2話「洗礼」
窓の奥に見える空が白みだし、カーテンの隙間から一筋の光が漏れ出ている。
もう夜も明けそうなこの時間、僕はウィッチが切ってくれたオレンジを食べていた。
部屋にあるソファーに腰かけ、対面に座る彼女を見つめる。
ネメスは先に部屋へ帰した。首がカックンカックンしてたし、限界が来ていたんだろう。
彼女達は昨日から眠っていないんだ。ウィッチも帰って休んだ方がいいと伝えたのだが、それは聞き入れられなかった。まだ何か話すことがあるらしい。
「それで、話すことって何なの?」
「何って、さっき言ったばかりじゃありませんの。もう忘れたんですか? 思ったよりお馬鹿さんなんですわね」
からかうような顔つきで僅かに体を前傾させ、テーブルに肘をつく。言葉とは違って、口調に蔑みの色は含まれていない。
イズさんと比べてしまったら悪いけど、この時点で大分絡みやすいな。
「あぁ、そうだったね。僕が君の名前を知っていた理由を教えるってやつでしょ?」
「ええ。眠かったのかネメスは流してましたけれど、あなたが会ったこともないヴィーレとかいう人の名前を知っていたのも気になりますわ」
「うんうん。説明しなきゃね。実は――――」
僕は日本のこと、そしてある日眠ったらここに召還されていた事を説明した。セーブのせいで繰り返した話はしなくても良いだろう。
そして得意の演技で自然に話の中へ嘘を混入する。
「――――それで、向こうの世界には異世界を観測する道具があってね。僕はそれを使って、この世界を観察していたんだ。沢山の人物を見ていたよ。勿論、君達もね」
「ふぅん。あなたの話が本当だとしたら、物凄い偶然ですわね。人間を召還することだけでも、とても珍しい事だというのに」
「果たしてそうかな。僕はむしろ必然だと思ってるよ。君達に一番近い存在だったからこそ、僕がこちらへ呼ばれたんだろうってね」
訝しそうなウィッチの視線に動じる素振りは見せない。
この嘘、色んな夢世界で使ってきたけど、意外と通じちゃうんだよね。相手がテレパシーでも使えない限りは見破られないし。
別に嘘を吐かなくても構わないんだけど、暗い雰囲気にならず、早く済ませることができるから、方便と割り切っている。
イズさんやエルにこの嘘を吐くと、女性への覗き疑惑をかけられるのが唯一の欠点だな。
無駄を省くのは癖みたいなものだ。何度も同じような世界を繰り返していると、タイムアタックみたいになってくる。作業ゲームの周回プレイと丸きり同じだな。
「そう、ですのね。では、あなたからは何か無いですか? 質問が無いのなら、しばらく私も休ませてもらいますわ」
隈のできた目を細め、手首の内側にある腕時計を確認する。
「聞きたいことはいくつかあるけど、今じゃなくてもいいさ。眠ってきなよ。時間になったら、僕が起こしに行くから」
「ありがとう。そうしてくれると助かりますわ。今日の予定はモルト町へ行くだけですし、余裕があります。五時間後に起こしてくださる? 三つ隣の部屋ですわ」
そう言って、彼女は腕時計と部屋の鍵を渡してくる。ふらついた足取りで扉を開けると、「おやすみなさい」だけを言い残して出ていった。
「さて……まだ五時か」
腕時計を確認してから、鍵と一緒にポケットへ入れる。
夢の世界には毎回何かしらの変化があった。だとすると、今回の変化は何なのかを早めに突き止めることが、攻略の鍵となるはずだ。
ネメスが勇者で仲間はウィッチ。エンジェルズにはヴィーレがいる。彼女達のレベルが高くて、僕のレベルは最低。そして僕は記憶を引き継いでいる。
他に考えられる点で言えば、ウィッチは悪魔じゃないだろう。彼女の両親がイスターさん達なのかは不明。
性格は少し自信無さげなのが特徴か。単純に疲れているだけの可能性も捨てきれないけど。お姉さん気質はそのままなのか、ネメスの前では弱気な面も隠している節がある。
一方、ネメスは初めから元気一杯だった。ホームレスの経験が無いのか。はたまた既にヴィーレから勇気づけられているのか。
「これから解いていくべき謎はまだまだありそうだな」
考え出すとキリが無い。熟考するのは楽しいけど、答えが出ない問いについて時間を割くのは不毛だろう。今は頭空っぽにして残りオレンジを味わおうか。
何をするでもなく部屋を見渡していると、妙な違和感を覚えた。その正体はすぐに判明する。
悪魔の国に似ているのだ。もっと言えば、僕のいた日本のそれに、この部屋はとても似ている。
いや、中世的な雰囲気や、大まかな部分は変わっていないんだけど、部屋の照明やベッドのシーツを見る限りでは、明らかに僕の知る人間の国ではない。文明がいくらか進化しているのだ。
「なんだ? 案外ぬるい世界なのかな?」
オレンジの皮を捨てようとゴミ箱を探すと、ベッドの隣にプラスチック製の箱があった。ビニール袋が被せてある。現実での冒険、それに今までの夢世界では無かったものだ。
無駄なところを親切設計にするんなら、こんな夢世界なんかに送り込まないでほしいんだけど。
……ん? これに似た台詞、つい最近聞いたな。
そうだ。イズさんに夢でゲームをさせた時だ。
もしかして、イスターさんも僕と同じ方法で世界の寿命を延ばそうとしているのか?
