ!」
刹那、複数の炎と氷が一斉に僕のもとへ飛んできた。
慌てて木の陰に飛び込み、それらを防御する。炎が近くの草花を燃やす。氷は僕の隠れた木に突き刺さったみたいだ。よかった、植物のレベルまで高くて。
「挑発に弱いところまで変わらないみたいだね」
初めの不意討ち攻撃、氷の槍は木に刺さっていたけど、貫きはしていなかった。
つまり、彼女の居場所さえ分かれば、遮蔽物に隠れることで回避が楽になるのだ。
そしてイズさんの場所は今、突き止めた。木の陰から顔だけ出し、攻撃が飛んできた方向を覗き見る。
「長所ってのは短所を伴うものなんだ。君は頭が回るから、僕が決して考えつかないような、ありもしない可能性まで見えてしまっている。僕に弱みを握られた上に、自分の潜伏場所さえもバラしてしまった!」
「くっ……! ふざけんじゃないわよ! 正々堂々、戦いなさい! ほら、出てきやがりなさいよ!」
よく言うよ。自分が姿を現さずに攻撃を仕掛けているのにさ。
現実の時にやった練習試合を思い出すな。あの時、僕は君に負けたけど、今なら勝てる見込みがある。勿論、負けの未来は濃厚なのだが。
「いいかい。忘れないってのは、傷つき続けるってことだ。覚えてるってのは、絶対許さないってことなんだ」
攻撃が止んだところで隠れるのをやめる。姿を現し、イズさんがいるであろう場所を鋭く指差した。
「記憶力が良いってのは、つまりそういう事だ! 君は今受けた屈辱を一生涯、事あるごとに思い出すだろう! 僕が死んだとしても、君は忘れないでいてくれるのだから! 僕が天国で寛いでる間、自慢の長所に苛まれていろ!」
「言わせておけば……! あんた、楽に死ねるとは思わないことね!」
爆炎が空に揺らめく。それは凝縮し、一つの巨大な業火の球となり、僕のもとに降り注いできた。
「なに……!?」
でかすぎる……! 当たったら一溜まりもないぞ!
再び壁に沿うようにして走り出す。前に見えてきた小川に飛び込もうとジャンプしたところで、炎が背後の壁に着弾した。
「うおっ!」
爆風に押されて勢いよく川に突っ込む。一瞬溺れかけ、空気を求めて水面から顔を出すと、背後の氷壁が溶けていた。
だが、完全に穴が開いたわけではない。
挑発して怒らせれば、脱出する道を確保できるかと思ったが、そんなに上手く事は運ばないらしい。
むしろ、かえって彼女の魔力を上げただけに終わったのかもしれないな。
壁に寄り添い、体に傷が無い事を確認する。まだ走れるようだ。
けど、そろそろ体力もキツイぞ。叫びながら考えて、避けながら走っている。
さらにこの気温と湿度だ。思考が朦朧として、回らなくなってくる。
イズさんはいつの間にか移動してしまった。また見失ってしまったってわけか。
逆転劇はなかなか難しいね。できれば、彼女を捕らえて仲間に入れたいところだけど……。
「運の尽きよ。あんたは私を見失った。もう安い挑発にも乗らないわ。あんたは負ける運命にあるの」
背後に壁の感触を感じながら、横へ進んでいく。
どこからともなく聞こえる声との、他愛ない論争は止むことがない。
「どうかな……。待っていれば、好機はいつか訪れるものさ」
「典型だわ。駄目人間の吐く常套句。来ないのよ。機会は何度も門を叩いてはくれない。幸運は頼るものじゃないって事を理解なさいな。チャンスが二度も来ると考えられるから、愚か者は一生掴めずにいるんでしょうよ!」
あちこちから飛んでくる槍を寸前で避けて駆け出す。転がり、跳び、這いつくばりながらも、戦況の分析は続けていた。
今度は氷を出現させる位置を散り散りにして、本体がどこにいるのかを判りづらくしてきたな。流石イズさんだ。対応が早い。
他方で僕は、息も切れ切れ、足も棒になりそうだった。走るのも限界に近い。体力の限界を迎えるのも時間の問題だぞ。
それまでに何とかして、次の策を考えておかないと。
「あぁっ……!」
そこで、僕は唐突に転んだ。
いや、転んだというよりは、滑ったのだ。前のめりに倒れて、地面についた手のひらに、鉄板のような硬く冷たい感触を覚える。
「何だ、これは……!」
赤ん坊が這いつくばるように地面をペタペタ手踏みする。
見えないが、確かにある。一面の草が潰れているように見えるのが、その確たる証拠だ。
「地面に透明の床が設置されているぞ!」
「そうよ。あんた、よくここまで逃げてきたわね。根性くらいは認めてあげる。でも、今度こそ、もう終わりよ。あんたがしてきた努力は、無駄だったってわけ」
驚愕する僕へ言葉が投げかけられる。
立とうとしても、足が滑って上手くいかない。歩くことにも注意が必要で、走るなんてできっこなさそうだ。端から見たら、僕の様子はさぞ間抜けに映るだろうな。
マズイぞ。見た感じ、かなり広範囲に氷の床が設置されている。事前に回り込んで僕が来るであろう場所に置いていたんだ。まんまと相手の罠に嵌まったってことなのか……!
だが、ここで表に焦りを出すのはいけない。まだ余裕を気取って、策があるように見せかけないと……。
「へへっ。意味の無いことを沢山するのが人生だけど、意味が無い人生は無いのさ。僕がしてきた事にだって、相応にやった甲斐はある。まあ、時間を稼ぐ事くらいならできたかもね」
「ええ、そうね。きっとあんたの仲間は逃げたかも。でも、どうかしら。すごく仲間思いの子達だったら、まだ壁の外で対策を練っているのかも」
揺らしにきやがった。こちらの動揺を誘っている。
イズさんのペースに乗せられたら負けだ。根拠も無い言葉のジャブなんだ。怯んではいけない。自分を強く持たないと。
彼女の言葉に勇気を喪失しないよう、音を聞かずに立ち上がる。
「ここは……!」
そこで見た光景は、酷く残酷なものだった。
隅だ。四角の壁の隅、角のところまで来てしまったのだ。
「あら、今さら気が付いたの? だから言ったでしょう。ここがあんたの終着点よ」
頭をフル回転させる。
どう巻き返す? ここから逃れる方法は? 氷の床だけでもどうにかできないか?
出ては消え行く疑問符を、僕は掴めず座り込む。
これから逃げるには壁に沿って曲がるしかない。でも、この場所はイズさんがかなり狙いやすい状況を作っている。避けられる可能性は極めて低くなった。
おまけに氷の床のせいで、早足に歩くこともままならない。次に瞬きをした後には、床から出てきた針に穴だらけにされるなんて事もあり得る。
はっきり言って、お手上げ状態だった。歯の根が合わないとは今の僕を表すのにピッタリな言葉だ。
「さあ、いたぶってあげるわ。そして、すぐにあんたの仲間も同じ場所へ送ってあげる。私の記憶の中で、安らかに生き続けなさい!」
鬱蒼とした森の中に、彼女の高笑いが響き渡った。




