6話「モルト町」
背中に伝わる固い感覚。反対に、後頭部には柔らかい感触がある。右手は誰かに握られているようだ。
頬を撫でる風と、瞼を閉じていても僅かに瞳に届く柔らかな日光が、僕の居場所は屋内でないことを示していた。
「う、うぅ……」
呻きながら薄目を開く。
「カズヤさん! よかった、無事で……!」
まず視界に飛び込んできたのはウィッチだった。顔を右に向けると、声の主であるネメスが涙ぐんで僕の手を握ってくれている。
空いた左手で自分の胸を触るも、風穴どころか痛みもない。
「何があったの?」
起き上がろうとすると、ネメスによって無理やり元の体勢に戻された。
この状況は、膝枕というものだろうか。位置的に、ウィッチがしてくれているらしい。普段なら舞って喜ぶところだけど、今はそんな事をしている場合ではない。
「こちらの台詞ですわよ。目を離した隙に消えたと思ったら、大木の裏側で大量出血しているんですもの。ネメスが回復呪文を唱えられなかったら、あなた死んでましたわよ」
「それは……心配かけたね。ごめんよ」
「いいえ、良いんです。生きてくれただけで……」
言葉を詰まらせて、ネメスは涙をポロポロ流し始めた。血の臭いが濃い世界に反して、仲間の天使率が高すぎる。今のところ百パーセントだ。
「それで? あなたは何をしていましたの?」
「あぁ、僕にもよく分からないんだけど……。とりあえず、初めから話すね」
僕は膝枕というシチュエーションを満喫しながら、長ったらしく説明を開始した。
「よくそんな理不尽な事されて平常心でいられますわね!」
事情を話し終えた後、最初に飛んできたのはそんな憤激の声だった。
「ま、まあ理不尽には慣れてるから……」
「カズヤさん、いっぱい苦労したんですね……」
道端に捨てられた猫を見るような目を向けてくるネメス。
別の夢世界で何度も死にかけたんだ。全くの動揺も無いとは言えない。けれど、もう我を失うほどでもないんだよね。
「勇者一味に喧嘩を売るなんて、向こう見ずな輩もいたものですわ。その人がまた襲ってきたら、返り討ちにして差し上げます!」
ムッとした表情で勝手に決意を固めるウィッチ。その人、君の父親なんですけど。
ネメスも釣られて義憤に駆られちゃってるし、歯止めが効かなそうだな。
「ところで、君達は本当にずっとこの木の側にいたの?」
「そうですよ。お姉ちゃんにエンジェルズの子達の話を聞いてもらってたんです」
「そっか……」
ネメスはラヴィ達のところに行っていない。イスターさん達は嘘を言っていた?
だけど、待てよ……。彼らの話、ラヴィとフォクシーの誕生日を祝うという話が本当だと仮定すれば、ある可能性が見えてくるぞ。
イスターさんとアトナが夢世界の住民ではないという事だ。あの人達、現実世界の話をしていたんじゃないか?
不確定事項だが、頭に入れておいても良いかもしれないな。
「もう休憩は十分だよ。そろそろ行かない?」
膝枕は名残惜しいけど、いつまでものんびりはしていられない。
体を起こして尋ねると、ウィッチは小さく二度頷いて立ち上がった。
「そうですわね。個人的に狙ってくる人物がいるとなると、あなたの魔力量を上げる事も検討しなければならないでしょう。少々危険を伴いますが、覚悟はありますか?」
「ああ。運が良いことに、この上無い危険を体験したばかりさ」
「でもでも! 今度はわたし達がちゃんと守ってあげるので、安心してくださいね!」
純粋無垢な笑みで握り拳を作るネメス。守りたい、この笑顔。一生守られるでも良し。
モルト町には、何事も無く着くことができた。
魔物に遭遇する事すら無かったのはツイているな。まあ、どうせ午後はレベリングの特訓に費やすのだが。
現実の時と同じく、モルト町の入り口に商人がいないかと期待してたんだけど、残念ながらヴァンプさんは現れなかった。ノエルみたいに尾行してきている訳ではないのか。
そりゃ全てが現実と同じな事なんて無いだろうけど、似通った部分が多いのだって事実だ。
何故なら、僕らはあの時みたいに、またモルトの町の中で途方に暮れているのだから。
「宿が無いじゃありませんのっ!」
手で顔を覆って天を仰ぐウィッチ。熱中症になりかけていたイズさんと違って、まだまだ余裕はあるらしい。