でもそうなると、夢の中での意味深な話は何だったんだってなるよね……。
「頭が痛くなってくるな」
こめかみに手を当て、ゴミ箱へオレンジの皮を投げ入れる。考えないようにしていても、謎の方から僕へ寄ってくるような感じだ。
「ん~……。駄目だ、じっとしてられない」
ベッドに腰かけるも、落ち着けずにすぐ立ち上がった。
「まだ五時十二分か」
時間の鈍さに顎が落ちそうになる。何かして時間を潰すか。
とりあえず、情報の整理も兼ねて、外の空気でも吸ってこようかな。
宿屋の中は特に変化無かった。まあ元から滅茶苦茶な文明だったから、僕が気付かなかっただけなのかもしれないけれど。
だが、階段を下りた時に一つの明確な変化を発見してしまった。ホールまで来たところで、異常な事態に足を止める。
静かだ、とても。受付も奥に引っ込んでいるらしく、誰もいない。
特に何もない、普通の光景だろう。だけど、今は普通であることが異常なんだ。
あくまで似た世界の話だけども、通常アルストフィアの村は魔物に襲われた翌日までに、静まることはない。
村中の宿には客が押し寄せ、外は悲しみと怒りに身を任せている人々で溢れている。そんな状態だ。
とてつもなく嫌な予感がした。今思えば、カーテンに遮られて外の様子を見ていない気がする。
「まさか……」
歩みを進める。扉に近付く。ノブを掴み、生唾を飲んだ。息を吸い、一気に扉を開け放つ。
「……嘘だろ」
アルストフィア村は広い土地を誇る。かつてエルを探すために聞き込みをした際、僕やイズさんはその広さにうんざりしていた。あの日のことはまだ鮮明に覚えている。
だから、村の本来の姿だって、僕は忘れていなかったんだ。
「何だよ、これ……!」
消えている。村の七、八割の土地にあった建物や木々が全て消失していた。いいや、ここは『焼失』というべきか。
そこにあるのは灰と炭だけだ。誰かが暮らしていたはずの黒い枠組みが、吹いた風によって無惨に崩れ落ちる。残っている家々にも光は無く、住民全員が息を潜めているかのようだった。
僕らのいた宿屋を含めても、残っているのは十数件の住宅と二つの宿、そしていくつかの店だけだ。
「すみません、そこのお方。少しお時間よろしいですか」
呆気にとられていると、隣から声をかけられた。
三十代くらいの女性だ。そわそわしていて、動きには余裕がない。背中には子どもだろうか、手しか見えないが、小さい子を背負っている。
「えっ。僕ですか?」
「はい。急ぎ、お尋ねしたいことがあるんです」
「はぁ。何でしょう?」
「貴方が出てきたこの宿に、勇者様がご宿泊されていると聞いたんですが、本当でしょうか」
「は……っ!」
答える前に気付けたのは、幸いだったと言っていいのだろうか。
彼女の背から伸びる小さな手、肩にかけられている両腕が、やけに青白いことになんて、少なくとも僕は思い至りたくなかったが。
震える声を食い殺し、どうにか愛想笑いで取り繕う。
「あの、失礼ですが、どうしてなのか尋ね返しても?」
「ええ、ええ。私の娘が怪我をして、酷く苦しそうなんです。昨日の襲撃で、魔物に攻撃をされてしまって……。どうしようかと途方に暮れていたところ、勇者様は回復呪文を使えるという噂を耳に挟み、朝早くではありますが、訪ねた次第でございます」
言ってから、女性は背中の子どもを見せてくる。
瞬間、冷たいものが僕の全身を走った。
薄く開かれた瞳には色彩が宿っておらず、周囲には虫が飛び交っている。傷口は胴体にあるのか見えないが、相当な血が抜けているようで、肌の色は病的などという段階ではなかった。
「ほら、こんなに呻いている子を放っておけないでしょう? もう少しの辛抱よ、マーリン。勇者様がきっと治してくれるわ」
母親は一方的に娘へ語りかけている。
僕の鼻を今さら襲う悪臭。こみ上げる吐き気に、思わず口を押さえた。
「それで、私の質問に答えていただけるかしら」
衝撃的すぎる光景に身動きがとれないでいる僕へ、女性は壊れたロボットみたいな笑みを向けてきた。
「勇者様は、ここにいらっしゃるの?」
彼女のおぶる少女の瞳に、蝿が一匹留まっていた。




