5話「魔王たる器」
「よくここまで来たな、勇者よ!」
「魔王……! やっと、やっとここまで辿り着いたぞ……!」
今、俺は魔王と対峙している。魔王の間には神聖な空気が漂い、奴の姿は背後のステンドグラスから差し込む光によって黒い影と化していた。
彼女はマントを謎の風によって靡かせ、威風堂々とした態度でこちらを見下ろしている。
「長い長い旅だった……。だが、それもこれで終わりだ!」
「ふっふっふっ。一人で来た勇気だけは褒めてやろう。しかし、終わるのは貴様の命だ!」
俺を指差し、威厳の無い声で言い放つ魔王。影に隠れているにも関わらず、その目は爛々と輝き、表情がイキイキとしているのが分かる。
「……一つ、戦う前に聞いておきたい。どうして、どうして人間を攻撃するんだ!」
「……それは~……うん! なんやかんやあってだなっ!」
「待て待て待て待て」
なんだ、なんやかんやって。せっかく勇者ごっこに付き合ってあげてるのに、設定ガバガバじゃないか。
そう、これはただのごっこ遊びだ。昨夜サタンに遊ぶ約束を取り付けられ、今に至る。勇者ごっこって、これ見方によってはすごく不謹慎じゃないか? いいのか、魔王よ。
「フッ! 小さいことを気にするとは矮小な人間らしいなっ!」
「な、なんだと……!」
こいつ、無理やり仕切り直しやがった。
魔王は再び身構える。つられて俺も芝居に戻ってしまった。しかし、さすがにこれは強引過ぎる気がするぞ。
「この世は、力ある者だけが生き残るのだぁっ!」
そう言うと、サタンは腰に差していた風船の剣を引き抜いた。
「俺は、負けない!」
言い返して、背中につけていたオモチャのハンマーを構える。魔王は決めポーズをとり、戦闘前最後の台詞を吐いた。
「さあ、来いっ! 勇者よ!」
彼女の声が魔王の間に響く。それの反響が鳴り止むと同時にサタンは勢いよく屈み、足下に置いてあった何らかの音楽機器のスイッチを押す。
途端に、複数のサタンの声で作られたBGMが大音量で流れ出した。ふにゃふにゃの声たちが俺の気力を削いでいく。
なるほど。これがカズヤの言ってた、ゲームのラスボス時にかかる盛り上がり曲ってやつかー。
「ってバカか」
「いだっ!」
俺はオモチャで魔王を叩く。ピコッという間抜けな音が耳に届いた。
「ちょっとヴィーレ! 台本無視しないでよ~」
サタンはぷんすかしている。色々言いたいことはあるが、お前に怒る権利が無いのは確かだぞ。
会話に集中するため、俺はとりあえずやかましい音楽を止めた。
「お前こそ台本守れ。事前に渡された冊子には、ここで最高にカッコいい曲が流れるって書いてあったぞ」
「流れたじゃん。私が作曲したんだよーん」
サタン羽を胸を叩いて自慢げにしている。
最高に力の抜ける音楽だったんだけど。どういうセンスしてるんだ。
なんだか馬鹿らしくなってきた。このまま続けたところで、グダグダになることは目に見えているだろう。
「はぁ、やめだやめ。別のことをしよう」
オモチャのハンマーを放り投げ、玉座へ続く階段に腰を下ろす。顎に手を当て、次に二人で何をするかを考え始めた。
……あれ、ちょっと待てよ? 今、魔王と二人きりじゃないか。こいつと二人で話すのは、これが初めてかもしれない。あの事を話す、またと無いチャンスだ。
「なあ、サタン。少し、真面目な話があるんだが……」
「んー? なに?」
立ち上がって姿勢を正し、彼女を見つめる。サタンは口を尖らせて、玉座に腰掛けていた。
ずっと心に引っかかっていたんだ。だから、いつかはあの事を謝ろうと決めていた。今がその時だ。
「先に言っておくが、これは俺の自己満足だ。なんでこういうことをするのかは聞かないでほしい」
理由を話すと、レイブンとの約束を破ることになるからな。
サタンはキョトンとしている。急にどうしたのだろうと不思議に思っているのかもしれない。
「うん。……それで?」
彼女のひとまずの了承を得て、俺は深く、深く頭を下げた。あの罪を忘れないためにも、ここでしっかりケジメをつけておきたい。
「すまなかった! 何についての謝罪かは言えない。お前を傷つけてしまうからだ。でも、謝らせてくれ。すまない!」
セーブとロードのことは置いておいても、レイブンが自分のために俺達を殺したことを知ったら、彼女は悲しむだろう。見知らぬ人間の死ですら傷つくような子なら尚更だ。
「え、えっと……ひとまず頭、上げてくれる?」
彼女の動揺した声が降りかかる。そこで俺は自分のことばかり考えていたことに思い至った。
いかん。彼女を困らせてしまった。考えてみれば、当然の反応か。これは困惑するのが正常。いきなり訳も分からぬ謝罪をされても、受け入れられるわけがない。
やってしまったと悔いながら、俺はゆっくり姿勢を元に戻した。
「ん~……。多分だけど、私を殺しちゃったことについて謝ってるんだよね?」
「……え?」
「ん? 違うの?」
「い、いやそうだが……。なぜ知ってる?」
「秘密で~す」
サタンは悪戯っぽい顔をしている。展開についていけず、硬直していると、頭に彼女の羽が乗せられた。そして、ポンポンと何度か軽く叩かれる。
「よしよし。いいよ、あれくらい。勘違いだったんでしょ?」
「……ああ。でも、殺してしまったことは事実だ。知らなかったで済ませていいようなことじゃない」
「それは他の人だったらそうかもだけど、私は魔王だよ? 一回殺されたなんて小さいこと、気にするわけないでしょっ!」
彼女は笑っていた。本当にまるで気にしていないみたいに。日の光が彼女を照らす。その姿は、まさに天使そのものだった。
ああ、これが魔王だったのか。こういうわけで、彼女は今まで魔王であったんだ。呪文が使えるからだなんて理由だけじゃない。王であるだけの大きな慈悲を、サタンはその小さい体に宿していた。
「うーん。まだ暗い顔のままだね~。……じゃあ、ヴィーレには代わりに沢山遊んでもらおっかな。私の友達になってくれる?」
言って手を差し伸ばしてくるサタン。答えなど、決まりきっていた。
「勿論。喜んで」
手を掴み、固く決意した。全力をもってこの子に恩を返すことを。