「こうなったら公園を探すしか……」
ネメスは斜め上の発想をしていた。頼むから勘弁しておくれ。ていうか、こっちの君もホームレス経験あるのね。
「困ったことに、災難は跡を絶たないな」
新しい町に着くと、例のごとく、空いている宿探しが始まった。だが、一つも空き部屋は無い。
試しに宿主へ話を聞いてみたら、やはり隣のヨーン村へ盗賊が攻めてくるとのこと。避難民で宿屋は一杯。この調子じゃユーダンクまで人が流れていてもおかしくないらしい。
「年頃の可憐なレディが野宿だなんて、自殺行為ですわよ! 屈辱ここに極まれりですわ!」
「自分で『可憐なレディ』って言うあたり、親子だよね~」
呟いて、町の入り口へ振り返る。
門の側に、クエスト掲示板が立っている。一応、例の依頼がある事は確認済みだ。
タダでは済まないだろうけど、野宿よりはマシだろう。午後に魔力上げもするだろうし、夜までには僕も戦えるレベルになっているはず。
僕はもう一度視線を二人に戻し、かつてのヴィーレを真似て提案してみた。
「ねえ。二人に提案があるんだけど、ちょっと良いかな。宿ではないけど、泊まれる場所を見つけたんだ」
館に帰り、自室の椅子に腰を下ろす。
僕達が来た屋敷は、前回と同じ位置に建ってはいたが、外観は別物だった。
泥汚れ一つ無い。昨日建築したと言われても納得の館だ。廊下は軋まないし、部屋に窓もある。部屋の配置は変わらないが、家具や小物は現代的だった。
窓の外では下弦の月が笑っている。
時刻は二十二時。魔力の特訓を終え、お風呂とご飯を済ませた僕は、正体不明の焦燥感に膝を震わせていた。
何かが変だ。何がかは分からないけれど、嫌な物が胸につっかえているような気分がする。
「……うーん。なんか、イライラする感覚だ」
館に入ってからというもの、常にこんな調子だ。見逃している事でもあるのだろうか。
ひとまず、情報を整理する前に、自分をチェックしてみよう。
【レベル571・ノエルとは仲良くなっておいた方がいい】
半日も費やしていない割には、上出来だろう。呪文も、ネメスのヒーリングとモデリングをコピーさせてもらっている。
夜中の探索は三人で行う予定だし、完璧とは断言できずとも、ほとんど隙はない。
「じゃあ何だ? 僕の思い過ごしかな」
焦燥感はまだ止まない。落ち着いていられず、記憶の箱をひっくり返す。
そこで、また一つ思いつく。そういえば、クエストの内容は少し変わっていた。
『町外れの土地に突然、謎の屋敷が出現した。誰が建てたのかは不明だが、中には誰も住んでいないようだ。しかし、夜中にそこから物音がするらしいのだ。調査のため、数日間そこに宿泊してほしい』
現実世界では、前半部分の記述は無かったはずだ。この変化にも意味があるのか、無いのか。
「それとも、別の所に見落としがある……?」
立ち上がり、ベッドの近くに膝をついて、その下を覗きこんでみた。
「まあ、いないよね」
イスターさんが『ベッドの下に何かがいる』って言っていたから、今回の件の犯人がここに潜んでいるかもと思ったんだけど。
ベッドに座り直し、今までの事を思い出してみる。
散りばめられたヒントらしき物はいくつか発見したけど、どれもピンと来ない。そもそも、情報がまだまだ少ないくらいで……。
「……あっ、そうか。正体を突き止めたぞ」
思い返して初めて気付いた。
速い。速すぎるのだ。時間の進みが、とてつもなく速く感じる。
当然の事だろう。
今回はアルストフィアを一日で出て、お風呂は一人で入り、日本料理も振る舞わず、パーティーの人数は僕を含めて三人だ。それに僕は、今まで似たような冒険を何回も繰り返している。
だから当たり前の現象なんだ、そう感じるのは。何も悪い予感を抱くことはない。
「うん、うん。順調だ。イスターさん達とヴァンプさんの事で不安は残るけど、目下のところ目立った困難は見当たらない」
言い聞かせるように独りごちて、僕は部屋の照明を消した。
零時から見回りの時間だ。それまで少しの間、仮眠を取っておくとしよう。
――――その日、僕が目を覚ますことは無かった。
【どんなに辛くても諦めないで。世界の運命は、全て君にかかっているんだから】




